反撃、逆転。そして…… その5

 アイナが上げたその声は、静謐に清められた場面にあって、殊更大きく響いた。

 彼女としては、あくまで小さな声が口を突いて出た、という認識だった。

 しかし、誰一人物音を立てまいと、気を張っていた場面では余り意味もなく、それで誰の耳にも届く破目になっていた。


 アイナは自身へ視線が集中しているだけでなく、それが大きく咎めるものであると気付き、恐縮し切って頭を下げる。

 それは視線から逃れる為にやった、自己防衛的な行動だったろうが、この場ではいかにも拙かった。


 何しろ、神前での事である。

 如何なる不敬も、不遜も許されない場面で、その小さな失態は咎めとして、誰の目にも映ってしまった。


 到底、それを無かったことには出来ない。

 神官長が怒りを持って声を発しようとした、その瞬間――。


「――レジスクラディスである」


 頭上より再び声が落ちて来て、全員が顔を正面に向けて平伏した。

 神がその尊き御名を名乗ったからには、話す用意があるという意味であり、そして、その御名を聞かせるに値する者達と認めたことになる。

 誰もが衣擦れの音すら立てまいと神経を集中し、神の言葉へ耳を傾けた。


「さて、此度の働きだが……、真に素晴らしい。淵魔に対し一歩も退かず、見事立ち向かった。これは単に、脅威から逃れなかっただけでなく、その後の民全てを助く、尊い献身だろう」


 大神レジスクラディスは一度そこで言葉を止めると、次いで柔らかな声音で語りかけた。


「面を上げて良い。いや、此度の艱難に立ち向かった勇士達の顔を、是非とも見せて貰いたい」


 その声に誘われて、神官長を始めとした人達が恐る恐る――そして、僅かな期待も込めて顔を上げる。

 レヴィンもまた、同じ様な心境で顔を上げた。


 彼の場合、後ろめたさが先にあるので、やはり同一とはならない。

 しかし、神へ向ける信奉心に陰りはなかった。

 そうして、その御姿を認めて、やはり本物は違う、と心を新たにする。


 大神レジスクラディスの似姿は、例えば神殿に安置される神像などから見られる。

 美しい女神であるのは周知の事実で、肩に付かない程度まで伸びた髪は茶色で、その目は紅玉よりも輝かしく赤い。


 神御衣かんみそと呼ばれる白い衣服を着用していて、その下には赤袴が穿かれていた。

 どれも一般には見られない被服であり、大神のみが着用を許されているものだった。


 今は赤竜の頭に乗って、周囲を睥睨している。

 胡座をかいた姿勢で肘を上げると、背後からスルリと精霊が現れた。

 姿形は狼よりも犬に良く似ていて、白い毛並みは美しく、その尾は三叉に分かれている。


 成人と変わらぬ肩高と、それに比する体躯を誇る精霊は、大神と直接契約を結んでいる事から、神犬とも称される特別な存在だった。

 その神犬が、自らの頭を肘立ての代わりへ差し出せば、大神レジスクラディスは素直に腕を置いて軽く体重を掛けた。


 神犬が機嫌よく鼻息を漏らせば、睥睨するように視線を動かし、それがレヴィンの所で目に留める。

 すると、鼻にシワを刻んで威嚇し始めた。


「グルルル……!」


 大神レジスクラディスが立てていた肘を下ろし、その眉間を揉まれれば、神犬はすぐに大人しくなった。

 しかし、その神犬がレヴィンを見て威嚇した――その意味は大きい。


 大神レジスクラディスからもまた向けられ、その目が合った瞬間、レヴィンはまるで矢で射抜かれ様な衝撃を覚えた。

 怒りから向けられたものではない。

 しかし、確かに意思ある視線で以って射抜かれた、と感じている。


 その意味までは分からなかったが、特別な感情を持っているのは確かなようだった。

 大神レジスクラディスは慈悲深い創造神であると共に、淵魔を地に封じる戦神でもある。


 その怒りを向けられたらどうなるか、それは直前の大爆発からも容易に想像できてしまう。

 事によっては、レヴィンのみならず、ユーカード領そのものに沙汰を落とされるかもしれない。


 ――何故もっと早く気付けなかった!?

 レヴィンは、今更ながらに後悔する。

 実際に加担した己はともかく、それまで変わらず献身を続けて来た祖父エーヴェルトは元より、領民はそれと関係ない。


 咎がそちらに向かわないよう、何とか言葉を伝えなければならなかった。

 しかし、今この場で突然、それを口にするのも憚られる。

 どうしたら良いか、気ばかりが焦っている所へ、再びレジスクラディスの声が降って来た。


「お前たちの忠義と献身に、改めて感謝しよう。よくぞ戦った。よくぞ生き延びた。誇ると良い」


 そう言って手を横に軽く流すと、温かな光と共に、柔らかな感触までが肌を撫でていく。

 まるで神から直接頭を撫でられ、労をねぎらうかのようで、中には感涙と共に頭を下げる者までいる。


 実際、拝謁と共に労われたとなれば、末代までの語り草と出来るだろう。

 その誇らしさを胸いっぱいに、自分の子や孫に、その時の感動を伝えていくに違いない。

 レヴィンはそれに羨望にも似た気持ちを向け、そしてそれらを懺悔するかのように、真摯な気持ちで頭を下げ続けた。


「さて、此度の難事、何があってこの様になったか、説明が必要と思う。直接かかわり、戦ったお前たちには、それを知る権利がある。――、説明せよ」


「ハッ!」


 その名で呼ばれたが、起立して目前の神に一礼する。

 それから背後へと振り返り、一心に見つめる者達へ、一通り視線を回してから口を開いた。


「此度の淵魔による大襲撃、これについては小神アルケスが引き起こしたものである。それを大神の御意の元、ここに宣言する」


 凛とした声で発した意味は、即座に理解されなかった。

 それ程までに、神と淵魔の戦いの歴史は深く、そして不倶戴天の敵という認識でいる。


 神は淵魔と戦い、これを排斥する意思を揺ぎ無く持っている、と誰もが思っていた。

 しかし、時間と共に意味が咀嚼されて来ると、息を呑む者、ざわめきを発する者など、様々な反応が現れ出した。


 ユミルが小さく手を挙げると、動揺が収まり――とりあえず収まり、次の言葉を硬い表情で待った。


「我々が行っていた調査の元、それが事実であると確定した。その事実を宣言すると共に、小神アルケスをここに告発する。以降、アルケス神殿は封鎖され、一切の参拝は禁止される」


 これには動揺が殆どなく、ただ固く息を呑む気配だけが広がった。


「無論、これはアルケス神に対する制裁であると同時に、万民を危険から遠ざける為の措置である。アルケス神殿は、龍穴に封をするのではなく、淵魔を隠し保管する場所として、蓋をしていたに過ぎなかった。これ以上の犠牲を出さぬ為だと理解せよ」


 ここには大神信者しか居ない。だから、封鎖について動揺は見られなかった。

 むしろ、小神が敵対したという前代未聞の凶事にこそ、大きく動揺している。


 アルケスが大神の名の元に告発された事実は、それだけの衝撃をもたらした。

 広場に集まる信徒たちの表情は、一様に固い。


 レヴィンなどは実情を知っていたので理解は深く、措置について当然だと思っている。

 ロシュ大神殿を襲う為、その近辺のアルケス神殿には、淵魔が隠されていた。


 では、遠く離れた別の神殿に、淵魔は隠されていないだろうか。

 いない、と断定するのは不可能だった。


「また、それを兼ねて考えると、これらは全て神殿建立初期から計画されていたものと推測される。また、悪意を持って行われたのも明白である。これよりアルケスは神敵と見做し、捕縛ないし討滅対象とする。尚、これは現時刻を持って有効となる」


 ユミルが朗々と宣言し、レジスクラディスが大いに頷けば、その場の全員が深く頭を垂れて受け入れた。

 ――神の裏切り。

 それも淵魔と結託する、などという凶事を持って行われた大事件だ。


 前代未聞の凶事であり、受け入れがたい事実でもある。

 しかし、大神がその名の元に、直接顕現してこれに対処すると宣した。

 そうであるなら、これを粛々と受け入れ、協力を惜しまぬ旨を伝える他なかった。


 ――とはいえ、動機は何なのか。

 神が人と世を裏切るなど、生半な気持ちで起こせる事ではない。

 神殿建立時期から行われた計画といい、その執念といい、何がそこまでさせるのか、と思せた。


「以上、大神レジスクラディスの名において、これを布告するものである。以降、神殿各地と連携を取り、これに対抗する運びとなる。本大神殿の防備についても、結界を張って守護するので、心配しなくて良い」


 これには神官長を初めとした、官位を持つ者が揃って頭を下げ、それに続き、他の者まで頭を下げる。

 直接的に自らを助くものでなくとも、神が直々に執り行ってくれる事ともなれば、それに謝意を示すのは当然のことだ。


 五秒間の叩頭礼こうとうれいを済ませ、揃って顔を上げた時、ユミルがレヴィンの目を射抜ぬく。

 それで自らの罪を詳らかにされ、償う時が来たのだと、本能的に察知した。


「レヴィン・ユーカード、起立。御前にて拝謁する御意を与えます」


「――ハッ!」


 声が振るえないよう注意しながら喉に力を入れて発し、背筋を伸ばして立ち上がった。

 既に疲労で膝から崩れ落ちそうだったが、それとは別に神の威光を正面から受け、足が竦む。


 覚悟はしていたつもりだった。

 しかし、実際にその時が来ると、断頭台へ向かうような心境になっていた。


 レジスクラディスから見つめられる視線にも、何の感情も浮かんでおらず、ただ景色を見つめているように映る。

 全く興味を持っていなさそうでもあり、肘掛けに使っている神犬の頭を、一定のリズムで撫でていた。


 レヴィンは兵達の横を通り、神官たちの前を通り過ぎ、神使ら三人の前に立つ。

 一礼してから膝を付き、再び胸に手を当て頭を下げた。


 次に投げ掛けられる言葉が何なのか、それより先に謝罪や懺悔を口にするべきなのか――。

 迷っている間に、ユミルからの言葉が投げ掛けられた。

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