ロシュ大神殿の攻防 その7
ルミ達は、神殿内まで戦力を損なうことなく、撤退させることには成功した。
これによって息を整え、体力を回復させる時間は稼げる。
しかし、窮地に陥っている事実は変わりなかった。
大抵の者は、既に刻印も使い切っていて、前線にいて余力を残したものなど残っていない。
レヴィンにしても同様で、ここで幾らか休めても、刻印の――魔力の回復まで待てる時間は残されていないだろう。
そして、神殿内へ逃げ込んだからといって、休める時間が与えられる訳でもなかった。
既に城門の門扉は破壊され、今度は神殿の大扉を破ろうと、淵魔が大挙して押し寄せている。
破城槌の
「支え棒を持って来い! 使えそうなもの何でもだッ! 重りになりそうなものは、机でも椅子でも、何でも使えッ!」
ハスマルクが声を張って、兵達を指揮していた。
ユーカードと同じく、淵魔と長く戦ってきた家系だから、防衛戦にも慣れている。
南方領にも三重の隔壁が築かれていて、時に壁まで押し寄せた淵魔を、そこで迎え討つこともあった。
ここまで不利な状況での防衛は、流石に経験ないものの、さりとて任せて不安のない将だ。
ルミもそれを理解しているから、今は完全に任せきりにしている。
それより重要なのは、この状況からどうやって逆転するかだった。
今は正門と全体を見渡せる位置で椅子を持ち合い、そこで主要な人物を呼んで顔を合わせている。
誰もがその顔に、疲労は色濃い。
特にヨエルやレヴィンは、土と汗と血が張り付いて、顔が黒くなっている程だ。
しかし、そこに気を掛ける余裕ある者は、この場に誰もいなかった。
ルミとリンの神使組が上座で腰を下ろし、レヴィンとヨエル、ロヴィーサのユーカード組がその右側に、その対面へ騎馬隊を率いた将が座る。
全員の着席を確認し、そして大扉から聞こえて来る衝撃音を横に、新参の騎馬隊長へ向かって、ルミが口を開いた。
「まずは、そちらが何者か訊いておきましょうか。手早く、簡潔にね。余裕はないの」
「ハッ、勿論です! 私は、エネエン王国はイデンロッド王の子、ヴィルゴット。王領内の淵魔を追って、こちらまでやって参りました」
謎の騎馬隊についてその正体が判明し、レヴィンはハッと顔を向ける。
辺境領に引き籠もっているせいで面識もないが、形式上、彼は立派なレヴィンの君主となる人物だ。
イデンロッド王には子が一人しかいないこと、そして王太子の存在は、レヴィンも当然知っている。
敬意を捧げる人物であり、同じ席に付くことも本来はあり得ない。
レヴィンが立ち上がろうとした時、ルミがやんわりと手を振って、それを諌めた。
「王位だの爵位だの、そういう面倒な話、今は置いときましょ。指揮系統をここで崩したくないし、再構成するのも時間的に無理。流浪の騎士が、見るに見かねて参戦って形が一番簡単。……それでどう?」
「異存ございません。そちらの――」チラリ、とリンへ視線を向けてから、ヴィルゴットは続ける。「神使様より窺ってから、元よりそのつもりでございますれば」
殊勝な態度を崩さずヴィルゴットが頷けば、ルミも短く返事して話を続ける。
「結構よ。……まぁ、王領内で騎士団率いて魔物対峙する、酔狂王子の話は聞いてたけどさぁ。中央から、わざわざこっちまで? ……それに、淵魔も? そちらまで侵出していて、助けを呼びに来たって話じゃないのよね?」
「はい、そうではございません。王領内でのアルケス神殿より、複数の淵魔が――当時は、それを淵魔と知りませんでしたが、我が兵を襲った為……その報復にと動いておりました」
ふぅん、とルミは曖昧な返事をして、空中を睨みながら顎を動かす。
ヴィルゴットは促されるまま、続きを話した。
「当初、王にこれを対処する進言を行いましたが、梨の礫でございました。敬虔なる大神信者でありましたのに急遽、宗旨替えを……。神の声を聞いたのだとか申されまして……」
「なるほどねぇ……、援軍の集まりが悪いワケだわ。そっちはとうに抑えられてたってコトか……。タイミング的にも……、そうね。十分、考えられるし……」
「しかし、ルミ様……」
そこで口を挟んだのは、レヴィンだった。
訝しげな表情をしながら、ヴィルゴットとルミの間で視線を動かしながら問う。
「侵出してないのだとしても、そこで暴れさせれば、目的としては十分だったのでは? 淵魔討滅は初動こそが寛容。兵が襲われたというなら、喰われたという意味でもあるはず。この時点でもう、手の付けられない
「その懸念は尤もだけれどねぇ、現実にはそうなってないのよね。王領内で暴れまわってる淵魔の話なんて聞いてないし、そもそも……」
ルミが何かを悟った視線でヴィルゴットを見ると、これに頷きを持って応える。
「はい、淵魔は南方方面へと逃げました。いえ、逃げたというのは、適切ではないのでしょう。その気になれば、我ら騎馬隊と正面からぶつかり合って、蹂躙すら出来たはずです。しかし、戦闘らしいものさえ起こさなかった。奴らは一様に、目的があって移動しているように見え……そして実際、目撃証言からその様に断定いたしました」
「何も襲わずに……? 目撃、というからには、目に見える範囲で人がいた、という意味ですよね? その淵魔は何もせず、ただ移動したというのですか……!」
レヴィンが驚愕すると同時、疑わしいものを見る目付を向けた。
淵魔の本能として、生命を襲わずにはいられない。
そして、目に映る範囲に何かが居て、襲わないのもまたあり得ないことだった。
そうだというのに、ルミはレヴィンとは真逆――納得の首肯を示した。
彼女は諭す様にレヴィンへ言う。
「何もおかしな話ではないわ。さっきまでの淵魔の攻勢は見てたでしょ。全ての淵魔ではないにしろ、明らかに命令されて動く個体がいた。そうでないと、説明付かない動きをした奴がね。王領内の淵魔も、その類いでしょうよ」
「それは、確かにそうです……。命令を受けたか、操られているような淵魔がいました。それは分かります。しかし、何故……?」
「元々、そこに隠していた淵魔の数が少なかったか、目立たない所から淵魔を引っ張って来たかったか……。
「つまり……?」
だから、とルミは疲れた息を吐いて、ヴィルゴットへ目を向けた。
「彼が率いていたのは、騎馬隊なのよ。それが襲われたワケ。そして、喰われた。人と、馬をね。アンタも身に覚えがあるでしょ、人と馬の特徴を併せ持つ
「あ……!」
レヴィンが声を漏らすと、ヨエルとロヴィーサも顔を合わせて、深く頷く。
「一体どこから来た淵魔かと思ってたが……」
「そういう事、なのでしょうね」
「アンタらを追い立てる為の淵魔、そして脅威が実際にあるのだと、その信憑性を高める為、用意された淵魔だった。淵魔の発生だとか、その辺を誤魔化せる程度には遠い場所から連れ出せれば、役目としてはそれで十分だったのかもしれないわ」
そう言いつつ、ルミは納得しかねる様な表情をさせて、腕を組んだ。
そして、単なる駒として使う為に殺され、利用された部下を思い、ヴィルゴットは顔面に怒りを貼り付けて震えていた。
レヴィンは当時のことを思い出しつつ、思案顔でポツリと呟く。
「そういえば、襲われてから河を渡って逃げ切った後、……それきり姿を見せなくなったな」
「遠回りして橋を渡り、更に追って来ると思っていたのに、結局アルケス神殿に着くまで、その影すら見る事なく到着しました」
ロヴィーサからも捕捉を受けて、レヴィンは頷く。
唐突に現れ、襲ってきた理由は、恐らくルミの言う通りで間違いない。
遠大で、あまりに遠回りと思える方法でも、計画の尻尾を掴ませない為に必要な一手ではあったのだろう。
百年前から、この襲撃を準備していたアルケスだ。
露呈を防ぎながら、駒を上手く誘導する為であれば、どんな事でもしそうだった。
「でも、分からない事もあります。――いえ、むしろ分からなくなりました」
「……何が?」
ルミが首を傾げたタイミングで、大扉から大きな衝撃音が響いた。
補強を重ねた上、魔術によって保護された素材だが、無限に衝撃を跳ね返せはしない。
その限界は近づきつつある。
そして、崩れるとなれば一気だろう。
レヴィンもまた、大扉を気にしつつ、言葉を速めつつ口に出す。
「アルケスの目的は何なのでしょう? 私怨に近いものだとは、ルミ様から聞きました。自暴自棄の癇癪みたいなものだと。でも、淵魔はたった一体だけでも、無防備な所を襲わせれば、それだけで手を付けられなくなる。五体もいれば、それだけで目標達成できませんか?」
「さぁて、どうなんでしょうねぇ……」
これは曖昧に誤魔化そうというより、本気で悩んでいるように見えた。
眉間にシワを寄せ、空中の一点を見つめている。
「適当な農村部から次々と襲って、その情報が出回るまでに、一体どれだけの村――人や家畜が犠牲になるでしょう。被害を認識し、討伐隊を組織する時間は、王都では迅速でないはず。そして、ようやく討伐に向かう頃には、手の付けようがない
「そうね、そうだと思うわ。でもね、それぐらいなら神使の対処で、解決は出来てしまうのよ。損害が出るのは間違いない。国家も傾くでしょう。滅びさえするかもね。でも、それだけよ」
「それだけ……ですか」
「えぇ。国家転覆だとか、大陸から一国を消したいからと、やってるコトではないでしょうよ。そして、出来るといってもその程度。そこから再び淵魔を一掃しようと思えば、また何百年と掛かりそうではあるけどね」
「だから……、戦力の集中を目的に?」
「ギリギリまで気付かせたくなかった。だから、どれほど胡乱でも、十重二十重に全貌を隠す努力をした。そしてどうやら、その努力が実を結びそうよ」
ルミは忌々しく息を吐き、それから天井へ視線を向けた。
「神殿の崩壊、要衝の奪取、淵魔の蔓延……? でも、それが目的とは思えない。神の……何よりアルケスの発想とは思えないのよね。……じゃあ、もしかして接触してる? 別の……いえ、もしかすると……?」
ルミは次々と言葉を発していたが、それは誰に向けたものでもなかった。
難しい顔のまま、自分の考えを整理する為、言葉に出しているだけだ。
そして最後に思い付いた一言で、苛立たし気に動かしていた肩の動きが止まる。
唐突に沈黙した彼女は、眉間のシワを深くして、ただ一点を睨んでいた。
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