守り、守られたもの その6
赤の背景に白い小波模様の入った水風船が、オミカゲ様の手の中で上下に弾む。
中指に通されたゴムが伸縮し、弾いては戻り、戻っては弾くが繰り返されていた。
上下垂直方向だけでなく、時に水平方向にも弾き、手首のスナップを利かせて見事な湾曲を描く。
「へぇ、大したものだ。そんな取り柄があったとは……」
「取り柄という程の物ではあるまいよ。ほんの手慰みだ。そなたもやってみよ」
「やってみろと言われても……」
ユミルはたった一度のプレイで、人数分以上のヨーヨーを釣り上げた。
それにより、全員の手元には、それぞれ柄の違うヨーヨーがある。
最終的に全て釣り上げそうなってしまい、テキヤの親父に泣き付かれ、必要数以外は全て返したという顛末だ。
これがもっと人数の賑わう時間帯だったら、ちょっとした伝説を作り上げていたかもしれない。
ともかく、そうした事情で、全員の手元には水風船が行き渡っていた。
だが、オミカゲ様に催促されても、ミレイユには上手く水風船を弾けるイメージが沸かない。
それどころか、全く逆のイメージが浮かぶばかりだ。
「私には、ほんの一回、あるいは二回で、簡単に爆散する様子が目に浮かぶ。何の変哲もない、ただの薄いゴム製だろう? 下手をすると、こんな場所で濡れ鼠になってしまうぞ」
「だから、理力を用いてコーティングするのよ。水袋の弾力性を失わぬよう、ごく薄く、ごく柔らかくの。さすれば、こう……!」
口で言った通り、水風船にはあるかないかの、ごく薄い理力がコーティングされていた。
水風船の扱いは乱暴な手付きに見えても、見事に上下左右へ弾み、バシンバシンと軽快な音が響く。
先にゴム紐が千切れてしまいそうな勢いだったが、そちらにもしっかりとコーティングが施されている為、そうした心配もない。
「いや、それ、手慰みとかいうレベルじゃないだろ……。私でもちょっと引くぞ、それは……」
単に魔力で膜を貼り、物を保護する事自体は、決して難しい技術ではない。
魔術を扱う者ならば、出来て当然の前提技術で、強大な魔術を扱えるなら、より堅固な膜を貼ることに長けているものだ。
しかし、より薄く、ゴムの様に伸縮する素材に合わせて行うとなれば、口で言うほど簡単ではない。
ミレイユが言った台詞は、決して過大な評価ではなかった。
「面白いこと考えますね」
だが、逆にそれで、興味とやる気を示したのはルチアだった。
魔力の扱いにおいて一家言ある彼女は、オミカゲ様の見せた見事な制御に黙っていられなくなったようだ。
早速、オミカゲ様の真似をして、掌を下に、ヨーヨーを上下に振った。
「あら……」
しかし、ゴム紐が伸縮せず、重力に落ちるに任せて帰ってこない。
それで今度はゴム紐に、より制御を集中させて薄く張り、伸縮自体は上手くいくようになったのだが、掌に当たる音が風船の音ではない。
まるで硬球相手にお手玉しているかのようで、水風船の弾力が全くなかった。
「これ、かなり難しいですね……。薄紙一枚程度の厚さでも駄目ですか……」
「アンタでも手こずるの? 嘘でしょ? そんな難しそうには――」
そう言って水風船をお手玉したユミルは、最初の一回で潰してしまい、その水を盛大に足元へぶち撒ける事になってしまった。
一瞬、一同に嫌な沈黙が降りる。
「これ、魔力が強いほど不利になるアレじゃない……」
「つまり、やり方が違うんでしょう。何というか、根本的にズレがある……そんな気がします。見せ掛けに騙されているというか……」
そう言って、視線を鋭くさせてはオミカゲ様の手元を見つめる。
オミカゲ様はその視線を無視する形で、変わらず水風船を上下に弾ませていた。
そうして見つめること数秒、ハッと目を見開いて、ルチアは自分の手元へ視線を移す。
それから改めて、慎重に魔力操作を施した後、水風船を弾ませた。
「……そういう事ですか」
今度は硬球の様に乾いた音をさせず、水風船は柔らかな弾力と見せて、ルチアの手の中で何度も跳ねた。
垂直方向だけでなく、水平方向にも跳ね飛ばし、次には弧を描いてから手の中に収まる。
「一枚の布で覆うのではなく、何本もの糸を編み込むイメージ……。さながら、ネットで包み込む様な。編み目が細かすぎて、最初は分かりませんでしたが……」
「それはまた、繊細な魔力制御だけでは不可能な所業のようだな……!」
アヴェリンが我がことの様に喜ぶ。
オミカゲ様が簡単にやって見せたことは、やり方さえ分かれば誰にでも可能、というほど、単純ではない。
しかし、その自慢気な態度にケチを付けたい者が、そのすぐ側には居た。
「アンタの言う通りだし、やり方が分かったところで、アタシにも出来るとは言わないけど。それでもって、何でアンタが自慢気なのよ」
「我が主神の素晴らしさを、また一つ確認できたからだ。オミカゲ様に出来たなら、ミレイ様にも出来る道理だろう?」
「まぁ、それについては否定しないけど……。だからって、アンタが自慢気になって良い理由にはならないからね」
ユミルが半眼になって睨めつけても、アヴェリンは澄ました顔で鼻を鳴らすのみだ。
オミカゲ様に――ミレイユには簡単な事でも、ユミルには出来ない事が嬉しいらしい。
ユミルがこめかみに血管を浮かせた辺りで、ミレイユは周囲へちら、と視線を向けてからオミカゲ様に尋ねた。
「……ところで、周囲に居るのは、お前の護衛と思って良いのか?」
「然様。そなたらが比肩なき強者で、誰あろうと害せる者でないのは百も承知よ。しかし、それで周囲を警戒しないかどうかは、また別問題なのでな」
「まぁ、そういうものかもしれないな……。仮にそういう輩がいたとしても、近付けさせる事態こそが問題、か……」
「そうさな。過去において、我の暗殺を試みられた回数は、それなりにある故な」
さらりと零した発言に、思わずミレイユの身体が固まった。
意外、という訳ではないのかもしれない。
国内からは絶大な信頼と信奉を向けられる存在であると同時、国外からは必ずしも歓迎できた存在でないと想像できた。
ミレイユが何とも言えない表情をさせていると、オミカゲ様は悪戯めいた笑みを浮かべて言う。
「テレビ映像でも残っておるぞ。日本で初めてオリンピックが開催された時であった。普段はあまり表舞台に立たない我だが、この時ばかりは強く嘆願されてな。それで登壇したのだが……」
「近代だな……。じゃあ、銃か」
オミカゲ様は小さく笑って頷いた。
「狙撃であった。唐突に頭が跳ねて、我がたたらを踏む映像が残っておる。撃った本人や命じた人間は、さぞ目を疑ったことであろうな。我という存在は、民を騙す為の偶像と信じておったろうから」
「犯人は……?」
「捕まえたが、尋問前に自決して、黒幕までは分からなんだ。狙撃手はフランス国籍で入国していたのだが、当然これにフランス当局は否定している。それに使用されたパスポートは偽装であると、後に知れた。名前は英国風、風貌はアジア人、武器はロシア製……。黒幕がどこだったのか、未だ以って分からぬ」
時代を経て、科学水準が上がるにつれ、オミカゲ様の異常性は際立って知られていった事だろう。
どの国にも聖人がいて、奇跡を起こす伝説は残されているものだ。
あるいは、飲むだけで傷や病が癒える、聖なる泉伝説も、珍しいものではない。
しかし、そうしたものは奇跡と信じられているものが大半だ。
誰の目にも明らかで、再現性の高い泉であるなら、単に有り難がられるだけでは終わらない。
奪い、利用しようと考える者がいても、不思議ではない。
そして、その奇跡を日本だけで独占しているとなれば、これを奪おうとする国が出ても、やはり不思議ではなかった。
それが不可能と分かれば、排除しようとする。
その結果が、つまり銃弾による暗殺だったのだろう。
「そういう訳で、我の微行というのは、基本的に好まれない。今回の件も、そなたらが居ればこそ実現した例外と言える。感謝しておるよ」
「オミカゲ様のお役に立てたならば、光栄に存じます」
アヴェリンが胸を張って、威風堂々応えた。
暗殺の話を聞き、それまであった安穏とした雰囲気も消えている。
彼女の事だから、これまでも決して警戒を怠っていた訳ではなかった。
しかし、国外からの刺客がいる可能性に、現実味を帯びたとなれば、その態度も変わる。
「お前も、案外色々な所で苦労してたんだな……。所謂、魔法ってものをフィクションと思ってる奴らには、お前の存在は色々と脅威に映る」
「そうかもしれぬな。まぁ、信じておっても尚、嫌いという理由で歯向かう輩もおるが……」
「まぁ、極東の猿としか思ってない様な輩は、そういう思考になるか」
「いや、これは国内の話だ」
またも意外な切り口からの発言に、ミレイユは虚を突かれた。
そんな相手がいるのか、と疑う視線を向けている。
オミカゲ様の信奉者の数、そして尊崇度合いは相当なものだ。
十割の国民がオミカゲ様を好いている、とまでミレイユは思ってないが、それでもあまりに意外だった。
「お前をそこまで毛嫌いする奴がいるのか?」
「そうさな、未だに恨まれておる。本来なら古い恨みも、当人が死んでいれば流れ薄れて行くものかもしれぬが、我はこうして生きている故な」
「一体、誰に……?」
「仏教徒よ」
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