ロシュに降り掛かる悪夢 その7

  ※※※



 レヴィン達はミレイユから受けた指示のまま、神殿内部へ急いでいた。

 一時は城門を守るため、机や椅子を重し代わりに使用したせいもあり、随分閑散とした様子だ。


 神官たちも慌ただしく動いており、必要な軍事物資を用立てたりと、まるで蜂の巣をつついたかのような有様だった。

 そこへ部屋の中心に『孔』が生まれ、一拍置いてインギェムが姿を見せる。


 彼の神もこちらに――正確にはユミルに気付き、くたびれた表情を隠しもせず手を挙げた。


「……よぉ、頼まれた品、持ってきてやったぜ。どこに置く?」


「それはー……あぁ、とりあえず適当に置いてちょうだい。後はこっちの人員がどうにかするから」


「それで良いってんなら」


 了承と同時に、孔から次々と木箱が雪崩込んで来た。

 それを呆然と見送っていると、ユミルから小突かれ、レヴィンはハッと姿勢を正す。


「ほら、疲れてるのは分かるけど、水薬貰ってきなさい。休ませてやりたい気持ちはあるけど、そんな暇ないし」


「は……ハッ、失礼いたしました!」


 レヴィンが次々と積まれて行く木箱の前で、どれを確認すれば良いか悩んでいると、インギェムの方から声が掛かる。


「ほら、水薬ならそっちの木箱だ。治癒の水薬か? それとも魔力の方か? 種類で箱も違うから、よく確認して探せよ」


「ハッ、ありがとうございます! 因みに、スタミナ回復の水薬は……」


「あぁ、それなあっちだ。右から三番目の奴。緑色してんだろ?」


 レヴィンは再びしっかりと礼をして、箱の中から目的の水薬を探し出すと、それをヨエル達にも配っていく。


「魔力回復の水薬もいるな……。特にアイナはもうカツカツだろう?」


「はい、もう……何にも出ません。初歩の治癒術すら、もう一回だって……」


 レヴィン自身、刻印を酷使して、魔力はゼロに等しかった。

 あの激戦を思えば当然で、そして常に支援と回復をこなし、石壁の生成までして、特にアイナには無理をさせた。


 レヴィンは労りの視線を向けつつ、各種必要な水薬を手に取り、それを渡しながら励ましの言葉を言う。


「辛いだろうが、耐えてくれ。まだまだ、アイナには助けて貰わないといけない」


「いえ、大丈夫です……! 大変な思いをするなんて、とっくに分かってた事なんですから! それに、大変というなら、皆さんだって十分、大変です!」


「……そうだな。どこまで進めば終わるかも分からないが、今はとにかく頑張るしかない」


「なぁに、神々と轡を並べて戦えるんだぜ? こんな名誉なことがあるかよ」


 ヨエルは男臭い笑みを浮かべ、悲観を吹っ飛ばす笑みを浮かべた。


「淵魔がどれだけ掛かって来ようが、全て討滅してやりゃ済む話だ。これまでもずっとそうだった。俺達には慣れた話よ」


「そこまで楽観できるのは、いっそ才能だと思ってしまいますが……」


 口ではそう言いつつ、ロヴィーサにもチラリと笑みが浮かんでいる。


「負けるつもりで挑むのは愚かですね。それに、大神レジスクラディス様が戦陣におられる事実は、兵士の士気を高めます。言うほど皆様、そう悲観してはいないのではないでしょうか」


「それもまた、敵の数次第……そして支援物資の数次第、って気もするが……」


 そう言って、レヴィンはインギェムへと顔を向ける。

 そこではインギェムの神使や信徒と思しき者達が、次々と物資の搬入を行っており、そしてそれを尻目にユミルと何やら話をしていた。


「なぁ、ミレイユはどうしてんだ? ドラゴンを介して、ドーワに色々伝えてるんだけどよ、返事が一向にねぇってんで困ってんだよ」


「……アンタが?」


「己じゃねぇよ。他の離れた場所に居る奴らからだよ。現状維持を命じられたものの、それから結構経つだろ? 龍穴の方からも、新たに淵魔が溢れる気配もねぇ。だから今の内だって、急ピッチで修繕したりと現場は忙しいもんだが……、神々はどうするかって話をしてんだよ」


「だから、言われた通りよ。現状維持」


 インギェムは大きく溜め息をついて、頭をガシガシと掻いた。


「だがよ、とりあえず今は一時沈静化して、完全に遊兵と化しちまってるだろ? ただ置いて戦場を睨ませておくってのも……」


「言いたいコトは分かるけどね、敵の狙いが分からない以上、迂闊に動かせないのよ」


「次々と神殿を襲われてる、ってのにか? 虫食いも出てるんだろうが」


「そうね。だから、それが撒き餌かもしれないと、そう思ってしまうワケ。戦力を分散させたら、次の侵攻はもう抑え切れない。その時、また東端と南端から奴らが吹き出して来たらどうすんの?」


「それは……」


 インギェムは一瞬言葉に詰まったものの、しかし黙ることなく更に言い募る。


「けど、今ならその虫食いの出どころを、突き止められるんじゃないか? 今まではどれもトカゲの尻尾切り……、辿れる先にも限界があった。だが、今なら複数を同時に攻める事で、そいつの『巣』を特定できるかもしれないだろ?」


「そして、そこを一気に攻め落とすなり、何なりしたらいいんじゃないかって?」


「あぁ、まぁ……」


 インギェムの歯切れが唐突に悪くなる。

 自分でも何を言っているか、ようやく自覚できた様だ。

 ユミルは殊更に溜め息をついて見せ、話を続ける。


「そんなの無理筋も良いトコでしょ。先にロシュを落とされたら、それこそ目も当てられないわ」


 インギェムは頭を振り、縋るような視線を、今も仕事を続ける神使の方へ向けた。

 だが、その神使も首を横に振るばかりで、気の利いたフォローは出ない様だった。


 ユミルはそれを見て苦笑しつつ、話を続けた。


「現状、この危機に対処する為、神殿の防衛戦力は増強させているわ。まぁ、雀の涙ではあるんでしょうけど、やらない訳にはいかないし……」


「そして、龍脈が淵魔に乗っ取られるのを、座視して見ているしかないってか? 最終的に、ここに戦力が集まるんだろうが? ロシュを破壊されたら、それこそ大陸はお終いだぞ」


「だからその防衛に、他ならぬ大神レジスクラディスが来てるんじゃないの。これ以上、任せて安心な誰かもいないでしょうよ」


「で、そのミレイユは今なにしてんだ? とりあえず、アイツとも話をさせろ」


 いよいよインギェムの語気が粗くなる。

 世界の危機を憂うのは、神の誰もが共通する感情だ。


 そして、あちこちを行き来して、各神からも直談判を受けたインギェムだから、その気持ちを直接伝えたい気持ちがあった。

 しかし、ユミルはこれにも首を振る。


「そういうワケにも行かなくてさ」


「何でだよ!?」


「今、戦闘の真っ最中だから」


「――は!?」


 今度こそ我慢できず、声を荒らげるだけではなく、ユミルへ詰め寄る。


「何だってそんな事になってんだ? そのクセ、神使のお前がここでのうのうとしてるってのは、どういう了見だ?」


「そう命じられたからに決まってんでしょ。“新人類”とやらが、単身で攻めて来てね。やっぱり予想通りだってんで、じゃあ淵魔の大群がくるのも予想通りかもしれないから、こうして準備してんじゃない」


「単身で……? 腕に覚えありって事だな? 大丈夫なのかよ?」


「まぁ、そこは心配しても仕方ないでしょ。それより、いま改めて思ったけど、うちの子を単身で攻め込む自信があるトコ見ると……他の神々を単身移動させるのは、やっぱ怖いわ」


「まぁ、そうか……。単なる戦闘馬鹿が、攻撃しかけたって訳でもねぇんだろうからな……」


 相手は小神を束ねても勝てない、大神の名を冠するミレイユなのだ。

 勝てる見込みもないのにぶつけるとは思えず、そして勝てないのだとしても、そこには必ず狙いがあるだろう。


「おい、本当に大丈夫なのかよ? 敵も馬鹿じゃねぇだろ。この大一番に、そんな無駄なことするか?」


「まぁ、第一候補としては拘束するのが狙いなのか、と思ったりするわね。必ずしも勝つ必要はなく、一定の間、足止めさえ出来れば良いって考えね」


「第二候補は?」


「戦闘させるコト自体が目的ってパターン。“新人類”とやらは、非常に特殊な能力を持っているみたいだから? どこまで通用するのか見定めるとか、予行演習みたいなモン?」


 ユミルの推測には一定の信頼性があって、インギェムも難しい顔をさせて考え込んでいたものの、しばらくしてから頷いた。


「まぁ、あり得る話ではあるか……。だが、最低でもあのミレイユと戦闘が成立する、とは考えてるわけだろ? ……確かにこりゃ、迂闊に神を孤立させんのは怖いな」


「でしょ?」


「だが、分からねぇ……。それ程の手札、なぜ今まで出して来なかった?」


「完成してなかったからじゃない?」


「ぁん……?」


 ユミルとしては至極当然の結論だったのだが、インギェムは首を傾げて、真意を問う視線を向ける。


「あったのならば、使うでしょうよ。でも、使い始めたのが、アルケスの暗躍が表舞台へと切り替えられた時だわ。そして、次々と投入されていった……」


「じゃあ、むしろそのタイミングに合わせて、せこせこと準備してたって事か?」


「そうかもしれないわね。いずれにしろ、敵も本気よ。これで全てに決着を付けようとしている。でも、それならこちらも好都合よ。いつまでも、こんな馬鹿な戦い続けていたくないから」


 そう言って、ユミルは軽薄な笑みの奥に、壮絶な覚悟の色を見せた。


「そういうワケだから、さっさと済ませて、お暇していただける? 状況に変化があれば、即座に連絡お願いね」


 その威圧するかの様な瞳に気圧されて、インギェムは何とか頷きを返した。

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