孤独な戦い その3

「これは……」


「砂が落ち切るまで、格子が開かないって事だと思います……」


「そして、それには十二時間も掛かるのか……?」


「冗談じゃねぇ。そんなに待ってられるかよ……」


 ヨエルが暗澹たる声で呟き、そしてこの待ち時間は迷宮踏破に致命的だった。

 だからアイナは、力強く頷いて見せる。


「先に行ってください。最下層を目指して」


「しかし……!」


「もしかしたら、時間を短くさせる方法があるかもしれません。そして、それはそちら側の道にあるかもしれないんですから」


「だが、それを言うなら、アイナ側の方にこそあるんじゃないのか?」


 レヴィンの指摘に、アイナはゆっくりと頷く。


「そうですね、そっちの可能性の方が大きいかもしれません。ですので、あたしはすぐにでも戻って、そうしたギミックが出現してないか探してみます。皆さんは、そのまま進んで下さいね」


「置いて行くなんて無理だ……! アイナは殆ど戦えないじゃないか!」


「――行くんですよ! ここで待っていても仕方ないでしょう!? どの道、格子があってどうしようもないんですから!」


 アイナにしては珍しく激昂して、そっと格子を手で握る。

 それから表情を改めて、激励する様な笑みを浮かべた。


「行って下さい。必ず後で追い付きますから」


「……必ずだな?」


「はい、必ずです。階層主の部屋の前で、待っていて下さい」


「……分かった。部屋の前で待ってる」


 レヴィンは格子を握るアイナの手に触れ、軽く握り込んでから離れた。

 ロヴィーサも同じ様に握り、励ます言葉を置いて離れる。

 そして、ヨエルもまたその手を握り、悔しげな顔のまま、格子に頭をぶつけた。


「すまねぇ、俺があの時、咄嗟に止まろうとしなけりゃ……」


「ミスは言いっこなしですよ。誰かを責め始めたら収まりません。あたしは大丈夫ですから」


「あぁ……。だったら、礼を。助けてくれて、ありがとう」


「それなら受け取っておきます」


 アイナは微笑むと、ヨエルも恥ずかしそうに笑って手を離す。

 名残惜しそうに何度も手を伸ばし、しかし、結局握らないまま踵を返した。


 二歩、三歩と歩いて、再び振り返る。

 アイナの笑みと首肯を見ると、それから振り切るように走り出した。

 そしてアイナは、その姿が見えなくなるまで見送る。


 完全に姿が見えなくなってから、アイナはようやく格子から手を離した。

 震える息を吐いて、唇を固く結ぶ。

 格子を握っていたのは、震えているのを見せたくなかったからだ。


 罠の発動と共に、魔物も姿を現すなど、これも良くあるパターンだった。

 アイナは震える手を握りしめ、胸に抱く様に抑える。

 それでも震えは収まらず、心細さから嗚咽まで漏れた。


「うっ、うぅ……っ!」


 アイナがここまでやって来れたのは、信頼できる仲間がいてこそだった。

 常に温かく、頼りがいがあり、そして強さに裏打ちされた優しさを傍で受けていたから、平気な顔して立ち向かって行けた。


 だから、怖い思いをしても、それに押し潰される事はなかった。

 この人達と共に居れば、乗り越えられると信じていたからだ。


 しかし、今は全くの独りだ。

 アイナは独りで立ち向かう恐怖が、これほど勇気のいるものだと思っていなかった。


 一つ角を曲がる度、魔物がいるかもしれない恐怖と戦わなければならない。

 攻撃手段を持たないアイナでも、普通の魔物ならば相手に出来る。

 しかし、赤い線レッドラインが来れば、どうなるものか分かったものではない。


 アイナは震える身体を必死に抑える。

 特に震えの激しい拳を口元に当て、人差し指の付け根辺りを噛んだ。

 痛みで少しはマシになるかと思ったが、全く変わらない。


「バカっ! 自分で決めたんでしょ……!」


 アイナは震える拳を口から離して、やはり震える脚を殴った。


「足手まといにだけは、ならないって……!」


 だからアイナは、独りで挑む。

 この先にあるかも分からない、砂時計の時間を短縮できる何かを求めて、来た道を引き返して行った。



  ※※※



 結局の所、レヴィン達が進んだ道の先に、格子をどうにかするスイッチなど見当たらなかった。

 それどころか、やはり一切の罠すらがない。


 一度目あれば二度目もあるだろうし、気が抜けた所で仕掛けて来る、と思っていただけに、これには拍子抜けさせられた。

 既にレヴィン達は九十九階層まで到達し、階層主の部屋前まで来ている。


 罠があったからには、警戒を強めて少々走る速度も抑え気味だったが、それでも残り一日と六時間程度は残っている計算だった。

 この六時間については、正確に計る方法がないので、殆ど勘に近い。


 しかし、急いだ甲斐あって、時間制限についてはほんの少しだけ余裕があった。

 部屋の近くで野営の準備を終えて、今は休息の時間だ。


 ただ、誰もが身体を休めなければと分かっていても、心のゆとりは何処にもなかった。

 レヴィンが前方――自分達がやってきた、無機質な通路を睨みながら、呟く様に言う。


「アイナは来る筈だ……。追い付くって約束したんだ」


「そうとも、アイナは芯の強い女だ。へこたれたりしねぇよ……」


「走るのだって、誰より得意な人でしたし……」


 ここまでの道中とて、常に後ろ髪引かれる思いで進んできた。

 走る速度を落としたのは、罠を警戒していただけではなく、途中で追い付くことを期待してのものだ。


 しかし、結局アイナは階層主の部屋に到着しても、姿を見せる事はなかった。


「若、どうする……? 砂時計を短縮する仕掛けなんて、本当にあるかどうかも分からねぇだろ? 流石に長時間、ここで待つ訳にはいかんだろうよ」


「……分かってる。猶予の時間なんて、少しもない事もな。だが……」


 残り一日と約六時間は、決して恵まれた数字ではない。それは百も承知だった。

 敗戦する可能性もあり、何とか部屋から脱出できたとしても、傷と体力の回復に時間を要する。


 回復役の要であるアイナがいないので、頼りにするのは水薬となり、これの数にも限りがあった。

 休憩などの猶予も含め、数度の挑戦が限界だろう。

 その間に攻略法を見つけなければ、階層主の突破まで不可能になる。


「若様、待つ期限は設けますか?」


「……いつまでも待っていたい気持ちはあるが……」


「そりゃ誰だってそうだろうが……。そういう訳にもいかねぇだろうよ、若」


「そうですね……。アイナさんは自責思考の強い方ですから……きっと、自分のせいで待たせてしまった、と思うでしょうね……」


 ヨエルはロヴィーサの意見に同意し、更に力強く頷く。


「そのアイナが、自分を置いて行けって言ったんだ。それで俺達が待ってたら、きっと自分が足を引っ張った、って思うぜ」


「そうだな……、そういうだな」


「では……?」


 ロヴィーサが尋ねると、軽く息を吐いてから、顔を上げて明瞭に答える。


「六時間だけ待つ。石の色が変わるまでがリミットだ。残り一日で階層主を突破する」


「承知しました」


 ロヴィーサが礼をして、仮眠の準備を始める。

 今日の順番は、最初がレヴィンだ。

 そのレヴィンは固い床に座ったまま、無機質な通路をいつまでも見つめていた。



  ※※※



「……時間だ」


 ロケットの石が変わったのを確認して、レヴィンは懐に仕舞って立ち上がる。

 もしかしたら、の希望を捨てられなかったが、どうやら難しかったらしい。


 待ち時間にしろ、砂時計の時間を短縮できたら、を前提にしたものに過ぎなかった。

 完全に一定時間足止めするだけの罠かもしれず、それならば幾ら探しても、短縮できるギミックなど存在しない。


 既に野営の設備全てを片付けていたレヴィン達は、先の一声で全員が階層主の部屋へと向き直る。

 しっかりと休息は取った筈なのに、身体が妙に重かった。


 アイナは戦力面において頼りない部分もあったが、縁の下の力持ちなのは、誰もが認める所だ。

 それだけでなく、一種のムードメーカーでもあった。


 彼女の明るい声音を聞くだけで、妙に元気を貰えるのだ。

 そして、それは失った今だからこそ、気付けたことでもあった。


「準備は良いな?」


「はい、若様」


「後方支援が居ないってのは、今更ながら心細いモンがあるけどな」


 しかし、この三人ならば、強敵だろうと挑む勇気が持てる。

 それだけ三人の絆は深く、それに見合う実力と、高度な連携も取れていた。


 レヴィンは部屋の扉に手を掛け、押し開こうとしたその時、後方から軽やかな足音がする。

 ――まさか。


 レヴィンが慌てて振り返ると、そこには疲労困憊の様子で走って来る、汚れた姿のアイナがいた。


「――アイナ!」


 ヨエルが喜色満面に笑顔を浮かべ、レヴィンの横を通り過ぎ、駆け寄ろうとする。

 しかし、それはロヴィーサの手で止められた。


 咄嗟に伸ばした手がヨエルの肘辺りを掴み、それで態勢が崩れて、つんのめる。

 ヨエルは抗議の声をぶつけようとしたが、ロヴィーサの剣呑な視線を見て黙らされた。


 レヴィンが二人の様子を見て、訝しげに眉を顰める。


「おい、どうした……。折角……」


「分かっております、若様。私もアイナさんを歓迎したいし、抱き留めたい気分です。――が、用心は必要かと」


 その時、息を切らせてアイナが、ようやく声の届く範囲まで近付いた。

 そうして、歩調を緩めながら、安堵した表情を見せて足を止める。


 膝に手を付き、荒く息を吐き出しながら顔を上げ、嬉しそうな笑顔を見せた時――。

 ロヴィーサから鋭い声音が飛ぶ。


「合言葉は?」

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