不条理の打開 その8

「さて、現状の理解は深まったろう……」


 レヴィンが怒りを持て余し、嘆きにも似た感情を胸の中で暴れさせている時、厳かに聞こえる声音が響き渡った。

 声の主は大神レジスクラディスで、機嫌よく振られている尻尾の一房を、その腕に抱いて撫でている。


 緊張感を削ぐような格好である筈なのに、それを神が行っていると思えば、厳かに思えるから不思議なものだった。

 レヴィンは表情と態度を改め、背筋を伸ばし拝聴する姿勢を取る。


「お前たちは手駒として利用されていた……が、それより更に悪辣で、悪質な暗殺者として使われた。それも失敗する前提で、が起きれば僥倖という下らなさだ。反撃の際、手元が狂って私自ら害したら、さぞ気落ちすると考えたからでもあるだろう」


「悪辣……、確かに悪辣……いえ、それより尚悪い。邪悪です。余りに邪悪な……ッ!」


「お前の怒りは正当で、報復を考えるに相応しいと思うが、私はそれを止めたいと思う」


「何故です……!?」


 レヴィンは思わず身を乗り出そうとし、素早く手を上げたユミルに止められる。

 その咎める視線へ素直に頭を下げ、それから続く言葉を待った。


「理由は明快。弱いからだ」


 レヴィンは息を呑んで、視線を下げた。

 侮辱されたとは思わない。

 実直な発言をしただけであり、事実を述べただけに過ぎなかった。


 しかし、やはり屈辱とは感じていた。

 その発言自体に、ではない。

 自らの無力と、自らの不甲斐なさから来る怒りが、屈辱と感じさせていた。


「返り討ちに遭うと分かって送り出すのは、果たして優しさか? 自由意志の尊重……それは大事かもしれない。だが、敢えて正しい言い方をするなら、それは見殺しと言うべきだ。だから止めた」


「我々は、復讐の機会すら得られない、のですか……ッ?」


「そうは言ってない。敢えて死にたいと願うなら、止めるつもりはないからな。ただ……」


 そこまで言うと、言葉を切って視線を外へ移した。

 何かを見たくて移したのではなく、何かを誤魔化す為に逸らした視線だ。

 今は尻尾を撫でていた手も止まっていて、神獣が不満そうに唸り声を上げている。


「まぁ、言い易くはないわよねぇ。単に心配されてんのよ、アンタ達」


「まさか……」


 レヴィンは反射的に言い返した。

 神が個人を見る事や、思う事はない。

 手助けする事も皆無ではないが、今の発言からは、そうしたものと性質は違うように思えた。


 レヴィンが期待を込めた視線を向けると、つまらなそうに息を吐き、抱いた尻尾を手漉きで動かしながら、会話を再開させる。


「ユミル……、あまり軽率にそういう事を言うなよ」


「あら、ごめんなさいね」


 そう言って笑い、軽薄にも見える調子で片目を瞑る。

 しかし、彼女がすると単に軽薄だけでなく、魅力的に映るのだから不思議なものだ。

 その彼女が、ミレイユへ続きを促すように、レヴィン側へと手を動かす。


「実際のところ、お前たちはこれから……程なくして、あちらの世界へ連れ帰るつもりでいる。そこでは、淵魔との戦いを再開する事になるだろう」


「ハッ……! 望むところです!」


「お前達は淵魔と戦う場合において、信頼を預けられる戦士として認識している。しかし、戦う相手は淵魔だけに留まらないだろうし、より強力な混合体ミクストラと相対する事にもなるだろう」


「しかし、そう仰るからには……。大神レジスクラディス様は、我らの力不足をご懸念ですか」


 レヴィンの質問には、無言の首肯で応じられた。

 口惜しく思いはしても、それを仕方ない、と認める気持ちもある。


 辺境領で戦う場合において、強力な混合体ミクストラと相手にする機会はまず起こり得ない。

 付近からは魔獣や魔物を徹底的に狩り出しているせいで、餌として取り込むものがいないので、発生し得るのは人型ばかりとなるのだ。


 そうした淵魔とて、決して油断できる相手ではないが、複数の何かを食らった混合体ミクストラより弱いのは間違いない。

 ロシュ大神殿での決戦においても、レヴィンは痛感したものだ。


 何を取り込んだかによって、淵魔の戦力は様変わりする。

 外見からどういった攻撃をするか、完全な予測は難しい。

 初めて戦う相手だろうと、どういう特徴を隠し持っていようと、それを看破し対応しきる実力が必要だ。


 そして、大神レジスクラディスからすると、そうした対応が出来る戦士ではない、と見られているのだった。


「しかし……!」


 お眼鏡に適わなかったとしても、だからとレヴィンは即座に諦めたくなかった。

 アルケスに向ける怒りは正当だと、大神レジスクラディスは認めた。

 ならば、それを晴らすだけの機会を掴み取る努力は、求めても良い筈だった。


「どうか、猶予を頂きたいのです。現状、我らは力不足であるというご指摘は、ご尤もだと痛感しております。しかし、あれだけアルケスめに虚仮にされた上、主戦場から外れた場所で雑魚狩りに勤しむなど出来ません……! どうか、大神レジスクラディス様!」


「ふぅん……?」


 興味深そうに値踏みして、声を上げたのはユミルだった。

 大神レジスクラディスは表情を変えずに、ただ真っ直ぐに目を向けていた。


 一切の熱意を感じない視線で、好意的な色は浮かんでいない。

 だが、背後で侍るアヴェリンからは、その逆、期待を感じさせる目を向けていた。


「……ミレイ様、よろしいのでは?」


「お前は賛成か、アヴェリン。……そうだな、お前の師匠心に火が付いたか?」


「御冗談を。ただ、進む先が地獄と分かって尚、進む気概を持つ者は好ましく思えるだけです」


「……なるほど?」


 背後に顔を向け小さく笑い合うと、再び視線を戻して、それぞれに目を合わせる。

 最初から決意を固めていたレヴィンはともかく、他の二人も同じだけの熱量を発して見つめていた。


 一蓮托生、あるいは同舟相救う、というつもりで、互いに結束を固めている。

 彼ら彼女は主と臣下の間柄だが、それを超越した関係を築いているからこそ、言葉で確認する事なく、同じ方向を向いていた。


「まぁ、そういう事を言う様な奴らだと、分かっていたようなものだしな……。お前たちの使い途は正直、難しいところがあるんだが……」


「それは実力的に、でしょうか?」


「それも含まれる。何より、あちらに帰ってから、どう動かすべきかが問題だ。下手な動きはさせられないが……」


 迷った素振りを見せた所で、ユミルから悪戯好きの笑みと共に提案が投げられる。


「いや、案外使い途あるかもよ。特に、神使ではない人間であるコトが重要じゃないかと思うのよ」


「監視の目が緩いか?」


「というより、眼中にない。最初から見えてない者なんて、目に映らないでしょ? 道の外れに落ちてる小石なんて、視界に入っていても、見えてないのと同じ理屈よ」


「……そうかもな」


 散々な言われように、レヴィンは思わず顔を顰めてしまった。

 しかし、彼女達の実力と比較されたら、そうした評価になるのも致し方ない。

 レヴィンの口元には自嘲にも似た、乾いた笑みが浮かんだ。


「えぇと……それで、俺達……いえ、私どもは……?」


「そのまま使うには不安があるわねぇ」


「えぇ、確かに……路傍の小石は、余り役に立てないかもしれませんが……」


「まぁ、何事も使い様よね。小石が岩壁に化けた事例も知ってるし」


「では……!」


 希望が開けてレヴィンは顔を綻ばせたが、代わりにユミルが嫌らしい笑みを浮かべる。

 彼女がこうした笑みを浮かべると、要注意の兆候だと、レヴィンは既に知っていた。


 ユミルが一歩近付くのに合わせて、レヴィンもまた一歩後ろに引く。

 逃げた分だけ追って来る彼女に合わせて、更に五歩下がった所で、嫌らしい笑顔ののまま口を開いた。


「アタシ達、まだこっちでしばらく残る予定なのよ」


「それは……大丈夫なんですか? つまり、あちらの動向というか、横暴を許す破目にもなるわけで……」


「そこは大丈夫。というか、何かするまでに帰還するし、何もさせないつもりでいるから」


「……そう、なのですか。いえ、私が何を文句つけられる立場でないのは、十分承知してますが」


 結構、と短く首肯して、ユミルは続ける。


「で、戦力不足の件だけど、少しこちらでその腕、磨いてみて欲しいのよね」


「はい、それは勿論、異存ありません。力が足りないなら、足り得るべく磨き、努力するのは当然ですから」


「うん、アンタらはそういうヤツよね。じゃあ、早速だけど、移動して頂戴」


「今から……、ですか?」


 レヴィンが面食らって問い返すと、当然だと言わんばかりに頷いた。


「アンタらの場合、幾ら時間があっても足りなさそうだから」


「つまり、ユミル様やアヴェリン様にご相手頂ける……と?」


「何でよ。そんな面倒なコト、率先してやってやるワケないじゃない」


 ユミルは小馬鹿にした様に笑って、それからひらひらと手を振った。


「相手になる奴を手配するわ。何かを教えるのが得意な奴とか、アンタらに近い実力を持つ者とか、こっちには沢山いるからね」


「しかし……」


 そこで口を挟んだのは、成り行きをただ見守っていたアヴェリンだった。


「呼ぶのは良いが、約束など取り付けてないだろう」


「いらないでしょ。迷惑になるかどうかも気にしないわ。こっちが来いって言ってんだから、来る以外選択肢ないのよ」


「まぁ、神の思し召しとあらば、こちらの隊士は喜んで駆け付けるか……」


「とはいえ、オミカゲ様に許可を取らず、勝手するのは拙いですよ」


「勿論、そちらにはきちんと話を通す」


 ルチアからの指摘には、大神レジスクラディスも、しかと頷いて返事をした。

 自らの提案が通らないなど、微塵も考えていない口調だった。


 こちらの隊士が、どういう考えで神に仕えているか、良く知っているからこその言葉だ。

 口の端には笑みが浮かんでいて、窓の外を見る目は、更に愉快そうな色を映していた。

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