孤独な戦い その4
ロヴィーサの意図を理解して、レヴィンは多大な努力を要して無表情を貫いた。
そして、今の今まで、その想定をしていなかった事を悔やむ。
――レヴィン達の間に、合言葉などない。
もしも、パーティの誰かが
今までの魔物に、姿を擬態するものは見てないが、そうする魔物がいても不思議ではなく――。
そして、今の今まで見なかったから、もう登場しないと決めつけて良いものでもなかった。
しかし、アイナは荒く息をつくばかりで、これに返答しようとしなかった。
それを見て、ロヴィーサは更に声を鋭くして、重ねて問う。
「――合言葉は」
「なに言ってるんですか。あたしですよ、アイナです」
上体を起こして、一歩近づこうとした彼女に、ロヴィーサは腰から短剣を引き抜いた。
明らかな威嚇行動に、アイナは二の句を告げないでいる。
そして、ロヴィーサに裏切られた、と言わんばかりの悲しげな表情をさせていた。
「あの、どうしちゃったんですか……? あたし……」
「――合言葉を言いなさいッ!」
今度は容赦しなかった。
敵意を直接言葉に乗せて、アイナにぶつける。
それで彼女は、途方に暮れた表情で肩を落とした。
「あたし、知りません。合言葉なんて無いですよね……?」
レヴィンはあからさまに安堵して息を吐く。
ロヴィーサのブラフに引っ掛からず、アイナは正解を引き当てたのだ。
ヨエルも気を良くして近付こうとしたのだが、ロヴィーサは尚も止めた。
「おい、何で……!」
「返答が違います。アイナさんなら、あぁいう答えは返しません。今まで合言葉の打ち合わせ一つして来なかったのですよ。素直に答えるより、まず混乱します」
「躊躇う素振りは見せてたろうが?」
「演技臭かったですよ。それに、アイナさんは自責思考の持ち主なんです。あぁいう訊かれ方をしたら、まず自分が聞いていないか、忘れていたかを疑います。――アイツはアイナさんらしくないんですよ」
「そう言われると……」
そういう気になって来る。
非常に
動作の一つ一つに、違和感が首をもたげるのだ。
しかし、目の前のアイナは、悲しそうに俯いて細い声を呟いた。
「酷いです……。必死に追い付いて来たのに……。あたし、頑張ったんですよ。皆さんに置いていかれたくなくて……。それなのに……」
「それが演技臭いって言うの!」
ロヴィーサが激昂し、短剣を振り被って襲い掛かる。
その刃がアイナの喉元まで届きそうになった瞬間、その姿が掻き消えた。
――何処に!?
レヴィンも視線を左右に向けて、消えたアイナを探す。
しかし、その姿を確認するより速く、背後の扉が開け放たれ、そこから手を叩く音が聞こえた。
ぺちりぺちり、と気の入ってない音で、咄嗟に背後を振り返ると、そこには何とユミルが立っている。
「いや、お見事。あえて違和感を残す演技してたけどさ、見抜けたのは流石って思うわよ、素直に。あぁいう場合、仲間の帰還を素直に迎えたいものだろうからさぁ」
「ユミル様……、何故ここに……。いえ、先程のは悪戯とはいえ、度が過ぎています! それに……!」
レヴィンの抗議はユミルにとって右から左で、殆ど無視された。
ハエを払う様な仕草で手を振り、それからいつもの嫌らしい笑みを浮かべる。
「いやぁ、これは別に、悪戯ってワケでもないのよ。何でアタシがここに居るのか、少し考えたら分かりそうなモンじゃない?」
「まさか……」
「最後の階層主、このアタシだから」
「最悪だ……」
ヨエルの独白は、正に全員の総意だった。
それがどういう種類の戦いであれ、大きな苦戦は免れない。
そして、苦戦だけで済まされないのは明白だった。
幻術を得意とするユミルに、攻撃を当てる事すら困難だろう。
思うさま弄ばれ、時間切れを狙われる可能性だってある。
レヴィンの顔は、大仰な程の渋面で歪んだ。
「アヴェリン様が階層主の時もあったんだ。だから、もしかして、と思ったりもしたが……」
「それ以降、出てこなかったから油断してたぜ、おい……」
「それよりも……」
ロヴィーサがレヴィンより前に出て、視線も鋭く言葉を続けた。
「先程のはルール違反ではありませんか。階層主と戦うのは、部屋の中に入ってからのはず! 若様は扉に手を触れてこそいましたが、それを入室とは認めては……!」
「そうね、ご尤も。だから、正解を引き当てたアンタ達に、ご褒美あげるわ」
「いやな予感しかしねぇな……」
言葉通りの
そして、仮にレヴィン達の有利になるとしても、それは雀の涙程でしかなく、明らかな融通とは別物と想像できた。
「あらヤダ、そんな嫌そうな顔しないでよ。すっかり性格が捻くれちゃって……。人の好意は素直に受け取るものよ」
「どの口が言ってるんですか。これまで散々、人をおちょくっておいて」
「ダンジョンのトラップのコト? そんなの、アタシの仕事なんだから、とやかく言われる筋合いないわねぇ。いやぁ、散々笑わせて貰ったわ。――あ、そうそう」
唐突に話題を変換させ、ユミルは指を一本立てて続けた。
「この九十階層、変に勘ぐりしてたみたいだけど、予算を使い尽くしてロクに罠を設置できなかった、ってだけだから」
「よ、予算……?」
「まぁ、言い方としては正しくないんだけど、そっちの方が伝わり易いだろうから、そう言わせて貰うわね。……つまりねぇ、全階層で共通して使えるリソースってのが決まってんの。それまでの間に色々使い過ぎちゃって、だから最後の方には足りなくなっちゃってさぁ……!」
そう言うなり、ユミルは手首を上下に振って、けたけたと笑った。
「結局、色々と警戒して貰ったけど、実は殆ど何も置けなかった、っていうのが真相だったのよねぇ。だからまぁ、殆どリソース使わない壁だけは大量に設置してみたんだけど」
「えぇ……、まんまとしてやられましたよ。絶対何かある、と思わされてましたが、つまりそう思わせて、足を鈍らせるのが狙いだと……?」
「まぁ、そうね。こんな単調な階層、怪しんでくれって言ってるようなモンだしね」
それで、とロヴィーサが割って入り、低い声音で尋ねた。
声音が怖いだけでなく、その視線にも底冷えするものが含まれている。
「その裏話を聞かせる事が、ユミル様の仰る褒美……なのですか?」
「やぁねぇ、違うわよ。こんなの聞いても喜ばないでしょ? 喜ばないものを、褒美とは言わないわ」
「では、何を……?」
「そうガッツキなさんな。まず、部屋の中に入りなさい」
ユミルはその場で背を向けて、部屋の中央に向かって歩いていく。
レヴィン達は顔を見合わせ、しかしユミルの――階層主の言葉を無視する訳にもいかず、その後を付いて行った。
そうして、ほぼ中央付近で対峙する形になると、ユミルは両手を広げて、にこやかに微笑んだ。
「……さ、これからアンタ達に二つの提案をする。どちらか一方を選びなさい」
「戦うか、逃げるか、ですか?」
「いいえ。留まるか、先に行くかよ」
「今更、ここで止めるわけねぇ……! 当然、先に行く一択だろうが!」
ヨエルが語気を荒くして言うと、ユミルもこの返答は想定したか、満足そうに頷いた。
「ご褒美って言うのはね、このアタシと戦わなくても良いってコトよ。先程の正解に免じて……そして、大切な仲間を騙ったお詫びとしてね」
「戦わなくても良い……? 誰とも? 貴女ではなく、他の誰かと戦闘が始まる、とかでもなく?」
「そう、その通り。如何なる意味においても、誰とも戦わなくていい。変な謎解きも必要ないし、ただ向こうに見える階段を降りて行くコトを許しましょう」
ユミルは胡散臭い笑みを浮かべ、背後に見える扉を指し示した。
レヴィンは猜疑の視線を向け、唸るように呟く。
「話が上手すぎる。そんな事あり得るのか……」
「これがあり得るのよね。だから、ご褒美なのよ」
「アイナさんは……。アイナさんは、どうなりましたか?」
ロヴィーサが尋ねると、これには非常に曖昧な笑みを浮かべて、そろりとした足取りで近付いた。
そして、その肩に触れるかどうかの距離まで近付き、そっと指を添える。
「どうなってると思う? あの罠は既に解除されてるけど……、解除と同時に魔物が襲ってくる仕掛けでもあるのよ。今はさて、どうなったものやら……?」
「こ、この……っ!」
ロヴィーサの顔が朱に染まる。
肩には触れていなかった指を振り払おうと、腕を動かした時には、既にユミルは離れていた。
その代わり、今度はレヴィンに同様の絡み方をしている。
「先へ進むというのなら、どうぞ先に進みなさいな。お仲間を見捨てて行くのも、一つの選択、誰も咎めはしない。既にリタイアしている可能性だってあるし、待つだけ無駄かもしれないけど……、信じて待つ自由だってあるしね?」
「リタイア……? リタイアってどういう意味です……!?」
「最初に言ってたハズでしょ? アンタらを鍛える為に、この迷宮を利用させて貰ってるの。だから致命傷を負うとか、これ以上続行は不可能と判断されたら、勝手に迷宮外まで転送されて治療されるわ」
「じゃあ、最悪の事態は回避されるのか……」
レヴィンはホッと息を吐いたが、心を休ませるより前に、ユミルの追撃が始まる。
「だから、決めて頂戴よ。既にリタイアしたかもしれない仲間を待つ? それとも切り捨てて進む? 誰も邪魔しない。階段を降りたら、即座にヤロヴクトルと対面よ」
「留まる事を選んだら……」
「その時は当然、お仲間が来るまで、ずっとここで待機よ。助かっていても、制限時間に間に合わないかもしれないわね? リタイアしていたら、来るハズのない仲間を馬鹿みたいに待ってないといけない」
そこまで説明すると、ユミルはレヴィンの顔を覗き込む。
その瞳には怪しい光が宿っていた。
「さぁ、どうするか……今すぐここで、口にしなさいな」
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