守り、守られたもの その8

 ミレイユとオミカゲ様の微行は、それからも穏やかに進行した。

 時間はまだ昼を少し過ぎたばかりで、未だ余裕はたっぷりとある。


 ただ、オミカゲ様が予定に組み込んだものは、彼女が口にした通り、縁日を共に歩くことだけだった。

 一日の最後に訪れたい場所はあっても、それまでは殆ど自由時間みたいなものだ。


 そうとなれば、行き先はミレイユが好む場所が優先された。

 この世界、この時代でなければ出来ない遊びは多くある。

 その一つに魅了されて止まないミレイユは、ゲームセンターへ突撃しようとしたのだが、そこでもまた一悶着あった。


「いや、行くというなら、先に競馬が良かろう! 軍資金を増やすのが先決!」


「軍資金……? 何だ、今日一日で使える金額に、上限でも決められてるのか?」


「まさに、その通り……。感謝せよ、そなたらの分は、我の来月のお小遣いから、前借りしておるものなのだぞ」


「何だ、それは……。やけに、みみっちぃな。遊ぶ金くらい、幾らでも上限なしに出して貰えよ……」


 ミレイユげんなりとした言い分には、静かな否定と首振りで応じられた。


「宮内費にはそれこそ、交際費や予備費が組み込まれておるものだが、これは当然公的な行事にのみ適用されるもの……。こうして隠れて遊ぶ微行には、そうした金銭は割り当てられぬ。当然、今回の全ては私費で賄う必要がある」


「それで使える金額というのが、僅か数万円か……。神というのに、何とも侘しい金額だな……」


「我の生活に必要な全ては、そもそも宮内費で賄われるからの。大体、現金など我には必要ないのだ。宮下ぐうかで遊ぶなど、有り得ぬこと故な」


「まぁ、分からん話じゃないな……」


 まさか神宮の外に出て、遊びに興じているなど、誰にも想像できないだろう。

 時にオミカゲ様は、雷の化身として敬わられている。

 雷神と戦神の側面を持ち合わせ、鬼と悪人には容赦なく、その雷を落とすという。


 そうした逸話があるから、雲の上に寝そべり、そこから泰平の世を見下ろす事さえあるとされ、それを信じる者もまた多い。

 有名な屏風絵があって、そのイメージが先行しているのだ。

 実は先程まで、屋台のたこ焼きを頬張っていたなど、誰にも想像できない事態に違いない。


「しかし、競馬か……。有り金が全部、スられて終わるオチが容易に想像つくんだが……」


「任せよ、我は馬には一家言持つ故な。我と馬の縁は深く――」


「オミカゲ様」


 上機嫌に語り始めたオミカゲ様の言葉を、冷徹な声が遮った。

 そこには穏やかな笑みを浮かべつつ、その背後に炎を滾らせた鶴子が居た。


 それまで決して表に出ず、細やかな気配りとと共に給仕に徹して、皆の世話に徹していた彼女だ。

 それが忠言に見える形で声を挟んできたとなれば、その意味は明らかだった。


「う、うむ……。競馬はちと調子に乗りすぎたの。神が賭け事などあってはならぬ。当然の事よ」


 敢えて顔は向けず、ちら、と視線だけ向けると、鶴子は穏やかな顔で首肯した。

 それでとりあえず、危機を脱出したと見たオミカゲ様は、続けて顔色を窺いつつ言葉を探す。


「あー……、それなら、ちょっとした遊技場も……。えー……、ゲームセンター、などは……」


 ちらり、ちらり、と視線を向け、そこに怒りを表す気配がないと見るや、あからさまにホッと息を吐く。


「という訳で、いざゲーセンに赴かん」


「何か……、何だ……。非常に見逃せない遣り取りが、お前たちの間にあったように思うんだが……」


「は? いや、意味が分からぬ。我が誰かに頭が上がらぬとでも? 有り得ぬことぞ」


 ミレイユが痛みを堪える様な素振りで、眉間に指を添える。

 しかし、これにオミカゲ様は完全に黙秘の方向で、とぼける事に決めたようだった。


「いや、力関係すら時に逆転するのが、お前たちだった気もするな……。まぁ、強力なストッパー役が居るのは、結構な事だが」


「いや、分からぬ。そなたが何を言っているのか、我にはまるで分からぬわ。――さぁさ、参ろうぞ」


 言いたい事を言って、オミカゲ様は勝手にズンズンと歩き始める。

 しかし、それに付いて行こうとする者は、誰一人としていなかった。


 ミレイユが動き出さないのも理由の一つだが、そもそもオミカゲ様が向かっている先は石階段の方面だ。

 つまり、そのまま進めば、帰り道にしかならない。


 途中で気付いたオミカゲ様が、ピタリと足を止めて暫し……。

 同じ動きなのに、その速さは二倍以上という良く分からない離れ業で帰って来るなり、ミレイユの横へと並ぶ。


「ほら、さっさと準備せい。時間は有限ぞ!」


 誰もが失笑を噛み潰し、ミレイユは苦虫を噛み潰しながら眉間を揉んだ。

 そうして動かない姿に堪り兼ねて、オミカゲ様はその手を取って、ミレイユを引っ張り始める。


 ミレイユは今度こそ失笑して、オミカゲ様の好きに任せた。

 そもそも、手近なゲームセンターなど知らないミレイユは、オミカゲ様のナビに頼る他ない。


 だが、長く生きているといっても、どこに何があるのか、大雑把にしか知らないと判明するのは、その直後だった。


「……はて、この辺りには、金具問屋があった筈なのだが……?」


「問屋ってお前、いつの話だ? まさか江戸時代から地理情報、更新してないとかじゃないだろうな?」


「そなた、あまり我を馬鹿にするでない」


 オミカゲ様は憤慨する振りをしながら、胸を張って自らの知識を開陳する。


「問屋の存在は、昭和の時代にあっても珍しいものではなかったのだぞ。数を減らしていたのも事実であるが、されど問屋の存在意義というのは……!」


「はいはい……。それは良いが、どちらにしても、問屋なんてこの辺には無さそうだぞ。分からないんなら、その無駄に持ってるスマホで探せよ」


 ミレイユが腕を振り払って指を突き付ければ、虚を突かれた顔をして懐を探った。

 大事そうに両手で持って、掲げるにも似た仕草で、ミレイユに見せつけてくる。


「分かった、分かったから。一々、自慢するな、鬱陶しい。早く探せ」


「何ぞ、淡白よの、まったく……。注文が多いのぅ」


「いいから、愚痴を言う暇があったら、とっとと探せ」


 ぐちぐちと言いながら、スマホを弄り始めたオミカゲ様を、ミレイユは忌々しいものを見るように視線をぶつける。

 それを背後から見ていたユミル達からは、忍び笑いが絶えず起きていた。


「楽しそうだな……」


「そりゃ、見てる分には楽しいから」


「ミレイさんも、オミカゲ様には形無しですね」


 ルチアからも揶揄するような笑みを向けられ、ミレイユはただ苦々しく顔を歪め、何も言葉を返さなかった。

 アヴェリンこそ何も言わなかったが、その表情を見れば、ルチア達と同じ様に思っているのは良く分かる。


 そうして、ミレイユが忸怩たる思いをして待つこと暫し――。

 オミカゲ様はようやく位置を割り出して、目的地へ向かったのだが、そこでもやはり問題が起こった。


「ほぅ、パンチングマシーンとな。どれ……、我が少し、どれ程のものか試して進ぜよう」


「やめろ、馬鹿。店ごと吹き飛ばす気か……!」


 基本的に、普段から大層強くその力を抑えているオミカゲ様だが、その実力は折り紙付きだ。

 マシーンのまと部分だけ壊せば御の字で、力の押さえ加減によっては、比喩ではなく発生する衝撃だけで店は半壊する。


「ほぅ、クレーンゲームか。我はこういうのこそ得意ぞ」


「お前、念動力使ってるじゃないか。インチキするな……!」


 この手のゲームは素人がやっても、そう簡単に取れない様に調整されている。

 特に景品を掴むアーム部分が弱くされている事も多く、持ち上げるのではなく、引っ掛けるような取り方をしなければ、獲得は難しい。


 取れない事に業を煮やしたオミカゲ様は、アームで持ち上げた様に見せ掛け、実際は理術を用いて取った様に見せていた。

 オミカゲ様が頭を叩いた事で、景品もポロリと落ちて、結局獲得には至らなかった。


「分かった。お前には常識がない。お前を外に出し渋ってた者たちの、本当の気持ちが分かった気がする」


「何を失敬な。常識がないのは、どこまでも取らせる気のない、あの筐体こそであろうが……! 我のなけなしの五百円が、無惨に飲み込まれたのだぞ!」


「分かった、分かった。だが、お前に遊戯施設の出入りはまだ早い。もっと常識を身に着けてから来い」


「何故、そなたにそこまで言われぬとならぬのじゃ……! 我はよう知っておる! 世の理、普遍的価値、人間真理、アレもコレもよ……!」


「そんな御大層な話、してないだろうが……!」


 ミレイユはオミカゲ様を羽交い締めにして、店の外へ連れ出す。

 まだ遊ぶと駄々をこねる様は、まるっきり言う事を聞かない子どもそのものだった。


 最終的に、腕を振り回し暴れるオミカゲ様の拘束には、アヴェリンまで駆り出された。

 流石に抵抗は無意味と悟ってからは、アヴェリンに抱かれるままになっていた。

 その上、中々満更でもないらしい。


 予定とは違い、少し早い時間となってしまったが、そこで本来の目的地へ向かう事になった。

 目的地はスカイツリー。

 その最上階の屋上展望台だった。


 観光地として人気スポットだけあって、人の数はやはり多い。

 既に夕暮れ近くとなっていて、西の空に落ちていく茜色が目に染みた。


「美しい光景だが……しかし、どうしてここへ?」


「そなたに……、そなたらに感謝したかったからだ」


「うん……? それなら既に、十分して貰ったろう?」


「いや、それはそなたにとってであって、我にはまだ先の事だ」


 神宮変事における戦勝祝賀が行われるのは、これより先の事だ。

 その時、大層な儀式を伴い、神から神に対して相応しいだけの謝辞も送られる。

 しかし、それを知っているのは、この時点では確かにミレイユ側だけだった。


「だが、礼は既に受け取った。何より自分の為だ。改めて言われる事でもない」


「そなたにとっては、そうかもしれぬ。しかし、我にとっては何度言っても足らぬ事なのだ。見よ……」


 オミカゲ様の示した先には、何ものにも遮られず見渡せる世界が広がっている。

 眼下に拡がるのはビルの群れ、そして遠くへ続く文明の光だった。

 そうして遠くに見える山々には、太陽の光を反射して綺羅びやかな光を発していた。


「昔は山も空も、もっと広かったように思う。人と文明の歩みとは、そうしたものを削る行為なのかもしれぬな……」


「変わらぬものなどないからこそ、だろう。未知への探求は、神にも止められない」


「……かもしれぬ」


 言葉を零す様に言って、それからオミカゲ様は儚げに微笑んだ。


「なれど、それこそ、そなたが守ったもの、そして我が守りたかったものなのだ。そなたにとって、既に遠い過去かもしれぬが、確かにあったのだと知って貰いたい。そなたに感謝する者が、こちらにも確かにいるのだとな……」


「……もしかして、私が何を考えていたか、知ってたのか」


「分からいでか。自分勝手だ、分不相応な、などと考えぬで良い。頼みあらば、決して蓋せず口にして貰いたい」


 ミレイユは小さく頷く。

 眼下を……そして、地平全てを見渡す先に生きる、全ての人の事を思った。

 ミレイユだけの力ではないが、その力なくば、決して望めない光景でもあった。


 そして次に、ミレイユの世界を覆う暗雲を思う。

 それを振り払うに必要な力は、余りに乏しい。

 

 恥を忍んで、恥と知っても――。

 そう思い、飲み込んでいた言葉があった。


 ミレイユは、隣に立つオミカゲ様へと視線を移す。

 彼女は明確な言葉として出さず、その真意を悟って背中を押してくれた。

 それに謝意を示す様に小さく頭を下げ、改めて朱色に染まる町並みを眺めた。


「綺麗だな……」


「そうとも」

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