守り、守られたもの その7

 またも意外な単語を聞いて、ミレイユは眉を顰めた。

 かつての日本において、席巻するほど広く浸透した宗教だ。


 確かに信仰の違い、信徒の取り合いで揉める事もあったかもしれないが、それで大きく嫌われるというのは、ミレイユに想像もつかない。


「なに……、あれらの利権を、尽く奪った逆恨みよ。かつて、寺社勢力というのは金の亡者とも、仏教ヤクザとも呼ばれておってな」


「まぁ、それとなくは知ってる。市を開くのは寺社の敷地内と決められていたし、高い利用料を払わないといけなかった、とか……。取り決めを破ると、葬儀を開いて貰えなかったとか、そういう脅しもあたらしいな……」


「他にもな、金貸し業などもしておった。貴族や将軍家にも貸し付け、暴利でもって取り返そうとする。仏の金だ、仏を敵に回すのか、と脅しつけての」


「それは、まぁ……借りる方にも問題あり、と思うが……」


 そうはいっても、貴族は貴族なりに金が掛かる。

 町民の様に、その日食べられる金銭、衣服だけあれば良いという話にはならない。

 貴族の中には、下手をすると商人より貧乏な家もあったという話は、決して珍しいものではなかった。


「そなた、我が銀行業をしていること、不思議に思ったりしなかったか?」


「いや、それはしたな。勿論した。神社と余りに結び付かなくて、何やってるんだコイツ、と思ったものだ」


「まぁ、つまりその貸付であったり、敷地の利用料だったりを、格安で提供することにより、その利権を奪ったのが事の始まりよ」


「あぁ、それで当時の仏教徒全てを敵に回したのか……。魔女だ、仏敵だのと、指弾されたとか……つまりそれが原因か」


 かつて、オミカゲ様本人から聞いた話だ。

 その時は、奇抜な見た目や、特異な力を見て、そう判断されたのだとミレイユは思っていた。

 しかし、それが全くなかったという話でないとしても、しっかり敵にされるだけの異なる根拠があったらしい。


「何度か焼き討ちにも遭った。……ふふ、懐かしいの」


 微笑ましい思い出のように語るオミカゲ様は、流石に肝の置き場所が違っていた。

 単に過去のこと、過ぎ去った後のことだから――、それが理由ではあるまい。


 オミカゲ様ならば、当然雨を降らす事も、強風で炎を掻き消す事も出来た。

 そして、また別の手段で何事もなかったように、奇跡の所業と見せ掛けるのは容易だったろう。


 それら数多の演出、オミカゲ様のチカラを更に大きく見せるのに、一役買ったりしたのかもしれない。

 それは信仰と信徒の獲得を増やす事にも繋がり、オミカゲ様からしても、決して損ばかりの話ではなかったはずだ。


「なるほど、敵に回しても只では転ばないか。逆に利用して、シェアを奪ったしたたかさがあったんだな」


「そうとも。そなたも今、或いは尻に火が付いた状態かもしれぬが、これを打倒し、そして利用してやれ。そなたの地位を盤石に築くのじゃ」


「いや、まぁ……お前は知らなくて当然だろうが……」


 何しろ、オミカゲ様にとっては、未だ神宮事変から半年しか経っていない。

 ミレイユが神として立ち、これからどう信徒を増やすかなど、想像するしかない領域だ。

 既に三百年経っている事を抜きにしても、自分の時と照らし合わせ、まだまだ道半ば、と思っている事だろう。


「私は既に、あちらでは創造神として崇められていて、割と揺ぎ無い信仰心を獲得しているんだが……」


「なんじゃと……!?」


 それを聞いたオミカゲ様は、殊更に驚いて、身体をわなわなと震わせる。

 そうして、眉根に深い皺を作り、やはり震える声で尋ねた。


「創造神、とな……?」


「……そうだ」


「では、オーマイガー、のニュアンスで叫びたい時、どうしておるのだ?」


「……は?」


「おぉ神よ、と嘆きたくとも無理じゃろうが。我は神なり、と胸に手を当てて嘆くのか?」


 ミレイユは言ってる意味を理解できず、目を点にして、ただオミカゲ様を見つめ返した。

 しかし、その後ろでは盛大に噴き出したルチアが、口を押さえながら笑っている。

 ユミルも釣られて笑い出し、大口を上げて、隣のアヴェリンをバシバシと叩いた。


「だーっはっは! そうよねぇ、ちょっと真面目に考えないといけないわ! アンタが神に祈りたい時、やっぱり相手が必要だもの!」


「私は何者にも祈らない」


「では、我に祈れば良かろう」


「永久機関ねぇ」


「……ぶふぉ!」


 ユミルのぼそりとした呟きに、ルチアが盛大にツボに入って笑い転げる。

 身体をくの字に曲げて、何とか笑いを堪えようとしているが、その努力もあまり成功しているように見えなかった。


 ミレイユをそれに向かって、じっとりとした視線で睨めつけてから、改めてオミカゲ様へ顔を移す。


「お前が馬鹿を言ってくれたお陰で、うちのツレが大層ご機嫌だ。どうしてくれる」


「ちょっとした有情滑稽ユーモアであろうが。少し暗い話が続いていた故、我なりの配慮のつもりであったのよ……」


「……お前、配慮するのが苦手って、良く言われないか?」


「さて、どうであろう? そなたはどうだ?」


 悪戯めいた視線には、既に答えが出ているだろう、と言っている様に見えた。

 そして、それは事実でもある。

 時にミレイユは、大神としての立場から、他者から慮られる立場だ。


 それは同じ神からも同様で、小神たちからも一歩距離を置かれている様なものだった。

 それは一線を超えないという意思表示であると同時に、対話の少なさから来るものでもある。


 ミレイユの――大神の存在が、彼らに一種の畏怖を与えていた事は知っていたので、接触そのものを控えていたのが現状だった。

 それはミレイユなりの配慮であったが、あるいは、それこそ配慮の仕方が下手というものだったかもしれない。


「まぁ……、実際どうかはともかく、配慮が上手い方でないのは確かかもな」


 敢えて仲間に訊こうとしなかったのは、より辛辣な言い方で返ってくると理解していたからだ。

 ユミルなどは、あからさまな侮蔑すら混じえてくる可能性がある。

 その程度には、ミレイユも自己評価が出来ていた。


「それはともかく、他に行きたい場所とかあるんじゃないのか? ここで馬鹿話と屋台の食べ比べがしたくて、わざわざ難しい許可をもぎ取って来たんじゃないんだろ?」


「そうさな……。共に皆で、こうして歩くだけでも楽しいものだが……。我にはもう、遠い昔に失ったもの故、そなたらが楽しげに戯れているのを見るだけでも、心が弾む」


 そう言って、オミカゲ様は眩しいものを見つめるように目を細め、柔らかく微笑んだ。

 現状を楽しんでいるのは事実でも、その微笑みには悲しい憧憬もまた浮かんでいた。


 空気がまたも暗い方向に行きかけた所で、ユミルがオミカゲ様に抱き着き、殊更明るい声音で笑った。

 ひょいと体勢を変えて肩を組み、頭をぐりぐりと押し付けては前方を指差す。


「そりゃあ、楽しいわよぉ。楽しむには生きてこそ、そして生きてるんなら楽しまなきゃね。――ほら、いっくらでも楽しそうなものが、眼の前にあるじゃないの。どこ行きたいのよ、言ってみなさいな」


「いや、事前に予定していたものは、後は日が暮れてからのものだけよ。それにこれで十分、満足しておるでな。本来、公的な用向きとなれば、最低でも半年以上前から予定を立てねば、どの施設にも行けぬもの。警備体制を始めとして、整えなかければならぬものは、山程ある故な」


「今はお忍びよ。余程、おかしな場所でない限り、行けない場所もないでしょうよ」


 それは余りに暴論だったが、今だからこそ許される行き場所というものもある。

 立場上、普段は立ち寄れない場所であっても、今は押して行く事は可能だった。


「そなたらと、何でもない日常を、馬鹿な遣り取りしつつ過ごせた。それ以上は望まぬよ」


「何とまぁ、いじらしいコト言うじゃない。因みに、ウチの神様ならなんて言うかしらね?」


「……うん?」


 唐突に水を向けられたミレイユは、暫し考え込む素振りを見せてから、あっけらかんと答えた。


「やはり、ゲーセンか遊園地じゃないか? 私はそれが凄く好きだ。映画なんかも良い。当たり外れはあるが、時に素晴らしい物語は心を打つものだ」


「ほぅ、それならば、能を是非とも見て欲しいところよ。映画と違って、いつでも見られるものでないのが惜しいところじゃが……。今日いきなり、見たいと思っても無理であろうな」


「それ以前に、能とか全く興味がない」


 バッサリと斬って捨てたミレイユに、オミカゲ様は驚愕にも似た表情を向けた。


「ない? 興味が? 全く? 有り得ぬじゃろう……」


「何をもって有り得ないなんていうんだ。爺さん婆さんしか見ないようなモンだろうが」


「何を失礼な。それに、我を題材とした演目もあるのだぞ。実に興味深かろうが」


「いや、別に……」


 ミレイユがツンと顔を逸らせば、オミカゲ様がその顔を追ってしがみ付く。

 顔を自分へ向けさせようと顔を伸ばすのだが、ギリギリの所で届かない、熾烈な攻防が繰り広げられていた。


「気になるんじゃろうが、本当は……! 正直に申せ……!」


「ならないって言ってるだろ! 離せ、馬鹿!」


 それを外から見守るアヴェリン達の視線は温かい。

 どうにも暗い方向に傾きがちなオミカゲ様を、その度にミレイユが戻しているようでもあり、その不器用な心遣いがアヴェリン達の頬を緩ませた。


 両者ともに、敬われるばかりの神である筈が、今だけは仲の良い姉妹がじゃれ合っているようにしか見えなかった。

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