毒花黒樹 その2

 向かうに決まったは良いものの、今度はどうやって向かうかが問題になった。

 何しろ、今もモルディは孤軍奮闘の真最中だ。


 インギェムの権能で、大樹の傍へ出現したその時、視界の範囲に彼女がいたら……それだけで何らかの『災禍』に遭う可能性がある。


 ミレイユは難しい顔をさせて、傍らのインギェムに問い掛けた。


「モルディはお前が移動させたのか?」


「いや、自発的だ。己の神器を、アイツに持たせてたからな」


「あぁ、そうか……そうだった。それに『守護』の神器もあるからな……。滅多な事は起こらない、と踏んでの単騎特攻なんだろうが……。今も戦闘中なら、そこへ直接乗り付けるのは怖い」


「まぁ、戦闘中だと思うけどな。あれから一度も、己の神器を使った形跡を感じられない」


 インギェムが言うのなら、まず間違いないだろう。

 そして、それならばやはり、ミレイユが先行してモルディの権能を無効化し、事情を聞いた上で退避させる行程が必要となってくる。


「だったら、まずドーワで移動して、途中から私単独で先行……の方が危険度は少ないか」


「まぁ、出会い頭にバッタリ『災禍』に見舞われたんじゃ、勝てる戦いも勝てやしねぇよ……」


 ミレイユの懸念を正確に言い当て、インギェムはそれから、くたびれた笑顔を浮かべた。


「それで……己はどうして欲しい? 運送屋として何が出来る?」


「可能ならば、無事な者達を逃がして欲しいが……。どれだけ無事か分かったものじゃないな。各陣営の強者は、黒粉の影響を受けていないかもしれないし、だとしたら現在、孤立した状況だろう」


「まぁ、無事だったからって、素直に喜べないだろうな。同胞から逃げるばかりで、攻撃なんて出来ねぇだろうし……」


「そして、それこそが黒粉がもたらす、もう一つの作用かもしれない。ろくな反撃が出来ず、結果変貌しなかった奴は淘汰される。結局、変貌者だけで地に満ちる……という思惑が叶う」


 そして、だから変貌者は積極的に、人を襲うのだろう。

 全ては推測でしかないし、確証を得られないことではある。


 この神殿内では、変貌した者の方がよほど少なく、変貌者にとって周りは敵だらけの状況だった。


「だが、まぁ……分かった。現地の様子は、ちょっと確認するのが怖いくらいだ。しかし、あれじゃねぇのか? 現状はよ、兵士の数がそのまま淵魔に置き換わったみたいなモンだ。それなら、ここにまた攻めて来るんじゃねぇか?」


「その可能性はある……というか、多分そうだな」


「拙いじゃねぇか……!」


「あぁ、拙い。だから今から、更なる防備を固めるしかない」


「……大丈夫そうか?」


 インギェムは労しい視線を、ミレイユへ向ける。

 そして、強制的に支配された人間が、ここに大挙して押し寄せたとしても、素直に防衛できるか疑問だった。


 何しろ、彼らは純然たる被害者だ。

 洗脳された無辜の民であり、剣と槍を以って追い返すのに、どうしても気が咎める。


 殺せない以上、敵の数は増える一方で、そして数が飽和した時、防御を突き崩して内部へと雪崩込んで来る事になる。


 それが容易に想像出来てしまった。

 しかし、大樹を処理するのは最優先事項だ。


 時間を掛ければ、ここに変貌した人間が殺到するというのなら、その前に何としても大樹の方を解決しなければならない。


 しかし、ここまで用意周到に事を進めた『核』だ。


 これまでの汎ゆる作戦行動は陽動であり、そしてそれは、この日この時……あの大樹を地上に顕現する時間を稼ぐ為にあった。


 どこまでの用意があるか分からず、そして大樹が姿を現した後も、それなりの策が用意されているだろう。


 迂闊に飛び込むのは、いかにも危険と思われた。


「もはや『核』の目的は、人類を根絶やしにする事じゃない。……というより、発送の転換が起きたんだろう。奴の言う“新人類”へと、人間を置き換えれば、目的は達成されるからだ」


「くそ……ッ、如何にも真実って気がするぜ。あの変貌が大規模な範囲で起きてるのは、間違いねぇしな……」


 インギェムが苦虫を噛み潰した顔で言うと、ミレイユも空を睨んで首肯する。


「その“新人類”が地上で埋め尽くされたなら、今さら淵魔など必要ないのだろう。奴は盤面を引っくり返すどころか、全く別のルールを押し付けて来た」


「特に信仰心が拙いわよ。彼らの中から神を敬う心が消えたら、神だって存在できなくなる」


 ユミルの指摘にミレイユは舌打ちし、インギェムは顔を青くさせて首を振る。


「おいおい、冗談じゃねぇぞ。今度はこっちが全人類の敵にされんのか!?」


「不戦勝狙いの可能性もあるな。戦わずとも、黒粉が蔓延してしまえば、我らはは女され、……そして奴の勝利だ」


「ふざけやがって! 絶対ぜってェやらせんじゃねぇぞ! 時間切れ負けなんぞで、ルヴァイルを喪うなんて冗談じゃねぇ! じゃあ己はとにかく……、どれだけ黒粉に抗えた奴がいるか分からんが、確保したらこっちに連れて来る。それで良いな!?」


 インギェムの怒りは相当なものだ。

 しかし、同時に事態を正確に理解していて、自分の仕事に徹しようという意思が感じられる。


「そうだな……。どこだろうと安全とは言えないが、現在はここが最も安全だ」


「お前はもっと焦れ! 失敗したら許さねぇからな!」


 ミレイユとて、焦っていない訳ではない。

 焦る気持ちを抑えて、表に出していないだけだ。


 しかし、それすらインギェムにとっては気に入らないらしく、肩を怒らせながら作った『孔』の中へと入って行った。


 だが、とりあえず――。

 これで少なくとも、無事な者は変貌者だらけの周り全て敵、という状態から脱却させてやれる。


 それだけでも避難の価値はあるだろう。

 しかし、それは別の危険を示唆していた。


 気付いたのはミレイユだけではなく、傍らのユミルが声を上げる。


「……思うんだけど、ここに正常な人間を持ってきてもさ、檻に閉じ込めるのと変わらないんじゃないの? それも殆ど負け戦の檻の中に……」


「その可能性を否定できないから、さっさと移動するべきだと思うんだ。奴に時間切れの勝ち逃げなんてさせるな」


「モチロンよ」


「今はモルディが素早く動いてくれたお陰で、樹木も注意を引き付けられている。我々が機を窺っている間に、最悪な事態にならずに済んだ」


「そうね……。今は最悪かもしれないけど、最低でもないから……」


 実際はモルディと対峙しながらも、『核』は細かく指示出しが出来るかもしれない。

 しかし、今はを考えていても仕方がなかった。


 ミレイユは身体の向きを変え、結希乃へを真っ直ぐに見つめる。


「ここに至って申し訳ないが、お前に守りを任せたい。特に隊士達は、変貌しないと分かっている貴重な戦力だ。防備の要にする他ない」


「ハッ、お任せ下さい、御子神様! 見事その任、果たしてご覧に入れます!」


 結希乃は実直な視線で快諾し、その場に跪いて礼を取る。

 ミレイユはその頭に手が触れない距離まで伸ばし、一言命じた。


「――頼むぞ」


「ハッ、必ずやご期待に添えて見せましょう!」


 更に深く頭を下げた所で、ミレイユは踵を返して頭を上げた。

 今も神殿の屋根を足場にして休むドーワへ、高らかに呼び掛ける。


「ドーワ、聞いてたか? 出発だ!」


「無論、聞いていたとも……。しかし、その黒粉とやら、竜には無害なんだろうね」


 言われてミレイユは言葉に詰まる。

 それもまた、実際に確認してみなければ分からない事だが、今は先を急ぎたいミレイユは無茶と分かって口にした。


「とりあえず乗せてくれ! 変貌があれば、こちらですぐに締め出してやるから!」


「やれやれ……、行き当たりばったりかい。まぁ、今は緊急事態だ……飲み込んでやるさ」


 そう言って一度大きく翼をはためかせると、中庭に飛び降りた。

 大きな地響きが鳴り響かせ着地したのは、少なからずある不快感を表したものだろう。


「そう怒るな。十中八九、大丈夫と思うから、こうして頼んでいるんだ」


「そう願うよ。死ぬのは何とも思わないが、今さら傀儡に成り下がるのはご免だからね」


「……分かってるさ。こっちだってご免だ」


 竜は、かつて神に創造された生物だ。

 しかも、ただ雄大な存在、強力な魔物の頂点として創造されたのではなかった。


 竜とは出来損ないの小神を始末する、処理役としてその意義を与えられた。

 謂わば、神殺しがその役目だった。


 しかし、それもかつての創造神に与えられた役割に過ぎず、そしてその神に捨てられた今となっては従えない役目となった。


 今また、その役目を傀儡として強制されるのは、ドーワにとって酷い侮辱だというのは、当然の認識でしかない。


 ドーワを宥めすかしてミレイユが騎乗すると、それに続いてアヴェリン達も乗り込んだ。


 レヴィン達は畏れ多く感じる故か、一度断られた経験があるからか、即座に乗り込もうとしない。

 誰が最初に乗り込むか、押し付け合っている様にも見えた。


「いいから、さっさと乗れ。緊急事態だし……何より、一度乗ってるだろうが」


「一度乗っていようと緊張しますし、畏れ多い気持ちまでは消えませんよ……!」


 抗議めいた声を出してから、しっかりとドーワに敬意ある一礼をしてから、彼らは乗り込む。

 そうして、いざ飛び上がる時になって、ミレイユは結希乃に言葉を投げ掛けた。


「今の防壁はルチアに張らせていたものだ。ここを離れれば消えてしまう。再度、強固に張り直すよう命じる。結界術士がいれば、いっそ隔絶するのも一つの手だが……」


「お言葉ではございますが、御子神様。そこまでの広範囲を結界で包むには、少々荷が勝ち過ぎるかと……」


「そう、だったな……。日本でも規模の大きい結界が張れていたのは、そもそも個人技ではなかったか……」


「真に、然様でございます」


 結希乃から粛々とした礼が帰って来て、ミレイユは苦笑して更に言葉を投げた。


「ともかくも、あの粉の侵入はなるべく止めた方が良いだろう。私達が攻め込むことで止まるかどうかは未知数だが、いずれにしても……あの大樹を根絶やしにしてれば解決する筈だ」


「そうね、まさしく。辺境領から兵達が、押し寄せるまでには時間が掛かる。それまでに解決すれば済む話よ」


 ユミルから軽い調子の同調があって、ミレイユの口の端に笑みが浮かんだ。


「そういう事だから、しばし任せる。よろしくやってくれ」


 その言葉が終わった直後、ドーワは颶風を巻き起こして飛び上がった。

 急上昇するのに合わせて防壁が取り除かれ、黒粉が中庭へ落ちようとした。


 しかし、それより前にドーワの口から炎が吐き出され、空中一帯を焼き尽くす。

 一時ではあるが空白地帯が生まれ、ドーワはその中を突き進んで行った。


 飛び去る赤竜を見送りながら、結希乃は立ち上がって周囲の隊士達に声を掛ける。


「御子神様の御言葉は聞こえたな! 即座に防壁を張り直せ! 有事に備えて戦闘準備! 修復作業、急げ!」

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