海難救助 その3

 魔物の数は多く、また種類も多彩だった。

 魚に類した形状をした魔物もいれば、軟体生物に似た魔物、鱗とヒレを持つ人型など、多岐に渡る。

 それぞれが違う威嚇音を鳴らすものだから、不協和音が重なり、耳をつんざく音になっていた。


「くっ……!」


 レヴィンは思わず耳を覆う。

 普通なら、敵の声が届く範囲にいれば、武器を持って構えているところだ。

 しかし、今は飛び出して攻撃するわけにもいかず、静観している他ない。


「歯痒いぜ、全く……!」


「遠距離攻撃の手段があっても、これでは殆ど意味がありませんね」


 ヨエルが呟き、それにロヴィーサも同意する。

 そして、群がる魔物の数を見れば、彼女の意見は至極当然でしかなかった。


 あるいは――。

 レヴィンは僅かな期待を込めて、ミレイユとルチアへ顔を向ける。

 彼女らの大魔術を以てすれば、魔物の数の過多など全く問題ないのかもしれない。


 いつか、ロシュ大神殿での戦いで見せた、淵魔を一掃した魔術を思い出す。

 あれを使えば、魔物など物の数ではないだろう。


「……それを思えば、いざという時は何とかしてくれるか」


「何の話だ?」


 ミレイユの隣に立つアヴェリンが、訝し気に首を傾げる。


「あぁ、いえ……。もし、魔物が退かなかった場合でも、お二方がどうにかしてくれるだろう、と……」


「余計な気を回して、下手な心配するな。……癪だが、一方的に雑魚を蹴散らすなら、ユミルが余程上手くやる」


「そう、なんですね……」


 同じ神使が言うのなら、確かにレヴィンが変に気を回すことでもなかった。

 アヴェリンは顎先を小さく動かすように舳先を促すと、レヴィンはそれにつられて前を見る。


 丁度、ユミルが仕掛けるタイミングだった。

 それに気付いた船長も、期待に胸を躍らせて声を上げる。


「そら、魔物の動きが変わるぞ……!」


 彼の言う通り、強烈な敵意と威嚇を見せていた魔物たちが、近付く船――舳先のユミルに気が付いて動きを止める。

 それは全くの不意打ちを受けた態度そのもので、驚きを越して戸惑っているように見えた。


「なるほど、そういうことか……」


 ユミルが何をやったのか、朧気ながら見えて来る。

 魔物は――当然だが――、ユミルの姿を見たから怯えているのではない。


 彼女が幻術を用いて、巨大な幻覚を見せ、魔物の敵愾心を挫いているのだ。

 魔物からすると、突如として自らを圧倒する魔物が出現した様に見えただろう。

 恭順を示すかのように道を開けるのは、ガレオン船より二回りほど巨大な魔物が、我が道を行くように見えているからだ。


「でも、ただ幻覚を見せてるだけじゃない。……そうですよね?」


 答え合わせの為、アヴェリンへ顔を向けると、これには無言の首肯だけがあった。

 単に幻覚を見せただけでは、魔物も簡単に引いたりしない。

 それを現実と誤解させているのは、一重にユミルが放つ、強者の気配に理由があった。


「そりゃあ、あれだけ睨みを利かされたら、誰だって逃げるってもんだぜ……」


 ヨエルも事の真相に気付いて、呆れたように声を漏らした。

 こちらにいる限り、そうした気配は伝わらないが、ユミルは間違いなく指向性を持たせた威圧を放っている。


 魔物からすると、堪ったものではないだろう。

 即座に逃げ出す魔物が出ないのは、その威圧で蛇に睨まれた蛙状態になっていたからだ。


「よくもまぁ……」


 ロヴィーサさえ、感動を通り越して呆れた声を漏らしている。

 真相を知ればコケ脅しにしか見えないが、実際にここまで高いレベルで出来る者は、世界広しと言えども、彼女くらいのものかもしれない。


 幻術を広範囲に掛ける技術しかり、数多の魔物全てを威圧してしまう実力しかりで、真似ようとして出来るものではなかった。

 レヴィンにしても、事前にユミルが幻術について教えておいてくれなかったら、今の今まで気付けていなかった可能性もある。


 大神レジスクラディスの神使は基本的に、常識外れの実力者揃いだとは分かっていた。

 しかし、まさかこういう事まで出来てしまうとは、というのが、レヴィンの正直な感想だった。


「多芸とか、多彩とかって言葉じゃ収まりませんよ。どういう修練の果てに、あんなことが出来るようになるのでしょう……」


 他の者とは違う反応で、アイナは素直に感嘆していた。

 実際、一角の実力者へ向ける賞賛としては、彼女の方が真っ当なのだろう。


 啞然としたり、感嘆したりとしているレヴィン達は置いて、船は悠々と進んで行く。

 水夫たちは声を敢えて飲み込んで、魔物のすぐ傍を通り過ぎていく事に感動を露わにしていた。


 わざわざ船の外を覗き込み、口笛を吹く者までいる。

 しかし、状況も弁えず大声を出して、喜びを開放する者は皆無だった。

 よくよく、船長の教育が良く行き届いているらしい。


 この船は軍と関係ないのかもしれないが、軍隊より良く訓練されているのかもしれない。

 レヴィンが違う方向で感動していると、船長が前方を睨んで声を漏らした。


 現在は、魔物の群れの中間程を通り過ぎた辺りだ。

 まだ予断を許される状況ではないが、船長が何を気にしたかは分かる。


「あれは……」


 レヴィンもまた、船長の声と同時に、何に懸念したのかすぐに分かった。

 魔物の群れに取り囲まれ、身動き出来なくなった、別の船が見える。


 やけに立派な船だった。

 マストも四本立てで、縦帆の方が数が多い。

 搭乗人員が多くなければ運用できない形態だ。

 そして、単に船体が大きいだけでなく、側面には多く砲門が搭載されている。


「ありゃあ、軍船か……」


「何でこんな所に……」


「外海は魔物の巣窟だって、海を生きる者なら常識なんじゃないのか?」


 レヴィンが素朴な疑問を口にすると、船長は大いに頷く。


「そりゃあ、そうだ。知ってて当然の常識だわな。……けど、見てみろ」


 船長は顔を頭上に向けて、またすぐ正面を向き直す。

 レヴィンは視線に釣られるまま上を見ると、上空に鳥が飛んでいるのが見えた。

 翼幅が広く、風を上手に掴んで滞空している鳥が、十羽前後飛んでいた。


「鳥だ……、魔獣の類か。それが? あれも襲って来るのか?」


「いや、あれは船を攻撃してきたりしねぇよ。全くないとも言わんが。そうじゃなくて、鳥がいるなら陸地も近いって意味だ」


「じゃあ、ここは既に外海から脱しているのか……」


「そうと言えば語弊もあるが、その中間……どっちとも付かない折衝地域ってとこだ」


 陸地が近い、と言った船長の言葉とは裏腹に、見える範囲に島などは見えない。

 高い山などがあれば、時として島の先端より、その山の頂点が見えたりするものだが、そうした影さえなかった。


「お前さんが言った通り、上にいるのは魔獣の類だ。海の上を丸二日も飛んでいられる。だから、見える範囲に陸はねぇよ。けど、二日以内の距離に陸地があるって意味でもある」


「つまり、軍が海上訓練するとか、そういう事をするのに、遠すぎる距離じゃないって意味か」


「おうよ、そういう事にならぁな」


 見れば、今も拙いながら砲門が火を吹いて、砲弾を海へ打ち出している。

 しかし、距離もタイミングもバラバラで、とても統率が取れた軍隊とは思えなかった。


「下っ手くそな連中だ。奴ら、素人か? 初の海上訓練かね? ろくに魔物を仕留められねぇから、音や騒ぎで別の魔物を呼び込んじまってる! 撃つなら当てろよ、鉄則だろうが!」


「やけに大きな群れとは思ってた。陸地じゃ、どんなに騒ぎを起こしても、ここまで集まらないものだが……」


「そりゃ海だって、そう変わりゃしねぇよ! 仕留める数が多ければ、魔物だって馬鹿じゃねぇ。不利と思って引き返すさ!」


「それをしてないって事は……」


 嫌な予感を覚えて、レヴィンは最後まで言えなかった。

 それを船長が、憤慨しながら引き継ぐ。


「カモだと思われてる! 大体、あんだけ接近されたら、砲弾の意味なんかねぇよ。逃げて距離取って、そこで仕切り直すか、刻印使った方がマシだ!」


「何より、砲門を使うことで、魔物の呼び水になっているのが拙い。必ず仕留めろってのは、そういう意味か……」


「決まった距離、決まった位置に一斉掃射なんて、基本中の基本だろうが! それが出来ない内に、海なんか出すんじゃねぇよ!」


「このままじゃ無駄死にだな……。転進しながら撃とうとしてるみたいだが、動きがぎこちない。――それに遅すぎる」


 魔物は既に、砲門射程範囲の内側へ入り込まれている。

 そうとなれば、船長が言った通り、まず距離を離す事に専念すべきなのだろう。


 あるいは、その距離を稼ぐ為に、刻印攻撃を仕掛けるべきだ。

 腕の立つ刻印魔術士がいれば、足止めくらいは出来る。

 しかし、そうした魔術が船から放たれる事もなかった。


「何やってんだ……? 遊びじゃないんだぞ」


「もしかしたらだが、本当に素人集団なのかもしれねぇ。ここは外海とも言い切れねぇ海域だし、遭遇する魔物も本来なら少数で済むはずだった」


「でも、じゃあ何で……? 単に運が悪かったのか?」


「そうとも言えるな。巨公が出現してなけりゃ、こんな事にもなってねぇだろ」


 言われて即座に思い当たった。

 巨公の鯨は、ただ海面に姿を現すだけで高波を生む。

 もしかすると、魔物もその波に押されてしまったのではないだろうか。


 そして運悪く、その方向には、まだ初期訓練段階の軍船があった。

 彼らにしても、魔物の大群に襲われるのは想定外だったはずだ。

 その上、訓練不足が祟って、本来の鉄則すら満足に行えなかった……そういう事なのかもしれない。


「……どうするんです?」


「助けねぇわけにもいくめぇよ。海の上で起きた事は、見て見ぬ振りをしねぇってのも鉄則だ。船は助け合うもんだ。軍船相手ってのは気に食わねぇがよ!」


 船長はそう言って吠えると、面舵一杯大きく切って、水夫たちに声を掛ける。


「今からあの船、助けるぞ! お前達も気合い入れろォ!」


「オォーッ!」


 水夫たちも、船長の気合いに負けない声で、腕を振り上げ応じて見せた。

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