継がれる遺志 その5

 神殿から飛び出し、レヴィン達は矢のように走る。

 援軍らしき姿も見えず、神殿から追手が放たれてもいないようだった。

 しかし、レヴィン達はとにかく神殿が見えなくなるまで走り続け、そうして神殿を照らす灯りが点にしか見えなくなくなってから、ようやく足を止めた。


「まぁ……、なんとか、なったか……!」


「何とかって、若……! 危険は、なるべく、回避するんじゃなかった、のか……っ?」


「そうなん、だが……っ」


 安全を確認し終えると、全員が一斉に、マスク代わりにしていたスカーフを首元へ落とした。

 そうして、いま来たばかりの方向――神殿を睨みながら、レヴィンは息を整える。

 ヨエルもロヴィーサも肩で息をする程度だが、アイナは完全に脱力し、その場に倒れて呼吸を貪っていた。


 到底、会話に参加できる状態ではないが、しばらくすれば落ち着くだろう、と放っておく。

 傍に控えたロヴィーサが、口元へ革袋を持っていき、水を飲ませようとしていた。

 それを横目に見ながら、レヴィンは変わらず神殿を睨んで言葉を吐き出す。


「とにかく、チャンスだと思った。待ち構えられていたとはいえ、数は数十。神官と兵の魔力を推し測って、いけると判断した。無理そうなら勿論、即座に逃げたさ」


「確かに、数と共に質も大した事はなかった。けど、精霊までちゃんと計算に入れてたか? そっちの方は結局、どんな奴が出て来るか、なんて分からないだろう」


「戦わずとも、逃げれば済む話だ。だから、そっちは結局、大して脅威にはならないさ。それに上手く奴らの目を、誤魔化せてもいた」


 鉤爪付きロープは、実際想像以上の働きをしてくれた。

 神官は逃げるなら階段しかないと思い込んでいたし、精霊も神官の動きに釣られて、まず階段を確認していた。


 その間に上手く逃げられたので、レヴィンは今回の手口に確かな感触を感じていた。

 これが周知されない間は、侵入と逃走とで、大いに貢献してくれるだろう。


「ま、その辺の判断は若に任せるぜ。無事、目的を達せられたわけでもあるしな。けど、神器に関しては分からず仕舞いだった」


「……あぁ、神官の寝込みでも襲えれば、聞き出すことも出来たかもしれないが……。だが、保管するならやはり、最奥かその付近になるだろう。参拝に来た誰かが、誤って近付ける所に置いたりしないはずだ」


「けど、最奥に部屋は一つしか無かったよな……」


 だから神器が無かった、という話にはならない。

 結局のところ、隅から隅まで探したわけでもなく、分かり易い場所に安置していなかっただけだ。

 あるいは隠し部屋のようなものがあって、そこに置かれている可能性とてあった。


「確実なのは、やはり神官から訊き出すことだったんだが……。素直に吐くとも思えないしな」


「けど、こいつは訊いておくべきだったかもしれねぇぜ、若。もしかしたら、押し入った理由を誤解させられたかも……」


「いや、龍穴封印は実際してるんだから、目的がそれ一つじゃないと思われるだけだろう。……それに、狙いが神器であると知られたら、それこそ躍起になって隠すんじゃないか。もしかしたら、他の神殿で丁寧に祀っていたものを、この件で隠す事になるかもしれない」


「知られていない方が……、封印が目的って誤解されていた方が、まだマシかもしれねぇな……」


 レヴィンが無言で首肯すると、ヨエルも難しい顔をさせて腕を組む。

 そうしていると、随分マシに呼吸を整えたアイナが、ロヴィーサに礼を言って会話に参加してきた。


「最奥の間には、それらしき物なんて見当たりませんでした。それはこれまでも同様です。部屋の中には本当に何も無いんです」


「そうなのか……。いや、それもそうか。龍穴への楔を打ち込む場所……、なんだろうからな。あるいは、精霊の安息所みたいな意味合いも、兼ねているのかもしれないが……」


「それで、その精霊、なんですけど……」


 気不味そうに眉をひそめ、アイナは次の言葉を言うか言うまいか、迷っているような素振りを見せた。

 レヴィンが訝しげに見ている間に、顔を上げて口を開く。


「精霊は、凄く怒ってました。言葉にするのは、とても難しいんですけど……」


「別に不思議なことじゃないだろう。今までだって、封印の際には必ず精霊が飛び出して来ていた」


「そうなんですけど、そうじゃなくて……」


 アイナは必死に頭を巡らせて、相応しい言葉を探していた。

 当たり前のように会話が成立しているから忘れそうになるが、そもそもアイナは十全に言葉を話せるわけではなかった。


 日常会話をするには十分以上、それより込み入った話でも、やはり付いていける。

 しかし、それ以上に専門的な話となると、相応しい単語が出て来ないのだ。


「何と言うか……、あたしに対して怒りが大きいのは勿論なんですけど、淵魔に対する怒り……? みたいなものもあって……」


「淵魔に? でも、神殿の本当の役割は、淵魔を保管しておくことだろ? いずれ来る時に備え、いつでも開放できる形で置いていたはずだ」


「言うなれば鍵付きの箱です。中には淵魔が潜んでて、精霊はその守番。勝手に出て来ないよう……または、外から勝手に開放されないよう見張っていた……」


「そうだな、そういうものだと思ってた。何より先生が、それと良く似たことを言っていたろう?」


 レヴィンが首肯すると、やはりアイナは困ったような顔で首を傾ける。


「だったら、どうして精霊は怒ったのでしょう――いえ! あたしがしたことに怒ったのは当然です。そうではなく、あの怒りは淵魔に利することになるから……だから、怒っていたように感じました」


「やっぱり、それじゃあ分からないな……。そもそも、淵魔を保管し維持させていたのは、精霊でもあるはずじゃないか。神がそれを命じ、そして精霊が守っていた。どちらにしても同じことだ。それでどうして……」


 そこまで言って、レヴィンの動きが止まった。

 両手を重ね合わせ、祈るようなポーズで口元を封じるように指先を当てる。


 眉間にシワを寄せ、どこへともなく睨み付けては、閃きを整理しようとしていた。

 その様子を見守っていたロヴィーサも、そこで一つ声を上げて口を挟む。


「精霊の意思と、神の意図が違っていた場合は……? つまり、契約で以て精霊を使役しているわけですよね? 精霊にしても、意思に反する契約は結ばない。我々人間が騙されていたように、精霊もまた、騙されていた可能性はないでしょうか……?」


「十分、あり得る話に思えるな……」


 レヴィンは指先を口から離して、ロヴィーサへ頷いて見せる。


「そうとも、盛大な欺瞞で世界を覆っていたくらいだ。精霊だって、その対象に思える。俺達が必死に淵魔と戦っていたのと同様、精霊もまた、淵魔を封じる番をしていたつもりだったんじゃないか?」


「アイナがやったことは、龍穴そのものに鍵することだろう? それまで神殿がしていた見せかけの封ではなく、今度は正真正銘の封だ。……それが淵魔の利になるのか?」


「精霊から感じ取れた怒りからは、……そうですね。そう読み取れました。何か大変なことになる、というような……」


「そりゃあ、なんだな……。随分、曖昧だな……」


 ヨエルが困り顔で言うと、アイナは眉を八の字にして、しゅんと肩を下げた。


「すみません、感じ取れただけであって、対話したわけではなかったので……」


「いや、俺も言い方が悪かった。難癖付けたいわけじゃないんだ。ただ、どうにも上手く型に嵌まらない形がスッキリしない。……何か見落としてるのか?」


「そうだな……」


 レヴィンが大きく溜め息をついて、苛立たしげに前髪を掻き上げた。


……。どこまで行っても、先生のこの言葉が身に沁みてくる」


「そうですね……。我々が何か見落としているというより、そもそも知らないことから生まれる齟齬、なのかもしれません」


「……かといって、俺達が調べて分かることなのか? それとも、神殿の禁書棚でも漁れば、何か分かるんだろうか」


「あまりに危険過ぎ、そして胡乱過ぎますね……」


 沈痛なロヴィーサの言葉を最後に、場には沈黙が降りた。

 痛々しいほどの沈黙が続き、そしてレヴィンの盛大な溜め息でそれが破られる。


「それこそ、神官を人質に取るとか、直接訊き出すとか……いや、神官さえ騙されてる可能性もあるのか。神殿勢力の中枢にいようと、神から裏切られているのは一緒かもしれない」


「そういえば、なんですけど……」


 そこにアイナが困ったような顔して、レヴィンへ疑問を投げかける。


「神官は基本的に、魔族がやってるって話でしたよね?」


「あぁ、そうだな」


「その魔族って、もしかしてエルフなんですか?」


「そう言ったろ?」


 レヴィンが首を傾げながら、さも当然という風に言ってきたが、アイナはこれに強く反発する。


「いや、言ってないですよ! 魔術とか制御とか得意だって言ってたんです!」


「同じことじゃないのか?」


「……あぁ」


 レヴィンとアイナの間では、世界の常識に隔たりがある。

 だから、伝わって当然のニュアンスが、アイナには表面上の言葉でしか伝わっていない。


 エルフとは魔術と魔力制御に秀でた一族であり、そして魔術に対して並々ならぬ誇りを持つ。

 神に対する信奉も人一倍……あるいは数倍持ち、神の意思を受けて魔の島からやって来た、というのだから筋金入りだ。


 エルフが口にした大陸渡りが真実、神の指示によるものか、それは分からないことだ。

 しかし、これまではそうあるものと信じられて来た。

 ヨエルがそこで、やはり首を傾げながらアイナに問う。


「……で、それが何か問題か?」


「いえ、魔族と聞くと……その、イメージ的に悪者って思いがちなので。そのイメージに引きずられて、最初から神殿に良いイメージなかったんですけど……」


「だったら、改めて悪いイメージが付いただけの話じゃないのか?」


 そう言われて、アイナは返す言葉が思い付かなかった。

 エルフはどこか神聖で、自然との調和を図る種族だと思っていた。


 しかし、それはどこまで行っても、イメージの話でしかないのも事実だ。

 真実、そこに存在する種族に、勝手な押し付けに意味はない。


「よし、それじゃあ……」


 アイナもすっかり呼吸を整え終わったと見て、レヴィンが視線を外へ逸らす。

 それは神殿襲撃前に、野営をした場所と同じだった。

 野営に適した場所を、一から探すのは面倒なものだ。


 それに、夜闇の中で新たに見つけ出すのは、更に困難を極める。

 とりあえずの帰還場所として選ぶのは、妥当でしかなかった。


 そうして実際に帰り着くと、そこには先客が待っていた。

 一度火を消した焚き火跡だが、偽装したわけでもないので、見る人が見ればすぐに分かる。


 前の旅人が残していったとなれば、ある程度安全地帯と見ることも出来、炭が残っていれば、それを再利用もできる。

 旅慣れた人ほど、目敏く見つられるだろう。


 レヴィンはヨエルと互いに目配せし、どうしたものかと考え込む。

 すぐに引き返し、見られないことを優先した方が良いか――。


 そうしよう、とレヴィンが判断を下した時には、既に遅かった。

 誰も居ないと思っていた背後から、肩を叩かれ咄嗟に飛び退く。

 そこには、一度見たら忘れられない、黒髪の美女が立っていた。


「随分、奇遇な所で会うじゃないの。ほら、ちょっとお話、聞かせて頂戴な」

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