海難救助 その4

 巨公の鯨が作り出した波は大きなものだったが、既に収束を見せていた。

 一度海面から身体を突き出しただけで、また海中へと戻って行っただけだから、海面の揺れも新たに発生してはいない。


 ただ、波力は十分残っていて、船は海上を押し出されるれるまま動いていた。

 風力も使って微妙に距離を合わせる、ルチアの妙技も相まって、船の移動は常識に照らすより遥かに早かった。


 波の背に乗り、海面より遥かな高みから、軍船を救援するべく急行する。


「ほっほぉーっ! こりゃまた、どうして!」


「肝が冷えるぜ! これ本当に大丈夫なんだろうな!?」


 楽しそうな声を上げる船長とは裏腹に、船に乗り慣れていない者達は気が気でない。

 ヨエルは手摺にしがみ付きながら、必死に抗議の声を上げたが、彼は全く取り合わなかった。


「まぁ見てな! 腕の見せ所ってやつを、堪能させてやるぜ!」


「本当に平気なのか、これ!?」


 船は波の上に乗って移動しているのだ。

 波力が失われない限り、止まることなく前進し続ける。

 しかし、それは同時に、好きなタイミングで止まれないことを意味していた。


 馬を手綱で操るように、止まれと命じることは出来ない。

 そして、進行方向には救援すべき軍船が待ち構えているのだ。


 当然、そのことに気付かぬ者ばかりではない。

 アイナが手摺を腕で抱き込みながら、迫る軍船を恐々と見つめながら叫んだ。


「こ、これ……! このままじゃ、ぶつかるんじゃないですか!?」


「あぁ……?」


 船長は顔を向けぬまま、不思議そうに首を傾げた。


「魔物……魔物だって待ち構えているんですよ!? 大砲を撃ったりしないんですか!?」


「馬鹿おめぇ、この状態で横向きになんてなれるか? 大体、撃った後はどうする。魔物が船に齧り付くほど近くまで来てんだ。砲弾の何発かは、どうしたって目標からずれる! 船を沈めちまうよ!」


「えぇ……!? だったら……だったら、どうするんです!?」


「このまま体当たりするに決まってらぁ……!」


「ひぅっ!」


 アイナは悲鳴にならない声を、喉の奥で上げる。

 それを聞いていたレヴィン達も、アイナと多くは変わらない反応だった。


 ただミレイユ達は、未だ手摺に身を預けるだけで、動じた様子を見せていない。

 激しく揺れる船体の中にあって、腕組みして静観しているのみだ。

 その威風堂々たる姿には感銘を受ける程だが、レヴィンはどうにかしてくれ、と叫びたい気持ちを抑えきれなかった。


「み、ミレイユ様……! どうかお助け下さい!」


「……どうかって、どうやって?」


「それは……、その、何かこう……上手いやり方で!」


「私は万能でも、全能でもないし、そうと名乗った事は一度もない」


 にべもなく言い放つミレイユに、レヴィンが愕然としていると、魔力を制御して杖を掲げるルチアが笑う。


「困った時の神頼みってやつですよ。信徒が危機的状況に縋るものを見つけて、助けを乞うているんです。実に自然なことじゃないですか」


「そうだとしても……別に、今は危機的状況じゃないからな。レヴィンは知らないから恐れてるだけだ。海の男っていうのは、こういう時の心得を良く知っているものだぞ」


「そ、そうなんですか……。信じて良いんですね!?」


 これに返答はなく、口の端に笑みを作っただけだった。

 レヴィンは大神レジスクラディスを信奉し、その為には命を懸けて良いとすら思っているが、この状況に至っては否と答えねばならなかった。


 今も忙しく舵を切り、微調整を繰り返す船長は、水夫に大声を上げて指示を出している。

 水夫たちも忙しく甲板を動き回っており、ロープを結び付けたり、船の側面に樽を吊り下げたりと忙しない。


 手には武器を持ち、鞘から取り出しては刃先や切れ味を、確認している者までいる。

 魔物の群れへ飛び込むのだ。

 武器を確認するのは当然と思えたが、そこでハタ、と我に返る。


「武器を手に持つって……。魔物との戦闘を視野に入れてるのか……? 海面にいる敵を、刃なんかで攻撃しようがないだろうに……」


 レヴィンの独白は、忙しく指示出している船長の耳には届かない。

 そうして、いよいよ船は、軍船を取り巻く魔物の群れへと突っ込んだ。


 飛び掛かろうとしていた魔物も一部にはいたが、巨大な質量の衝撃力に潰され弾かれている。

 そうでない魔物はとっくに道を開けるか、あるいは轢かれるだけだった。


 何しろ、既にユミルの幻術下にあるのだ。

 生半な魔物は、波に乗ってやって来る“巨大で恐ろしい何か”に驚き、竦み上がるのが精々だった。


「そぉら、突っ込むぞ!」


「突っ込むって……!?」


 レヴィンはてっきり、一度船を回避するとか、側面から回り込んで最接近するのだと思っていた。

 しかし、既に船同士の距離は近く、それさえ出来ない距離になっている。


 魔物を轢き潰すのは良いとして、突っ込んでしまえば互いの船は大破だ。

 船の衝突は乗員全てを海に放り出すだろうし、自殺以外で取る行動とも思えない。


「ぐぅぅ……!?」


 レヴィンは食いしばった口の端から苦悶の息を漏らし、ミレイユへ咄嗟に顔を向けた。

 しかし、彼女は元より、神を守護するアヴェリンまでも、この状況をどうにかしようと動く気配がない。


 彼女らの中では、ここに至って尚、危機的状況ではない、と思っているようだ。

 失望にも似た気持ちで、レヴィンは迫る軍船を睨み付ける。


 いつ、どのような衝撃が来ようと、自分と仲間を守ろうと、手摺を掴む腕に力を入れた。

 そうして、船はいよいよ、軍船の目前に迫る。

 レヴィンが何かに対して覚悟を決めたその瞬間、船長から猛る吠え声が響いた。


「野郎ども! 接弦するぞ! ――刻印用意!」


『刻印ヨオォォイ!』


 水夫たちが復唱し、船の側面に整列した。

 右手や左手、それぞれ箇所は違えども、片手の刻印を光らせ、もう片方は掴まれる場所に手を伸ばす。

 準備が整うのと同時、船長がまたも吠えた。


「面舵一杯! 備えと同時に、刻印放て!」


『刻印、ッテェェェ!』


 波の上で、船が急旋回を始める。

 軍船に向けていた舳先が真横を向くのと同時に、水夫たちは同時に同じ効果の刻印を使用した。


 それは『防護壁』の魔術だった。

 固い壁となって身を守る術であるのと同時に、互いに物理的接触を生まない壁でもある。


 半透明の壁として生まれる防護の魔術は、完全に物理的衝撃を封じてしまう。

 だから、どれほど強烈な接触であろうとも、壁にぶつかると共に、そのエネルギーが消失している事になるのだ。


 だから、追突された形の軍船へは些かもダメージが行っていない。

 しかし当然、何もかも上手い話だけではなく、限界もあった。


 込められた魔力以上の攻撃は防ぎ切れず、許容量を超えた時点で、発生した防護壁は破壊されてしまう。

 そして、吸収するだけの防護壁が展開出来なかったなら、衝撃力はそのまま突き破って来てしまうのだ。


 それ故にリスクある術として知られていて、本人の魔力次第では、壁の役にも立たないリスクもある魔術だった。

 船の衝突力を、その魔術一つで受け止めようとするなど、本来は噴飯ものの使い方なのだ。


 しかし、ここには数十人を越す水夫がいる。

 全員が一つに結集した防護壁は、互いに重なり合い、強固な壁として顕現する。

 ――そして、接触の瞬間。


「ぐうぅ……っ!」


「きゃあああっ!」


 船体の側面が軍船へとぶつかると、急停止した船体で足元が揺れ、掴まっていても、振り落とされそうな衝撃を生んだ。

 しかし、船がぶつかったにしては、余りに小さすぎる衝撃でもあった。


 防護壁の魔術は、とりあえず消滅するほど粗末なものでなく、無事互いの船体を衝撃から護った。

 だが、アイナは掴んでいた手を離してしまい、あわや振り落とされそうになった。


 それに気付いたヨエルが素早く動き、その腕で攫うように抱き留めた。

 無事助け出され、そのまま元の位置に戻されるのを見て、レヴィンはホッと息を吐く。


 船の側面を丸々覆っていた巨大な防護壁は、接触と衝撃の間で揺れ動いているように見えた。

 強い衝突が、防護壁の限界を超えようとしているのだ。


 一つ罅が入ると、次々にひび割れが生じ、それが大きく拡がっていく。

 それはまるで、湖面に出来た氷に、大きな石を投じたかのようだった。


「ちょっと、待てよ……!?」


 レヴィンも防御の魔術を用いているからこそ、現状がどれだけ危ういか理解できていた。

 ひび割れが生じること自体は、あれだけの人数がいようと、むしろ当然だ。


 それどころか、一時でも受け止められた事に驚嘆している。

 しかし、受け止めた衝撃は現在、まだ一時のもので、蓄積された衝撃力が防護壁を突き破って来る可能性も残されている。


 そして、刻印の許容量を超える衝撃が返って来たなら、こちらの船が大ダメージを負ってしまう事になるのだ。

 ビキ、ビキビキ、と不吉な音を鳴らしながら、防御壁には更に罅の数と太さが増して行く。


「ダメか……!?」


 レヴィンが諦めの心境で声を漏らしたその時、拡がり続けていたひび割れが収まった。

 もう少しで全体に行き渡る、という直前で、ひび割れは止まる。


 船内には押し黙った、不気味な程の沈黙が満ちた。

 そうしていると、船の揺れも徐々に収まって来た。

 ひび割れが収まってから十秒、完全に受け止め切ったと判断した船長が、声を上げて大いに労う。


「よくやった、野郎ども! お前ら、最高だ!!」


「ウォォオオオオッ!」


 水夫たちも船長の声に雄叫びを持って返した。

 それから肩の力を抜くと、息を吐いて安堵し、互いに笑い合いながら肩を叩いて労っている。


 それを見て、レヴィンもようやく手摺から手を離し、大きく息を吐いた。

 無事だったのは喜ばしい。

 互いの船に損傷なく、魔物を蹴散らしつつ接弦できた事に、ケチの付けようがない。


 しかし、不思議でならなかった。

 水夫たちは良く鍛えられた海の男かもしれないが、魔力総量を見れば大したことはない。

 数十人規模での同時展開だとしても、船一隻の衝撃力を相殺できるとは思えなかった。


「不思議そうな顔してやがるな? 魔力に秀でてる訳でもない、一般人に毛が生えた程度の野郎どもに、どうして受け止められたか……。えぇ、分からねぇかい!?」


「見くびるつもりはないんだが……。そうだ、不思議でならない。どうして受け止められたんだ?」


「その秘密は、事前に船の側面に垂らしておいた樽にある」


「……それで衝撃を相殺? 無理だろ、幾つあろうと関係なく押し潰されるだけじゃねぇか」


 横から口を挟んだヨエルが、苛立ちを交えて言った。

 思わず絡むような物言いになってしまったのは、不躾と言われて仕方がない。

 しかし、そう言いたい気持ちは、レヴィンにも痛いほど分かった。


「ヨエルの言うとおりだ。互いに小型船舶ならともかく、ここまで巨大なら……」


「だから、単なる樽じゃねぇって話なんだよ。こういう緊急時に、急接弦する時用の特別品だ。付与術が施されてる」


「そんな物まで……?」


「海の上ってのは、幾らでも緊急時ってのが起こり得るんだよ。だから必然、それを想定した物を用意する。これもその一つさ」


 言われてみると納得だが、付与術品は大変高価だ。

 緊急時の備えというのは分かっても、ここまでの事をするくらいなら、もっとリスクを避けた運用をすれば良いとすら思う。


「――ほら、お前ぇ! 何ボサッとしてんだ!」


「へ……?」


「武器の用意すんだよ! 終わった気分でいるんじゃねぇ!」


「武器……? 戦うのか、これから……!?」


 素っ頓狂な声を上げたレヴィンとは別に、船長は顔を顰めて頷く。


「あたりめぇだろ! 何のために接弦したんだ! 野郎ども! 梯子を懸けろ、鉤縄投げて、こっちに引っ張れ!」


 船長の怒号が再び響く。

 水夫たちも当然これを予想していて、勢い良い声を怒号で返した。

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