ロシュ大神殿の攻防 その6

 穴の開いた城壁を守らんと奮闘している兵に、ルミが退却を告げている中、城門の方でも危機が訪れていた。

 破城槌が遂に扉へ罅を入れ、突き破ったそれが木片を吹き飛ばす。


 それに運悪く当たった兵の頭が揺れ、それでも頭を振って持ち直し、額から血を流しつつ、門扉を開かれまいと食らい付く。

 突き出した破城槌へ攻撃を加える者も多いが、すぐさま引っ込んでしまって空振りに終わった。


 門扉のぽっかりと空いた穴からは、甲羅の混合体ミクストラの姿が見え、爛々と輝かせる目が覗いていた。

 獲物と目が合えば、そこへ噛み付こうとするのが淵魔だ。

 狼に似た鼻面を、開いた穴へ突っ込もうとし――、そしてそれを気にも掛けない破城槌が押し潰して砕いた。


 淵魔に仲間意識などなく、また損耗を気にしたりしないので、こうした同士討ちが度々起こる。

 それでも、だから助かったと安堵する暇もない。

 今更淵魔一体の損失程度、この状況には全く寄与してくれないのだ。


 そうして更に打ち付けられる破城槌により、門扉が更にたわみ、開いていた穴が更に大きく拡がった。

 破城槌の面積より大きな穴が開いたことで、無垢サクリスまでが入り込もうとしている。

 甲羅の混合体ミクストラに比べ、遥かに小柄な無垢サクリスならば、潰される事なく侵入できそうだった。


「中に絶対、あれらを入れるなッ!」


 ルミが注意を喚起すれば、気色ばんだ兵達も気を引き締めて武器を握る。

 言われずとも分かることだろうと、そうした声が聞こえると、やらねばという気持ちが強まるものだ。

 それで誰しも声を張りながら、穴から顔を出した無垢サクリスを、槍や剣で突いて押し返した。


「その調子! 門を守って! 仲間が退却できない!」


 レヴィンとヨエルは殿しんがりの務めを果たしている最中で、その最後尾で武器を振るっていた。

 既に多くの兵は階段を上がっているのだが、レヴィン達はその階段に足を掛けたばかりだった。


 兵達が逃げ切る前に城門を突破されたら、乗り込んで来た淵魔と挟み撃ちになり、全滅してしまう。

 せめて彼らが神殿内へ入り込むまで、この門扉を死守しなければならなかった。


 歩廊の上から弓を射かける兵もいて、援護射撃にもなっているが、成果は乏しい。

 誤射を恐れて離れた敵を狙っているせいもあり、雪崩の様に攻め込む淵魔の動きを止められていなかったからだ。


 それでもレヴィン達はやられる事なく、一歩また一歩と階段を登って進んでいた。

 数段の違いであっても、高所からの攻撃は遥かに有利だ。

 ヨエルの大剣はリーチも長く、一方的に打ちのめすことも出来ている。

 このままならば、問題なく逃げ切れそうだった。


 ――その一方、城門では戦況を左右する、極めて厄介な状況になっていた。

 城門が遂に破られ、淵魔の群れが押し込もうとしている。

 門扉を抑えるのに兵が多く詰め、そこで押し合いし合いしているのだが、これは長くたないと、誰の目にも明らかだった。


 ルミもこの状態では流石に黙っていられず、穴が大きく開いてしまった門扉の前へと躍り出る。

 他にも討滅士を引き連れて、淵魔を相手に武器を振るった。


 レイピア型の武器で、切っ先をしならせながら突く攻撃は、狭い場所で使うには有効だ。

 横に幾らでも味方がいる状況では、大きく振り回す武器は特に向かない。


 時に魔術で雷撃を放ち、時に刺突で淵魔を仕留め、大いに奮戦、活躍を見せる。

 だが、敵の圧力は強まるばかりで、押し留め続けるにも限界は近かった。


「これ以上はちません!」


 付近にいた兵が悲鳴を上げて陳言した。

 言われるまでもない、とルミは思っても口にしない。

 ここで撤退してしまえば、今も逃げている兵の多くを見殺すことになる。


 そして、それは単なる兵の損失とは違う。

 有力な兵士、有力な討滅士の損失は、それ以上に厄介な淵魔を生み出すことに繋がる。


 安全地帯まで逃げて貰わない限り、門扉の死守も終えるわけにはいかなかった。

 見殺しは即ち、勝敗の天秤が、一気に敗北へ傾くことを意味している。


「いま少し! もう暫く耐えて頂戴ッ!」


 声を枯らして叫びながら、ルミも必死に武器を突き出した。

 淵魔を一体、また一体と貫き、更に魔術の一撃で泥へ変えていく。

 されども、その背後に見える回廊には、幾らでも淵魔が控えていた。


「神使様! これ以上は――!」


 兵が堪らず叫んだその時、ルミの背後から聞き覚えのある声が届いた。

 兵達の間を縫って現れ、そして隣に立ったのは、兵隊を逃がして殿しんがりを受け持っていたレヴィンだった。


「遅いってのよッ!」


「十分、急いだつもりでしたが!」


「――木材、持ってきてッ! 穴を塞ぐの!」


 後ろの兵にルミが命じれば、レヴィンに遅れてその隣にヨエルが立つ。

 しかし、大振りな大剣では、如何にも場所が悪かった。

 門扉は確かに破られたが、巨大な扉の上部はそのまま残っている。


 剣を振り下ろすには邪魔となり、長大な武器を振り回すには、スペースが圧倒的に足りない。

 ヨエルは早々に愛剣を仕舞い、代わりに近くの兵から槍を借りた。


 三人いれば、淵魔の圧力を押し返し、その間に門を閉じられる。

 そして、その間に空いた穴を塞ぎ、補強してしまおうという算段だった。


 淵魔には当然、そうした狙いは分かっていない。

 それでもこの好機を逃すまいと、喰らい付く圧力だけは高まった。


 目の前に見える敵は無垢サクリスだけでなく、甲羅の混合体ミクストラまでいる。

 生命力も相応に高い混合体ミクストラは、押し返すだけでも精一杯だった。


 ――何かもう一手がいる。

 ここで押し返せる、起死回生の一手が……!


 しかし、使える戦力は全て出払ってしまっていた。

 ハスマルクはここにいないが、神殿内での籠城戦へ移行する為、兵を率いるようルミが既に命を出していた。


 ここを凌げば、即座に戦場がそちらに移るので、逃げ込む前から準備が必要だった。

 本人もその重要性が分かっているから、前線に張り付いていたい気持ちを抑えて、そちらを専念して貰っていたのだ。


 足りない――。

 何もかもが足りない戦況だった。

 兵力にしても、最初から足りないのは分かっていたことだ。


 援軍の要請も可能な限りやっていた。

 しかし、準備期間は余りに少なく、急場に対応するだけの余裕さえ、相手は許してくれなかった。


 ルミは淵魔を一体、また一体と貫きながら、必死に押し返そうと奮戦する。

 まず門扉から離れさせなければ、修復するも何もない。

 口惜しさが漏れ、ルミはに対して、声を張り上げた。


「何やってんのよ、こんな時に……ッ!」


 その悪態が、まるで遠くへ届いたかの様だった。

 遠く淵魔を挟んだ向こう――、レヴィン達を連れて来た山がある方向から、ときの声が聞こえて来る。


 ルミたち三人は何とか淵魔を門扉前まで押し返したことで、そこで何が起こっているのか、横目で見られるようになった。

 遠方からは砂塵を巻き上げ、百程の騎兵が戦場を縦断して来ている。


 彼らは淵魔どもを轢き殺し、薙ぎ倒し、一方的な猛威を振るって直進していた。

 先頭を疾駆するのは見慣れた女性で、それが一度腕を振り上げると、その衝撃で淵魔が小石の様に飛んで行く。


 周囲の淵魔を軒並み吹き飛ばすと、頭上に上げた腕を小さく回転させる。

 それを合図として後続の騎馬と一丸となり、矢の形を形成して速度を上げた。


 淵魔を薙ぎ払いながら、突進する先は回廊だ。

 一騎の騎馬兵が突出し、まるで穂を刈り取るように淵魔を蹂躙する。


 そうして、後ろの騎馬兵で打ち漏らした淵魔、体勢を大きく崩した淵魔を仕留めていく。

 いっそ冗談の様に見える光景だった。


 狭い回廊に差し掛かると、なお勢いが増す。

 背中から攻撃される形になっている淵魔は、ろくな反撃も出来ず思う様に叩き潰され、死ななかったものは回廊の下へと落ちていく。

 淵魔も反撃しようとするのだが、狭い回廊の中で反転も簡単ではなく、殆ど抵抗らしい抵抗もなく薙ぎ払われた。


「道、開けて! 騎馬が来る!」


 ルミが後ろに向かって叫ぶと、その背後で圧し合っていた兵が、後ろへ後ろへと下がってスペースを作る。

 半端に残っていた門扉も、そのタイミングで開け放たれ、完全な無防備な姿を晒してしまった。

 そのうえ守る者がたった三人しかおらず、あまりに心許ない状況だった。


 しかし、それを以て余りある戦力が、淵魔を蹴散らし進んで来ていた。

 門扉へ辿り着くより幾らか早いタイミングで、騎手は馬を走らせたまま降りると、勢いそのままに手に持ったメイスで、存分に淵魔を吹き飛ばす。


「ハァァァッ!!」


 彼女の一撃と、腕の一振りから繰り出される衝撃は、強烈の一言に尽きた。

 固い甲羅すら彼女の攻撃を受けるには脆く、身を守る動作ごと砕かれる。


「騎馬隊が来る、道ぃ開けてッ! 轢かれるわよ!」


 回廊を蹴り上がって来る騎馬隊の為に、中の兵は慌てて壁へ張り付く必要に迫られた。


「次々、入って! 中の兵も頼むわよ! ちゃんと彼らを誘導してやって!」


 騎馬隊が門扉の中へと吸い込まれるように入って行くと、後に残ったのは綺麗に何もいなくなった回廊と、戦意を漲らせたリンだけになった。

 ルミはそこへ詰め寄るように近付くと、開口一番、非難をぶつけた。


「――で、何!? ようやく来たのッ!? 遅いわよ! それに、あの騎馬隊は何!?」


「騒ぐな。間に合ったろうが。途中で会った、だから拾った。奴らも淵魔に恨みがある。互いの利益が一致した」


「はぁ!? 意味分かんない、ちゃと説明しなさいよ! ――それに、これを間に合ったとは言わないでしょ。どんだけ気長な人間だって、呆れ果てて唾吐き出すわ!」


「単身ならばともかくな、あの数の中、お荷物抱えて合流など簡単ではないぞ。お前にだってそれぐらい――あぁ、後で幾らでも説明してやるから、今は優先順位を履き違えるな」


「……そうね、分かったわよ。実際、予想外の援軍は助かった。手早く済ませましょ」


 ルミがしかめっ面で頷くと、騎馬隊の中で遅れてやって来ていた、最後の騎馬が到着した。

 馬を走らせながら鞍上あんじょうから降りて、馬を門扉の中へ通しながら、その騎手がレヴィンの前で一礼する。

 その姿を認めた途端、レヴィンの目から、じんわりと涙が浮かんで来た。


「遅くなりまして申し訳ございません、若様」


「あぁ……! きっと生きてるって信じてた……っ!」


「若様を残して、先に逝ったりいたしません」


「あぁ、そういう台詞を、ヨエルにも言われたな……っ!」


 レヴィンは堪らず、武器を手に握ったままロヴィーサを抱きしめる。

 土と埃が汗で張り付いた身体である事も忘れ、胸の内へ仕舞い込む様に、もう離さないと主張するように。


「わ、若様っ! その様な……!」


「――どうでも良いけど、そういうの後回し!」


「わ、あ、……おう!」


 ルミが二人の前へ顔を突き出し、余裕のない顔のまま、城門の中を指差す。

 言わんとする意味を理解し、レヴィンも慌ててロヴィーサから身体を引き剥がし、ヨエルを伴い中へ入った。


 今は回廊から綺麗に淵魔を追い払った形なので、ちょっとした小康状態になっている。

 破壊された門扉をどうにかするなら、今の内しかなかった。


 騎馬隊と入れ替わりに木材を持った兵達がやって来て、閉じられた門扉へ木板を張り付けていく。

 釘と金槌を持った兵が殺到して手早く修復し、閂にも代わりとなる落とし棒が用意される。


 とりあえず、体裁だけは整えられたが、同様の攻撃をされれば、一溜りもないのは明らかだ。

 しかし、それは最初から織り込み済みで、安全に撤退できる時間さえ稼げれば、それで十分だった。


 城門は何とか凌げたが、侵攻はなお継続中だ。

 城壁に空けられた穴から、今も淵魔は雪崩れ込んでいるはずだった。


「神殿内に退くわ! ――撤退!」


「急げッ! 引き上げだァ! 城門も長く保たん!! 退却だァァ!!」


「退却ッ、退却ゥ!!」


 周囲の兵からも声が上がり、門扉を背にして走り始める。

 そして門扉にも既に淵魔が辿り着いたらしく、また何かを叩き付ける音が聞こえ始めていた。

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