喪失 その2

「先生、何を言って……どういう意味です!?」


 足を止めないまま、焦燥を帯びた声音でレヴィンが問う。

 ロヴィーサは無言のまま、その腰から短剣を抜こうと手を後ろに回した。

 それに果たして、気付いているかどうか――。

 アクスルは口調を変えぬまま、レヴィンへ簡素に応えた。


「言った通りさ。そう簡単には行けないよ。あれだけの数を、そのまま外へ出そうってのかい?」


「それは……!」


 地形的に不利だから――。

 あの数を相手に勝ち目がないから――。

 だから、レヴィン達は逃げていた。


 では、開けた場所まで逃げ切れたとして、果たしてあの淵魔全て、討滅可能なのかどうか……。

 これには否、と答えなければならなかった。


 負けることはないかもしれない。

 逃げながら戦い、命を拾える公算は高かった。

 しかし、それは同時に、無垢の淵魔サクリスを外へ拡散させてしまうことを意味した。


 『討滅』とは、文字通り全ての敵を討ち滅ぼすことだ。

 一体残さず、逃すことなく滅ぼさなくてはならない。


 外で捕食した淵魔が、どれ程の力を付けるか予想も付かないからだ。

 そして、捕食し力を得た淵魔は、例外なく厄介なものだ。


 一時の逃亡を見逃すことは、それ以上の禍根を未来に残すことを意味する。

 我が身惜しさに逃げることは、家族と国そのものを危機へ追いやる。


 それが分かっているから、討滅士は決して淵魔を逃さない。

 だから、自分の命と刺し違えても、倒そうとする気概を持て挑んでいる。


 レヴィンは今も背中へ、牙を突き立てようとする淵魔を横目で見た。

 通路にひしめき、何が何でも喰らってやると、造形の崩れた体で迫ってくる奴ら――。

 それが何十という数で、押し合いし合い、口を開けていた。


「これを、外に……」


 ――出す訳にはいかない。

 討滅士ならば、誰でも同様に考える。

 しかし、外へ出さずに逃げ切る手段もまた、現時点で持ち得なかった。


「先生ならば、どうにかする方法があるんですか!?」


 レヴィンが重ねて問うと、アクスルは気軽な調子で言う。


「誰も犠牲にせず、逃げ切れるとは考えていなかったろう? そして死って奴は、昔から決まっているものだよ。――老いた者から先着順ってね」


 アクスルの見た目は若く、声もまた若者と変わらない。

 彼は決してフードを外さないが、鼻から下の見える範囲でも、やはり若者と変わらない肌艶をしていた。


 しかし、アクスルはユーカード家において、祖父より前の代から付き合いのある人物だった。

 見た目通りの年齢でないのは、敢えて口にせずとも、誰もが理解していたことだ。


「そんな、まさか先生……!?」


「僕にも遂に、その順番ってやつが巡って来たのさ」


 アクスルが横っ飛びに壁へ張り付き、レヴィン達へ道を譲る。

 レヴィンがその面前を通り過ぎると、逆に通路へ躍り出て、魔術の壁で道を塞いだ。


 鉄同士がぶつかる様な衝撃音と共に、アクスルの身体が後ろへ跳ねる。

 魔術で作った防壁も、それと同じくして淵魔の衝突に圧され、後ろへ下がった。


 魔力で生み出された半透明の壁へ、アクスルはその圧力に負けじと腕を伸ばす。

 しかし、震える腕は今にもその圧力に負けそうで、渾身の力を奮っても、長く保たないと誰の目にも明らかだった。


「――先生!?」


「立ち止まるな! 幾らも保たない! いいから、行くんだ!」


 レヴィンは最後まで可能性を模索しようと、足を止めた。

 だが、もはやそんなものはないのだと、理解もしている。


 淵魔を相手の現実は、いつだって無情なものだった。

 覆らない現実に涙したのは、一度だけではない。

 その現実が、今まさに目の前まで迫って飲み込もうとしている。


「何か、他に何か……ッ!」


「そんな――まさか、先生!!」


 一拍遅れて気付いたアイナが、その背へ手を伸ばしながら追い縋ろうとして、ロヴィーサに止められる。

 それどころか、伸ばした腕でそのまま肩へ担いでしまい、有無を言わさず連れ出してしまった。


「先生! 嫌です、先生! ロヴィーサさん、下ろして!」


 しかし、ロヴィーサは全く耳を貸さず、誰よりも先んじて洞窟の奥を目指した。

 それを横目で見ていたアクスルは、いっそ晴れやかに笑う。


「彼女のあぁいう果断さは、実に好感が持てるね。――君たちも行け!」


「すみません、先生!」


「いいさ、順番だ。……そう言ったろう? それに……」


 防壁を抑えていた内の片手を、後ろ手に回す。

 それで一気に淵魔有利へ傾き、防壁を押す圧力が強まった。

 アクスルの防壁に向けていた腕が直角に曲がり、それに合わせてたたらを踏む。

 食いしばった歯から、必死で堪える呼気が漏れた。


「通路を崩落させられるのは、僕しかいないからね。急ぎたまえよ、君たちまで生き埋めにするのは……っ、本意ではないんだよ」


「はい……! 生き延びます、生き延びて……!」


「あぁ、大神の悪意を挫いてくれ。神殿の封印を……、必ず……っ、必ず!」


「はい、誓います! 必ず成し遂げます!」


「――これ以上は迷惑だ! 若、急げッ!」


 ヨエルの掛け声で、レヴィンもアクスルに背を向けて走り出した。

 そして、数歩駆け出した直後、アクスルから放たれた魔術が天井へ着弾する。

 その途端、石壁と天井がガラス細工の様に砕かれ、通路の崩落が始まった。


 予想以上の破壊力で、爆風に圧されてレヴィン達の身体が浮く。

 振り返って見ると、衝撃によってフードの外れたアクスルが見えた。


 今まで一度として見たことのない素顔は、声よりも更に幼い印象だった。

 金というより黄色の髪で、前髪は眉にも届かず、全体的に短い髪型だ。


 耳は短い。

 ごく普通の人間と変わらなく見えた。

 魔族かもしれない、と頭の隅で思っていたが、これで違うと図らずも証明されてしまった。


 そして最後に、愉快で堪らないといった様子で、その灰色の瞳がレヴィンを見つめていた。

 互いの視線が絡み合う、一瞬の制止――。

 その直後、落石と土砂で、全てを遮られ見えなくなる。


「――先生……ッ!」


 感謝と憐憫以上の感情を吐き出しながら、レヴィンは走る。

 背後にはぴったりとヨエルが付いていて、その直ぐ後ろから、崩れた天井が追いかけて来ていた。


 しかし、問題はない。

 卓越した魔力制御を身に付けている二人は、崩落する天井よりも早く走れる。

 アイナが前方に居た時は、それが枷となって全力で走れなかったが、今はそれもない。


 遠くに見える光の点……、その一点を目指して全速力で駆ければ、あっと言う間にロヴィーサまで追い付いた。

 そして、それと同時に出口まで到達し、光へ身を投じるように走り抜ける。


 そのまま折り重なるように倒れ込むと、追ってきた土砂によって前身が叩かれた。

 石や砂が上から舞い散り、吸い込んでしまって大いに咳き込む。

 そうして砂埃が収まり背後を見てみると、岩の切れ目に作られていた出口は、見事に土砂で塞がれていた。


「げほっ! ……これなら流石に、淵魔の奴らも出て来られない、か……ッ!」


「ゴホゴホ……! あぁ……。だが、それと引き換えに……、俺達ゃ先生を失った……」


 ヨエルが力なく言葉を零すと、倒れたままのアイナが、失意の涙を流しながら嘆く。


「先生……っ! 全部全部、あたしに教えてくれたんです……! この世界の言葉も、生きて行く方法も……! 恩人なんです!」


「そんなこたぁ、分かってる。だが、今の音で魔物が寄って来るかもしれねぇ。急いでここから離れるぞ」


 ヨエルが立ち上がりながらぶっきらぼうに応えると、アイナは俯けた顔を上げながら怒鳴った。


「少しは悼もうと思わないんですか! 花を添えるとか、せめて出来ることはあるはずです!」


「悼むのは後でも出来る。ここで足を止めて、それで魔物に襲われてみろ。それこそ、命を投げ出した先生に申し訳が立たねぇ」


「そんな言い方……ッ!」


 アイナが恨みの籠もった視線を向け、掴み掛かろうとした時だった。

 横合いからロヴィーサが腕を差し出し、アイナを止める。

 その目に敵意は宿っていなかったが、強い憐憫が浮かんでいた。


「貴女は先生と一年の付き合い、そして恩人であると言いましたね。私達は、それこそ物心付く前からの知り合いです。刻印に頼りがちの戦士に対し、魔力制御を厳しく教え込んでくれたのも先生です。他にも、数え切れない程、本当に多くのものを受け取りました。……彼は、家族以上の恩人だったんです」


「あ……」


「悲しくないと思いますか? ヨエルだって、本音では一晩中でも、ここにいたいでしょう。でも最期には、その命を以て次へ繋ぐ役目を負った。ならば、彼の意志に報いるには、悼むことではありません」


 ロヴィーサもまた、悔やむような表情で優しく諭した。

 アイナは肩を震わせると、嗚咽を漏らしながら両手で顔を覆ってしまった。

 ヨエルは決まりの悪い顔をさせながら、顎を撫でつつ周囲を見渡す。


「俺も言い方が悪かった。らしくねぇがよ……、俺も気が動転しててな……。気遣いの台詞を、もう少し考えりゃ良かった」


「いえ、いえ……っ! あたしの方こそ……っ。ごめんなさい、馬鹿なこと言って……」


「親しくしていた人が死んだんだ。誰だってそうなるさ」


 レヴィンもまた優しく諭し、それからヨエルに倣って周囲へ注意を向けた。

 洞窟周りは砂利と岩ばかりだが、そこを囲むように山林地帯となっていた。


 杉によく似た樹木が立ち並び、それ以上深く周囲の様子が窺えない。

 移動するにしても安全の確保は難しく、しかし魔物が今の騒ぎを聞きつけたなら、これを警戒しない訳にもいかなかった。


「でも、まずは移動だ。俺は彼の遺志に報いると誓った。その為に、ここで無駄な労力を負うわけにはいかない」


「神殿……ですね」


 アイナが力なく呟くと、レヴィンは頷いて応える。


「淵魔を外へ漏らさない――その為に、先生は己の命を使った。この遺志をやり遂げなければ、全ての命が淵魔に喰われる。洞窟内の淵魔は、今は捨て置くしかない。けど、同じことが世界中で起きる可能性は看過できない」


「絶対、阻止しなきゃ……ですよね」


「そうとも」


 レヴィンが力強く頷くと、アイナは顔を上げる。

 その瞳は赤く充血し、涙も止まっていなかったが、同時にこれまでにない力強さも表出していた。


「あたしも……頑張ります! 泣き言も言いません。淵魔が蔓延ることは、今の気持ちを世界中で、溢れさせることになるんですものね……!」


「そうとも。神の目的を知り、先生の遺志を継ぐ者として、何より討滅士として――。俺はこれを挫く!」


「はい……っ! 改めて、あたしも誓います。その手助けをする為、あたしも必ず、お役に立ちます!」


 アイナが力強く宣言し、レヴィンもまた強く頷き返す。

 ヨエルを見返せば同様の意志を感じさせる瞳で返され、ロヴィーサもまた悔やむ表情の中に決然とした意志を表していた。

 全員を見回し、レヴィンはその拳を力強く握る。


「神の目的は必ず阻止する! 必ず報いを与えてやろう!」

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