海難救助 その8
その頃になると、アイナの方も治癒作業が終わる所だった。
レヴィンも今まで彼女の手伝いで奔走しており、船上での状況を把握していなかった。
だから、アイナを連れて船長の元へ戻ったものの、これまでと違う様子に困惑してしまった。
慌ただしい動きと、少年兵が指揮を取っている所からして、何かあったとは察しが付く。
そして、軍船の船長と思しき指揮官が、水兵二人に支えられて、船長室へ入って行く所も目撃した。
そのまま大人しく籠もってしまった事といい、意味不明な光景に、首をひねるばかりだった。
「何であそこのイカレ野郎が、言いなりで更迭されてんだ?」
ヨエルの呟く様な指摘は当然のことで、レヴィンも同意して頷く。
明らかに我が強く、他人の言いなりになる男ではないのに、今ではまるで聞き分けの良い子供のようだ。
レヴィンは船長へ近付くと、訝しげに尋ねた。
「どうしたんです、あれは……。また面倒なこと言い始めたらどうするか、困っていたので助かりますが」
「気にする事ぁねぇよ! それよりこいつら、そしてこの船だ! 無事に帰してやんなきゃならねぇ!」
「まぁ、一度助けたからには、相手が気に食わないからと、捨て去るつもりはありませんが……」
「そうじゃねぇ。新兵訓練なんて楽しくもねぇ仕事を押し付けられて、腐ってた奴の事なんか知るかよ! 新兵未満の奴らが、まともに動けねぇなんて当然だ!」
船長が嫌に熱を帯びているのに、レヴィンは疑問に思った。
しかし、その熱意に気圧されて、何か口を挟むことも出来ない。
船長は唾を飛ばす勢いで、方々へ指差しながら捲し立てる。
「対処に失敗したのは、アイツらのせいじゃねぇ! 上の問題だ! だから、こいつらは無事に帰してやんなきゃならねぇ! その為にゃ、俺達が一肌脱いでやにゃならんだろうが!」
「はぁ、まぁ……分かりましたが」
「それには魔物の死骸がいる! いま、ここの水兵たちは進発準備で忙しい! 俺の水夫たちにも手伝わせてる! お前も手伝え!」
「死骸……? そんなもの、どうするんです」
質問を重ねるレヴィンに、船長はいよいよ痺れを切らした。
何度も吠えて指示出ししていたせいで、只でさえ赤くなっていた顔が、まるで火山の噴火の如く燃え上がった。
「いいから、早く動けってんだ! チンタラしてたら、海中の魔物が動き出す! どんなに優秀な海の男でもな、海の底に連れ去られてみろ! 子供の抵抗と変わんねぇんだよ!」
「了解だ、船長」
レヴィンもまた、船と共に海の藻屑になりたいなど、思っていなかった。
船長に明確な目的があり、それで窮地を脱出できるというのなら、是非もない。
その為に魔物の死骸が必要というなら、運び入れるまでだった。
「ヨエル、ロヴィーサ、手早く行こう。水夫たちも良くやってるが、俺達がやる方が早い」
「然様ですね。この様な事で力を誇示するのは憚られますが、適材適所と申します」
「つまりは、そういう事だろうさ。……それにほら、見てみろよ」
ヨエルが指差す方向には、船長の接弦させた船『海の貴婦人号』がある。
水夫たちは船に戻りがてら死骸を運び込んでいたが、また戻って死骸を回収しようとはしていない。
彼らにも彼らで、やるべき準備があるのだ。
船を動かすことは馬車馬に鞭入れるような、簡単な動作一つで済むものではない。
止めるのも一苦労、そして動かすにはそれ以上の多大な労力がいる。
「どうやら、積極的に俺達で動く必要がありそうだぜ。手の空いた水夫なんていねぇだろうし」
「まさかあの方々に、ご足労願うわけにもいかないしな」
レヴィンは今も船尾に佇んで、成り行きを見守っているミレイユ達を見やる。
そこでもやはり、大儀そうに腕を組んで手すりに背を預けているだけで、何か行動を起こすようには見えなかった。
「では、キリキリ働いて見せましょう」
ロヴィーサの号令で、男二人が腕まくりして動き出した。
※※※
それから幾らも間を置かず、死骸の搬送は終了した。
打ち倒され、両断された魔物を運ぶことには苦労したが、そこは鍛えられた土台が違う。
魔力制御を高いレベルで身に付けたレヴィン達にとって、多少重い程度の物体は労働と言えるものにすらならない。
「さて……。粗方、運び終えたと思うが……」
甲板に山と積まれた死骸を見ながら、レヴィンは周囲を見回した。
軍船の方は既にマストを全開にさせ、いつでも進発できる状態にしてあるようだ。
そして、『海の貴婦人号』もまた、同様に準備を完了させつつある。
「ここから、一体どうするんだ?」
「そもそも、死骸なんてどうするつもりなんでしょうね? ……ふぐぅっ、生臭いですぅ……っ!」
アイナもまた、死骸運びを手伝い、その手を血と体液でべっとりと濡らしていた。
一応、綺麗に拭き取った筈なのだが、臭いまでは取れていない。
彼女は指先に鼻を近付けて、臭いを嗅ぐなり思い切り外へ突っぱねていた。
「後できちんと洗い直しましょうね」
「……ほぉら、ボサッとしなさんな。動き始めるみたいよ」
ロヴィーサがアイナをあやしていると、軍船からやって来たユミルが背後を指差す。
そこでは架け橋の両端に船長と少年将校が立っており、それを取り外そうとする直前だった。
シャープが背筋を伸ばして敬礼すると、その後ろに並んだ三名の水兵たちもまた、同じように敬礼した。
「何から何まで世話して頂き、感謝の念に堪えません!」
「なに……、俺は昔、その体制が嫌で抜け出したクチだ。もう仲間でも何でもねぇが、昔のよしみを捨て去るほど人間を捨ててねぇ」
「そう、だったのですか……! だから……」
シャープが唸るように呟き、得心しながら頷く。
それはレヴィンからしても、全くの同じ感情だった。
そして、謎の一つが解き明かされ、それで納得も大きくなる。
悪党に見える風貌と、他船へ乗り込む手際の良さから、昔やっていた
しかし、事実は真逆で、元は海軍出身だったのだ。
それならば、操船技術しかり、乗り込む手際の良さしかり、玄人然としたことにも説明がつく。
船長は決まりが悪そうに頭を掻き、それから顔を背けて言った。
「まぁ、軍の体制が相変わらずと知って、うんざりしたがよ……。おめぇみたいな、将来有望そうな奴もいる。それを知れたのは収穫だった」
「ハッ、きょ……恐縮です!」
「礼がしたいって言うなら、おめぇさんがちょっとだけでも変えてくれや。全て見事に、なんて言わねぇよ。ほんのちょっと、自分に出来ること、いま理不尽に感じてること、何か一つ変えてくれりゃ、俺にとっちゃ最上の礼だ……」
「それが御恩返しになると言うのなら、必ずやお言葉通りに致します!」
シャープの口から出る言葉は、どこまでも実直な返答だった。
船長は照れ臭そうに笑って、鼻の頭を搔く。
「それじゃあ、魔物はこっちで受け持つ。おめぇは出来る限り、全速でこの海域から離脱しろ。風を読んで掴まえて、船を上手く操るんだ。出来ねぇなんて泣き言、聞く気はねぇからな」
「ハッ! 誓ってその様に致します! どうかご無事で! 再会した際には、是非とも酒を奢らせて下さい!」
「馬鹿野郎が。十年早ぇんだ、ひよっこが……」
シャープが敬礼すると、船長も背筋を伸ばした返礼をする。
どこに出しても恥ずかしくない、威風堂々とした敬礼だった。
姿格好を改めれば、歴戦の海軍将校として映ったとしても不思議ではなかった。
船長が先に敬礼を解くと、シャープも腕を降ろした。
すぐ傍で待機していた水夫が、あちら側の水兵と協力して架け橋を回収する。
シャープは背を翻し歩き出してから数歩、もう一度振り返って敬礼した。
船長は返礼せず、黙ってそれを見つめ、そしてシャープは今度こそ振り返らず、声を上げて指揮を取りに行った。
「さて……俺達も、いよいよ仕事をしなきゃあならん!」
「まだ具体的なことは、何一つ聞いてないんですが?」
レヴィンが訝し気に問うと、船長は笑って答える。
「あの船を逃がすのさ、簡単な話だろうが?」
「話自体は簡単ですが、そう簡単なことじゃないのでは……?」
そうして、レヴィンは堆く積まれた死骸の山を見た。
船を逃がす事と、死骸の関係を考えれば、答えはおのずと見えて来る。
「俺達は囮ですか……。海に捨てれば魔物が騒ぎ出し、収拾つかなくなるから、なんて理由かと思ってましたが……」
「勿論、投げ捨てればそうなる。だから、今はそれを利用する! 逃げるあいつらとは別方向へ俺達も逃げ、その都度、死骸を海に投げ入れ注意を引いてやるのさ! きっとウジャウジャ沸いて来るぜ!」
「そんな事して、それでこの船は無事で済むんですか!?」
レヴィンが声を荒らげると、船長は無言でユミルへ顔を向けた。
その顔に釣られ、レヴィンやヨエル、その他大勢から視線が集中する。
見られた彼女は、しなを作ってポーズを決めた。
「何よ、そんなに見たいなら、是非その目に焼き付けてちょうだい」
「何ですか、それ。そういう意味で見たんじゃありませんよ……」
疲れた溜め息をついて、レヴィンは肩を落とす。
「けど、何が狙いか分かりました。確かに、引き付けた上でユミル様がその力で追い払えば、何とかなりそうです」
「アタシだけじゃなくて、ルチアが送風してくれるんだから、他の船より早く走るわよ。そもそも、追い付かせたりもしないしね」
「そんなに速度が出るんですか?」
「そういう意味じゃなくて……」
ユミルが水夫たちへ目線を動かし、機嫌よく笑みを作った。
「障害物が何もない、海の上を行くんだから、逃げ果せる術ってのは海の男たちは持ってるもんなの」
「そうだぜ。戦うより逃げろ、それが鉄則だ。なら、それ用の刻印だって持ってらぁな!」
「そういう事か……」
レヴィンはようやく理解した。
ただの運任せ、風任せで投げ遣りになっていたのではなかった。
追い付かれる前提で逃げるのだとしても、上手く撒いて逃げる手段も持っているのだ。
新兵だらけの軍船を先に逃がしたい気持ちが一心にあっただけでなく、そもそも囮になって逃げ切る算段が、しっかり船長の頭にはあったのだ。
「なるほど、船を預かる者の計算高さを見せて貰った気がする。それじゃあ、俺もその作戦に加えて貰おうか」
「馬鹿野郎、おめぇ。最初から組み込まれてんだよ」
船長が眉を上げてそう言うと、ユミルから笑いが漏れ、それが全体に伝染していった。
囮となり、自ら窮地へ進むというのに、水夫の誰にも悲観した所がない。
こうした部分からも、船長がいかに頼りにされてるか分かる気がした。
そうとなれば、レヴィンもまた、心に不安を帯びたりしない。
ただし、これから腐臭漂う死体を海に投げ入れる事を思えば、辟易とする気持ちは抑えられなかった。
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