幕間 その1
とある日の事だった。
神明学園の一画が、にわかに慌ただしい雰囲気になっている。
――神明学園。
それは、とある特殊な才能を持った若者を集める、完全スカウト制の高等学校だった。
またその実態は、異界からやって来る鬼と戦う、世間に秘匿された養成機関である。
卒業者の多くは神宮運営直下、御影本庁への就職が決まっているので、一般にはエリート養成校として知られる。
しかし、鬼と戦う義務も同時に発生する為、理力持つ者を正しく使えるよう、指導する場という側面が強い。
一般的に、理力や異界からの侵略者など、全く知られていない存在だ。
フィクションの中だけにあるもので、漫画やテレビから飛び出してこないものだと信じられている。
オミカゲ様という存在が広く一般に認知されていても、魔法めいた力を振るえるのは、あくまで神様だけというのが、世間の認識だった。
だから、異界からやってくる魔物を鬼と呼び、それと日夜戦っている存在がいるなど、全く予想だにしていない。
しかし、この学園の生徒は、それが事実だと身を持った体験と共に知っている。
いずれ世のため人のため、そしてオミカゲ様の理念の元、その力をお役に立てるのだと奮起していた。
しかし、それも半年前に起きた、神宮事変で変化が生じる――。
異界からやって来る鬼が溢れ、大侵攻によって一時、世界が滅びかねないと本気で危ぶまれた。
しかし、この世には日本を守護給う神、オミカゲ様がいる。
そして、オミカゲ様よりも戦闘面において強力な、御子神までもがいた。
二柱が共同で立ち向かった結果、悪しき存在は根本から消え去り、世に平穏が戻った。
以降、湧き出る鬼もいなくなり、日々それらと戦う隊士達も不要不急の存在となった。
突如と出現しなくなったとはいえ、絶対の安全を保障するものではないので、いきなり解散されたわけではない。
しかし、これからの展望であったり、これまでの誇りを思い、胸に穴が開いた様に感じる者は多かった。
そしてそれは、この学園に通っている
自室の勉強机に肘を付き、窓の外を見ながらポツリと呟く。
「もう、あれから半年も経つっていうのに……。未だに信じられない思いがする……」
アキラがその戦いに身を投じたのは、ほんの一年前からに過ぎなかった。
それまでは他の一般人同様、魔法や魔物はフィクションの中にしかない、と固く信じていた。
だが、ほんの些細な切っ掛けから、この世の裏に潜む真実を知った。
そして、自ら武器を取って戦い、血が滲むような努力の果てその実力を認められ――最終的には魔術刻印を宿して、神とさえ戦っていたなど信じられない思いがする。
アキラは椅子の背もたれに体重を押し付け、両手の甲を見た。
無骨で武人然とした手の甲には、確かに魔術刻印が刻まれている。
幾度も己の命を助けられ、そして仲間を助けてきた刻印だった。
『年輪の外皮』、『追い風の祝福』……。
この二つはアキラにとって、単なる刻印以上の意味がある。
外付けで魔術が使えるようになる本来の意味合い以上に、これを与えられた事そのものに意味があった。
「今頃、何をしておられるのだろうか……」
――お前が私の最後の盾か。それも、面白い。
――そうだな、付いて来い。
いつも泰然としつつ、どこか面倒そうに何かを見る姿は、今も強くアキラの脳裏に焼き付いている。
彼女は恩人だった。
しかし、単なる恩人以上の、偉大なる存在でもあった。
彼女が与えてくれたものは数多く、それら全てがアキラの財産となっている。
アキラは部屋の隅に立て掛けられた、彼女自ら鍛造した愛刀へ目を向けた。
最初から最後まで、常に共にあり、常に頼りとして来た武器だった。
不壊の付与が為された逸品だから、刃こぼれの心配もないとはいえ、今も手入れは欠かしていない。
アキラがして来た冒険は、彼女を基点として始まったものだが、常に彼女ばかりと共にしていたわけでもなかった。
その半分は、また別の者達と行動を共にしていて、その密度で言えばどちらが上とも言い切れない部分がある。
「元気にしてるだろうか……」
異世界で出会い、異世界で関係を深めた彼女ら――。
それはアキラにとって、今では大切な存在として昇華されている。
離れ離れになってしまったが、また再開する機会は与えられていた。
これより半年後には、戦勝記念祝賀会が行われる予定で、その際、彼女たちも招待される予定だと聞いている。
その彼女らへの思いも、少々複雑だった。
誰もが自分にとって、今を形成する大事な人達、という認識は変わらない。
助け合う仲間であり、信頼できるパートナーでもあった。
ただし、そこに込められた熱量には大きな隔たりがある。
アキラが遠い空に想いを馳せている時、外からの慌ただしさが、ようやく届いて来た。
部屋の前の廊下を行き来する複数人の何者かがおり、それでアキラも何をしているのか確認してみる気になって来た。
「なんだろ……」
何しろ、この学園に男子の数は少ない。
寮内といえども、廊下での私語に厳しい校風もあった。
軍学校の様な側面を持つので、自然とそうした規律の厳しさがある。
アキラが部屋の扉を開け顔を覗かせると、丁度知り合いが通り過ぎる所だった。
いや、知り合いという程、浅い付き合いの友人ではない。
共に死地で戦い、神宮を守り抜いた戦友の一人だった。
「漣、どうしたの? ……何かあった?」
アキラが険しい顔をさせたのは、その戦友が御由緒家の人間だったからだ。
その血を辿ればオミカゲ様へ行き当たる、日本に五家しかない貴族家の人間でもある。
その彼が慌ただしく動いているとなれば、何か重大事だと予想できるのだ。
それは例えば、この半年ぱったりと出現の途絶えた、異界からやって来る鬼に対しての事かもしれない。
アキラが険しい顔をさせて尋ねると、漣の方が、むしろ険しい顔をさせて疑念の眼差しを向けてくる。
何もしていない事を、咎める様な視線にも見えた。
だが、何事に関しても真面目な気質のアキラは、指示があればそれをサボったりしない。
それで尚のこと分からなくなって、アキラは素直に疑問をぶつけた。
「どうしたのさ、一体。……緊急?」
「いや、緊急……つーか。何してんだ、お前。何も聞いてないのか?」
「何かしら指示があったら、勿論それに参加してるよ。伝達間違いでもあった?」
「あぁ、御由緒家なら当然……って、そうか。お前の場合、立場が未だに定まってないんだったか……。本家筋なら強制参加みたいなもんだし、必要なら本家から連絡来てるだろうし……。あっちはどう考えてるんだ……」
要領を得ない発言に、アキラも首を傾げて訝しげに見る。
漣に嘘を言う気がないのは伝わるものの、さりとて、どう伝えるべきか迷っている様に見えた。
そもそも伝えて良いか迷っている節もあり、事態が飲み込めず、アキラは更に混乱する事になった。
「鬼が出た、とかじゃないんだね?」
「いやいや、そういうんじゃねぇ」
「なら、良かった」
半年ぶりの凶報ではなかった。
現状、最悪の事態と推測できるのはそれぐらいだ。
その予想が外れたなら、深刻に考える必要はないのだと、アキラは胸を撫で下ろした。
「じゃあ、何かやって欲しい事とかある? あれば手伝うけど」
「いや、そういうんでもねぇな……。学園とは直接、関係ない事だろうから……っていうか、お前何も聞いてねぇの?」
「……何が?」
そうと言われても、アキラに思い当たる事は何一つなかった。
学園内のカリキュラムにおいても、本日何があるとは伝わっていない。
大体、今日は休校日を当てられているのだ。
何がなくとも、御影本庁の養成機関ともなれば、突然の呼び出しについて、いつでも応じられる準備をしておく必要はある。
だが、漣の顔を見る限り、そうした内容でもないらしく、アキラは更に首を傾げる羽目になった。
漣は決まりが悪そうに頭を掻く。
それから顔を逸らして、直接話してない、という
「いやホラ、近々祭りがあるだろ。オミカゲ様の。御由緒家は基本、そういうの絶対出るし、本家筋は重要なお役目に就く事も多いからよ。じゃあお前もって、俺は勝手に思ってたんだが……」
「あぁ、二十年に一度の……。でも、僕は絶縁された家系の人間だからなぁ……。本庁にも就職しない予定だし、汎ゆる意味で関わらせる意味がないんだよなぁ」
「就職せずに異世界に行くって話か? まぁ、そう焦って結論出すなよ。そこんとこは、今後詳しく話をするとしてだ……」
「何を言われても、変えるつもりないんだけど……」
現世に未練がないと言えば、嘘になる。
この学園を始め、友情を深めた人間はおり、また世話になった人間も多い。
異世界に渡る事は、二度と日本へ帰れなくなる事を意味しないが、それと同等程度の覚悟を持っていくべきと思っていた。
骨をその地で埋める気でいるし、その程度の覚悟なくして、行くべきでもなかった。
海外旅行で遊びに行くのとは違う。
異世界は魔物の溢れる、暴力の世界だ。
その地で神として生きるミレイユには、多くの手助けがいる筈で、その一助となれるのなら、骨身を惜しむつもりもなかった。
アキラにはそれだけの覚悟があり、そして、その為に現世の全てを投げ捨てる覚悟でいる。
「まぁ、そう急ぐなって。……でだ、祭りの運営は当然、神宮だから、その直下の本庁も何かと駆り出されるんだよな。組合本部のテント設営とか、簡単なものなら、学園でも協力してんのよ。俺はそっちと別件で呼ばれてるんで、行かなきゃならねぇ」
「そうなんだ、じゃあ僕は学園側の参加で行くよ。いずれにしても、今はお世話になってる身だ。手が多くて困る事なんてないでしょ」
「ま、そうだな。学園の生徒数は少ないんだ。邪魔だから帰れって言われる事ぁ、ないだろうよ」
アキラは頷き、自分の部屋に取って帰る。
急いでジャージに着替えて、適当に身なりを整えて外へ出た。
部屋の外にはアキラを待ってくれていた漣がいて、途中で幾人かの生徒と合流しながら駆け出して行った。
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