孤独な戦い その2

「……くそっ、どこまで嫌がらせが続くんだ……!」


 通路の角をまた一つ曲がり、そしてやはり同じ道が続いているのを見て、レヴィンは苛立たしげに壁を叩いた。

 あれから既に三度階段を降り、別階層へ移動していたが、その光景はどこまでも変化がなかった。


 それどころか、罠の一つすらなく、また魔物の一体すら出現しない。

 全てを放り出したとしか思えず、そしていつか必ず来るだろう罠に、神経を研ぎ澄まされせられる結果となっていた。


「残りは五階層、それから階層主、そして最後に最下層だ。まさかそれまで、ずっとこれが続くんじゃないだろうな……!?」


「いっそ罠の一つでも出てくれば、それを元に傾向も考えられるんですけど……。何一つないですしね……」


「残りは五日だ。このペースで行ってたら、おそらく間に合わないぞ……」


 罠への警戒は怠れない。

 そして、ここまでやって来て、もしも長時間拘束されるだけの罠が発動したら……。

 あるいは、もっと悪辣な、何かの罠に引っ掛かりでもしたら……。


 それだけで、今期の踏破は絶望的になる。

 現在の敵は何よりも時間で、小休止を挟みながら移動しているものの、消費する時間に見合うだけの距離を稼げていなかった。


「ずっと同じ構造だもんな……。そして、三階層降った感触として、一階層辺りに使う時間も、大体読めた。……だろ、若?」


「そうだな……。このままのペースだと、今期達成は見送りになる。九十八か、良くて階層主だな。その相手次第じゃ攻略に時間が掛かって、そこで終わりだろう」


「何しろ、最後の難関ですものね……。前の階みたいに、仕掛けを見破れないと延々戦う系の敵が、用意されてるかもですよ?」


「ここの通路を見れば、その意図は明らかだろうな。時間が足りないと焦らせる為の構造だろ、これ……」


「然様ですね。一階層毎がごく単純ですから、その階に掛かる時間が、ほぼ正確に割り出せるのも嫌らしい所です」


 そして、焦りに負けて警戒心を投げ捨てた所から、失敗は始まるのだ。

 事実かどうかは不明だが、そうした意図があるだろう、と考えるしかない。


「ここまで一切の罠がないのも、もしかしたら、という誘惑を考えさせる為のものじゃないか。これまで一切、罠がなかった。だったら、この先も罠がないだろう、といった……」


「実際、時間切れが何よりの敵なのは、間違いねぇんだからな……。ここまで来たなら、尚更だ。その誘惑には逆らえねぇよ」


「分かっていても、時間切れを前にされたら、賭けに出るしかないですもんね……。そして、あたし達も……その賭けに伸るか反るかを、強要されてる様なものですけど……」


 今のペースで進めば間に合わない。それは明白な事実だ。

 ならば、アイナの言う通り、賭けを迫られている、と認めない訳にはいかなかった。


「どうされますか、若様?」


「明白ならば、やるしかないだろう。最下層にいるヤロヴクトル様と対面できなければ、たとえ階層主を倒しても失敗だ。お情けは期待できないだろう」


「真に、然様ですね……。では……?」


「あぁ、ここからは走り通しで行く。罠の発見度は、その分どうしても下がるだろうが、それも呑み込むしかないな」


 レヴィンの方針に誰もが納得し、そしてレヴィンが一歩踏み出すと、風の様に駆け出した。

 魔物がいようものなら、少しでも早く発見する為、ロヴィーサはレヴィンの後ろにぴったりと付いて走る。

 そして次にヨエルが続き、最後尾がアイナだった。


 それまでは速歩き程度の速度だったが、今は全く雲泥の差だ。

 下手な障害物や起伏などもないので、草原よりも早く走れる。


 鍵形となっている角では、その壁に手を回し、遠心力を利用して器用に曲がった。

 そうして風の様に、矢の様に階層を直進していく。


 ――そうして、九十五階に辿り着くと、様子がほんの少しだけ変化した。


 それまで鍵形に曲がっていた道が、今度は折り返す道となっている。

 直線の道が徐々に短く、次の階段までの距離が縮まる。それが鍵形の特徴だが、これならば最後まで直線の距離が変わらない。


 どちらにしても無機質なのは変わらず、そしてどこまでも走らされる構造に、レヴィンも流石に嫌気が差していた。


「魔物が出ないだけ、温情はあるのかもしれないが……! こうも続くと……」


「こっちに帰って来たばかりの時、走り方を教わって助かったぜ。それがなかったら、とっくに大の字で寝転がってらぁ!」


「でも、この構造を用意したの、きっとユミル様ですよ」


 アイナから悪気のないツッコミが入り、ヨエルはそのまま閉口してしまった。

 走り方を知り、そして長時間走っていられるとしても、定期的な小休止は取らねばならない。


 その間に少しでも体力、魔力共に回復させ、次に備えねばならなかった。

 小休止を三回挟んだ後、大休止を一回取る。


 そうした方が、結果的に長距離を走れる。

 それを理解していても、迫る時間制限に、どうしても焦れた気持ちは抑え切れなかった。


 そして、小休止と大休止を繰り返すだけでもない。

 しっかりと睡眠の時間も必要で、今となってはロケットの石が変化する時刻から、睡眠時間という決まりになっていた。


 昼も夜もない地下迷宮で、正確に時間を測れるのは、この石だけだ。

 そして今や、その石の色が変わってしまう度、恐怖を感じる様になっている。


 レヴィンが掌の中でロケットを弄んでいると、ロヴィーサが傍にやって来て、その手をそっと握った。


「若様……、眠りましょう。少しでも体力を回復させないと、明日が辛くなります」


「そうだな、そうする」


 レヴィンには責任がある。

 必ず最下層に到達し、そして全員が揃ってヤロヴクトルに対面させる、という大きな責任だ。


 またも今期が失敗に終わったら――。

 それを考えずにはいられない。


 まだ次の機会は残されている――それも事実だが、そこに縋ってはいけない気がした。


 レヴィン自身、危険な綱渡りを何度も成功させて、ここまで来たという自覚がある。

 そして、一度として大きな失敗なくここまで来られたのは、奇跡と言って良かった。


 次回があっても良い所まで行くだろうが、最下層までは望めない。

 それだけ、薄氷を踏むように道を進み続けて来た、という思いがあった。


 アイナの知見に多く助けられたのも事実だし、だから乏しい経験でここまで到達できた。

 だが、その知見が次回も通用するものだろうか。


 逆手を取った罠を用意された時、思わぬ落とし穴へ放り込まれるだろう。

 そして、ユミルの性格からして、同じ罠、似た罠は用意しない。

 これが最初で最後の、絶好の機会と思う他なかった。


 レヴィンは通路の端に寄り、壁を背にして眠る。

 残り三日で、何としても踏破しなければならなかった。



  ※※※



 そして、それは唐突にやって来た。

 凄まじい速度で移動するレヴィン達は、遂にその罠を見抜けず作動させてしまう。


 レヴィンが廊下に張られた同色の糸を切り、それで作動を許してしまったのだ。

 床が僅かに振動し、そこから何かが出て来ようとしている――。


 しかし、レヴィンの速度はかなりのもので、発動よりも速く駆け抜ける事が出来た。

 その後ろにぴったりと付いて走っていたロヴィーサも、同様に罠を回避出来たが、その後ろを走っていたヨエルまで、そうはいかなかった。


 床の一部がり出し、一帯を囲む格子が突き出して来る。

 罠の発動に動揺し、ヨエルの動きが一瞬止まったのも良くなかった。


 ――これは捕まる。

 そう誰もが思った瞬間、ヨエルの背中へ強く体当たりし、その窮地を救った者がいた。


「アイナ……!?」


 振り返って見た時には、もう遅い。

 床から突き出た格子で、アイナとレヴィン達は完全に隔てられてしまっていた。


「大丈夫か、アイナ……! いま助ける!」


 しかし、ヨエルの大剣を叩き付けても、格子は小動こゆるぎもしなかった。

 また、レヴィンのカタナでも傷一つ付かず、格子は依然としてアイナを隔てたままだ。

 その事実を突き付けられて、ヨエルは悔しげに顔を歪める。


「半ば分かってた事だが……」


「通行止めの罠……。ここに来て、か……」


「解除できるスイッチみたいな物は、何処かにないのでしょうか?」


 ロヴィーサの提案に探して見るものの、それらしき物は見当たらない。

 それに、手の届く範囲に置いていたら、罠の意味が全くなかった。


 時間を浪費させる為の罠なのだ。

 仮にあっても、遥かに戻らなければならないとか、そうした嫌がらせがあるに違いない。


「アイナ……、俺を庇わなければ……! そうすりゃ、もしかしたらお前だけでも……!」


「そうはいきませんよ。仲間を見捨てるなんて、オミカゲ様がお許しになりません。それに、あと一階降りれば階層主の部屋です。皆さんが揃っている方が、きっと良いです」


「そんな事ないだろう! 攻撃役なら間に合ってるくらいだ。俺より回復と支援ができる、アイナの方が……!」


「そうかもしれませんし、三人の連携での速攻が、最も効果的かもしれません。どちらにしても、戦ってみなければ分からないことです」


 それには一理あったが、こと今回の迷宮に関して、アイナはとても頼りになった。

 そして、アイナ自身が言っていたように、ギミックに気付かなければ延々戦わせるタイプが出るかもしれない。


 その時、アイナの知見があれば、どれほど頼りになるかは言うまでもなかった。


「だが、お前の……、お前の方が……!」


「言いっこなしですよ。どれが最善なのかなんて、その時になってみなければ分からないんですから。それに、ほら……」


 アイナが困った顔をして、壁の一部を指差す。

 壁の一部が開き、そこから砂時計が姿を現した。

 ご丁寧に用意された台座には、無機質な文字で『十二時間』、と刻まれていた。

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