ロシュ大神殿の攻防 その8
「神使でさえ手に負えない状況を……。それが今よね、達成してるわ。このまま飲み込めば満足? 強大無比な淵魔の誕生が望み? ……これを基点とした蹂躙、それも目的だと思えるけど……」
ルミは誰かに聞かせる為ではなく、自らの考えを整理したくて、声に出していた。
それは誰もが分かっているので、口を挟んだりしなかった。
「激しい抵抗は予想できた。援軍がある前提、時間稼ぎされる全体を考えていたハズ……。だから、攻城戦用の
ルミは渋面を浮かべ、余裕なく苛立たし気に肩を揺する。
何もない空中を睨み、そして盛大な舌打ちを鳴らした。
「まったく……! 城壁がこんな簡単に落ちてなければ、もっと考えられる時間はあったでしょうに……!」
これにレヴィンは、済まなそうに肩を落とした。
しかし、これは落とされたレヴィンが悪いという話ではなく、単なる愚痴でしかなかった。
彼の役目は這い上がって来る淵魔を叩き潰す事であり、城壁下で起きていた事は二の次だった。
城壁に穴が空いてからも、しっかり奮戦し、己が役目を全うしていた。
誰憚ることなく、堂々として良い。
そうであっても、現場責任者としては、後ろめたい気持ちは拭えなかった。
「ここを落としたいのは理解できる。……その上、『虫食い』の対処が先にあるから、神々の援軍は時間が掛かる。それを知っているから、襲撃のタイミングも考えて設定したハズ……」
「ならば、現状は奴の想定通りか」
そこに合いの手を入れたのは、それまで沈黙を守っていたリンだった。
とうとう待っているだけにも飽きたと見えて、腕を組みながら顔は大扉へ、そして視線だけルミに向けている。
「ロシュの龍脈は二の次、我ら神使こそが狙いという可能性は? 実際、我らの手に余る状況だ。あれら全てを討滅できるかも疑問。そして、我らでさえ手に余る状況なら――」
「そうね。より強大な淵魔を生み出すのが目的なら、アタシ達は実に良い餌だわ。これを喰われてはならないと、神々も少しは躍起になって『虫食い』に対処するかもね」
「急いでくれるのは有難いが、そこまで予想出来る神がどれ程いることか。ともあれ、一柱でも逸る気持ちでいてくれるなら有難い」
「五柱いるんだから、一つくらい……とは思うけど、劇的に早まるコトだってないでしょ。そこを期待するには、稼ぐべき時間がまだ多く残ってるってのに……。この籠城も、いつまで続けられるやら……」
「まぁ、ジリ貧だな。籠っているだけでは時間が稼げんだけでなく、非常に不本意なものを献上する事になる」
リンが忌々しく呟くと、ルミもまた眉間に皴を寄せて頷いた。
しかし、これまでの一連の応酬にピンと来ていないレヴィン達は、顔を見合わせてからルミへと問いかける。
「結局、どういう事なんです? アルケスの狙いは、実は神使様だという事なんでしょうか?」
「多分、それともちょっと違うのよ。神を呼び込みたいんじゃないかしら。アタシたち神使と兵だけで解決できない物量を送り込んだのは、そういうコトだと思うんだけど……」
「つまり、攻め落とすことを目的にしてないって意味ですか? じゃあ……、より強大な淵魔を作り出して、神に対抗できるだけの戦力を作り出したいとか?」
「兵を喰らい、討滅士を喰らい、神使を喰らい、そして更に……ってな具合? そうしたい意図は透けて見えるけどさぁ……」
ルミが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
その気配に当てられてか、リンもまた不機嫌そうに大扉を睨み付けた。
「さながら、ここは解体場兼、調理場か? そうと知らずに誘い込まれた、囲いの中の羊が如く思っているのかもな」
ルミは最初から、ロシュ大神殿が戦場になるとは予想していた。
条件が整い過ぎていたからだが、それすら誘導されたものだとしたら、実際大したものだった。
状況的にアイナの確保は無視できず、そして大神殿が狙われていると分かれば、どこで捕獲しようと、まず連れて来なければ安心できない。
無関係と思える神殿へ連れて行き、保護して貰うには不安が大きかった。
アイナを取り戻すつもりにしろ、結局淵魔は使われるのだろうから、一挙両得のつもりでいたのだ。
しかし、蓋を開けてみれば、予想を遥かに上回る淵魔の襲撃があり、恐らくここまで全て計画通りだった。
上手く踊らされてしまっている。
それはルミも自覚しておかなければならなかった。
「では、やはり……非常に不遜ながら、神を……?」
「そうかもねぇ……。神を呼び寄せる為であるのと同時に、我々も喰らうつもりなんでしょ。でも、順番が大事。そして
「神にも囲いに入って貰う必要がある。しかし、それまでにここは制圧、捕食しておきたい。神の到着が早すぎれば、捕食する淵魔が間に合わず機会を逃す」
「割と綱渡りよね。とはいえ、今のところ上手く推移してるっぽいけど」
「何をそんな悠長な……!?」
レヴィンは動揺を隠せず、思わず声を荒らげてしまった。
周囲では兵が忙しなく動いており、鳴り響く怒号と大扉を叩く音で、周囲に聞こえてはいない。
軽率な行動だったとレヴィンは頭を下げ、それからルミが続きを話してくれるのを、ただ待った。
ルミは盛大に息を吐いて、眉間に指を当てながら口を開く。
「目的がそれだったとして、言うほど簡単じゃないわよ。神ってのは例外なく強い存在だもの。戦闘向きの権能じゃなくても、これを捕食ってのはねぇ、相当困難なのよ」
「それは、勿論……、そうでしょうが……」
「仮に、この世で最も強い個を選定するなら、それは神ってコトになる。淵魔が喰らって取り込み強化し続けるのは、その存在を超える為か、とも思ったりするんだけどねぇ……」
「まさしく、それじゃないですか! 神を喰らうのが目的なら、それこそ……!」
更に興奮するレヴィンを余所に、しかしルミは冷静だった。
腕を組んで話を聞いているリンにも、全く動揺は見られない。
そんなことは起こらない、と初めから分かっているかのような態度だった。
「歯が立たない、なんて言い方があるでしょ? 文字通り、硬くて噛めない、噛み付けない……それが神としての強さの現れでもあるワケよ。その上、魔力による防膜の上乗せまであって、ちょろっと強化された淵魔じゃ喰らえない存在なの」
「そこまで、ですか……」
「そこまで、なのよ。防御魔術で身を固めてない状態でそれなんだから、神を損なうってのは相当難しい芸当なワケ」
「でも、喰らった対象によっては魔術も使えますし、ある種の魔物には鋭い牙だってあります。決して不可能とはならないんじゃ……」
この指摘に、ルミは素直に首肯した。
淵魔は喰らった対象の能力を獲得できるので、その合成具合では神の防御を貫く方法を編み出せるかもしれない。
そして、あらゆる存在の頂点となる淵魔を誕生させること――。
それこそが目的なのだ、と言われたら、そうだろうと思えてしまう。
「でも、可能とは思えないのよね。さっきまでの淵魔の中に、そこまで際立った個体はいなかったし……。大体、神は飛べるのよ。負けないコトを優先するなら、まず捕食なんて不可能なの」
「な、なるほど……。飛べて逃げられるなら、そう簡単には……」
「それだけじゃないけどね。――例えばだけど」
そう前置きして、ルミはつまらない小話を披露するように言った。
「あれだけ集められた淵魔が、ここの人間を喰らい尽くしたとしましょう。実際には
「……そう思います」
「さっきもチラっと零したけど、神々はいま忙しいの。淵魔対処と比較して、なお無視できない処理に行動を割いてる。でも、そちらのカタが付けば、きっとこちらに来るでしょう」
「それは……、心強いです……」
レヴィンの吐露は本心からの気持ちだったが、同時にそれは、まず間に合わないのだと察した。
これまでルミが言って来た言葉の端々にも、それが感じられる。
そして、淵魔の攻撃が激しいのも、その救援を間に合わせたくないからなのだろう。
何しろ、持久戦こそ淵魔の真骨頂だ。
体力や気力などなく、兵糧といった物資も必要なく、二十四時間責め立てられ続けられるのが、淵魔という存在だ。
籠城した時点で、人類側に最初から勝ち目などない。
それこそ、神ほどの存在が援軍に来ると期待せねば戦えない対処だ。
「救援に来た神を捕食するのが目的なら、それだけ強力な淵魔を作り出せる自信あってのコトでしょう。それこそ、大勢が決した後、上手く淵魔を操作して、たった一つの
「意図的に個体を動かせるなら、そうして強力な個を作り出せるかも、と……」
「そしてアタシ達さえ喰らって、どうにかして上手いコト、やって来た小神を捕食して見せたとしましょう。――でも、それでも尚、大神が出向けば解決してしまう」
しごくアッサリと告げられて、レヴィンは首を傾げてしまう。
創造神と称されるだけの存在である上、小神を束ねる存在だ。
他の神より弱いとは思えないし、絶対強者であることを望んでしまうが、果たしてそこまで断言できるものだろうか。
レヴィンは少し不安げになって、ルミに尋ねる。
それが単なる盲信であるなら、諭す誰かが必要だと思ってのことだった。
「本当に、その……絶対勝つんですか? 神を捕食できるほど強化された
「まぁ、負けないでしょう。そもそも、全小神を束ねたところで、大神は更に地力で勝るし。それに、神という個を獲得した時点で、淵魔に勝ち目が無くなる」
「えっと……、何でですかね?」
「大神の権能が、『神殺し』だから」
レヴィンは思わず、呆ける様に口を開けてしまった。
そもそも、伝え聞く大神の権能は、『抵抗』と『挫滅』であって、そう物騒な名前ではなかったはずだ。
聞いて良かったのか、それとも何かを想定したブラフなのか……。
レヴィンが不安げな視線を周囲に向けたが、返って来る視線も似たようなものだった。
「その……、聞いて良かったんですか? 俺さえ知らなかったのなら、隠されてきたものだったのでは……」
「別にそういうワケでもないわよ。でもまぁ、今は置いときなさい。重要なのはね、神という個を獲得しない限り、大神に挑めすらしないんだけど、神の個を獲得すると敗北が確定するのよ。……割と理不尽よね、これって」
「アルケスがそれを知らない、なんて事は……」
「――そんなワケないでしょ」
ルミが断言して、それから唸りながら首を傾けた。
「だからね、狙いが分からない。状況的には、こちらが手詰まり。神の助力なしでこれを覆せない。神を呼び込もうとしているように見えたけど、捕食が目的と推測すると、途端にぼやける。というか、なまじ捕食すると大神に負ける。……じゃあ、やっぱり単に要衝を奪いたいだけ?」
「それでは、今が良くても手詰まりになる。大陸は一時、淵魔の蹂躙を許す事にはなるだろう。……が、数百年掛けて、また封じてやれば済む話だ」
「それはそうねぇ……」
「結局のところ、やるべき事は変わらん」
リンが堂々たる宣言をして、その腕組を解いて立ち上がる。
「こちらの防衛計画が崩れた以上、打って出ねば敗北は必至。我らが外で暴れれば、大扉から淵魔を暫しの間、引き離す事も出来るだろう」
「……そうね。出撃と籠城を繰り返して、休憩と共に上手く補強を続ければ、目も見えて来るかもしれないわ」
ルミは盛大に息を吐き、傾けていた首を戻した。
腕組も解いて立ち上がると、それに続いてレヴィン達も腰を上げた。
「ヴィルゴット、馬を借りられる?」
「ハッ! 無論、お望みとあらば!」
「アタシたち神使が先頭で、戦場を駆け回るわ。騎兵の百、アタシ達に預けなさい」
「神使様の御心のままに!」
ヴィルゴットが胸に手を当て一礼すると、レヴィンもまた一礼してから、挑むような顔付きで発言する。
「その百の中には、是非とも俺も加えて下さい!」
「なに言ってんの。最初から数に入ってるわよ、最大戦力で挑まなきゃならないんだから」
レヴィンは晴れやかな笑みを浮かべて、またも深く一礼した。
「ハッ! 必ずや、ご期待に添えます!」
「あの、私達は……!」
堪らずロヴィーサが口を出すと、これにルミは頷いて見せる。
「ここにいるヤツは全員参加。あとは討滅士の中からも、防御系の刻印が残ってるなら連れて行きたいわね。ハスマルクにその辺、相談しましょ。馬の扱い、ヴィルゴットは上手かったわね。信頼できる者を選んで。――打って出るわよ」
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