それぞれの戦い その5

 第一障壁の東端に位置する龍穴……その上空で、ミレイユは訝しげに首を捻りながら、次々と魔術を放っていた。

 巨大な赤竜の頭を玉座にして、大量に湧き出し続ける淵魔を睨む。


 ミレイユが手を休めている時は、ドーワの口から息吹ブレスが放たれ、熱線に晒された淵魔は例外なく、消し炭となって消えていた。

 こうして淵魔を討滅し続けて、既に数時間が経過している。


 この時にはルチアやユミルも別の竜へと移っており、それぞれが距離を保ちながら、眼下の淵魔を攻撃していた。

 上空からの攻撃はアドバンテージが強く、それらの攻撃に無垢サクリスは全くの無力で、為す術もなく消え去っていく。


 時折姿を見せる混合体ミクストラであっても、上空に向けて炎弾であったり、毒性のある吐瀉物だったりをぶつけるのが精々で、しかも十分に距離があるから掠りもしなかった。


 一方的な蹂躙が続いている。

 だというのに、淵魔側に新たな動きが一切、見られなかった。


「……妙だな。一体、何を考えてる……?」


 魔術を放つ片手間に、ミレイユはそのことばかり考えていた。

 そして、ミレイユの独白に、息吹ブレスを止めたドーワも同意した。


「あぁ、確かに妙だね。ここまで圧倒的不利の状況で、何も手を打たないってのかい? そんな事あるもんか。殻に籠もって震える様なタマじゃあない」


「それに、仕掛けたのはあちら側だ。隠れていたいのなら、こんな大規模な襲撃をする意味こそなかった」


「陽動の可能性は?」


「無論ある。……南方領はどうなってる?」


 ミレイユが尋ねると、ドーワは疲れた溜め息をついて、達観にも似た遠い目で空を見た。


「モルディってのは恐ろしいね。うちの若い子が、直視したせいで墜落しちまったよ。幸い、脚と翼の骨がやられただけで、命まで取られなかったが……。それ以上のことが、淵魔の方には起こっているね」


「未だ、壁は破られてないんだな?」


「こっちよりも安定しているくらいだよ。その心配はない。人の戦力は一段も二段も落ちるが、神の戦力でそれを補ってる感じだね。……まぁ、問題はない」


「そして、どうやら本命がそっちに出現している感じでもない、と……?」


「そうなるだろう。今のところは、という但し書きは付くがね」


 分けられる戦力に偏りが出たのは、ミレイユとしても危惧した所だった。

 しかし、無差別かつ無意識に発生するモルディの権能は、この場合において何よりも頼りになる力だった。


 東側に余力があれば、その時改めて誰かを派遣するつもりだったが、むしろ誰もいない状況だから彼女は全力を出せる。

 それが良い結果に、結び付いてもいるのだろう。


「……それは良いが、ならばどうするつもりだろうな? 淵魔とてジリ貧だぞ、このまま擦り減らして終わりだと? ――あり得ない」


「そうだね、それは間違いない。このまま擦り潰されたくないんなら、手を打つ必要があるし……そもそも、こうなる事は目に見えていたじゃないか」


「神は淵魔の氾濫に、断固として対処する。壁から出ることを決して許さない」


 ミレイユは、そう口にしながら頷いた。


「これまでも氾濫それ自体はあった。ここまでの大規模は過去になかったが、人の手に余る事態を、見過ごしたことは一度もない」


 近年では五十年ほど前になる。

 レヴィンの祖父、エーヴェルトの代に起こった氾濫では、竜を数十派遣してその救援に当たった。


 氾濫の規模は、その時々で違っていたものの、それを『核』が様子見として放っていたのは間違いない……。

 此度の氾濫とて、神が駆け付けるのは間違いない、と理解していた筈だった。


「だが、だとしたら、やはり疑問は最初に戻って来る。目的は何だ……?」


「まぁ、この数だ。もしかしたら一匹ぐらい、網の目を抜けられるかも、と考えているやもしれないけどね……」


「たった一匹抜け出しただけで、あちらの勝利にはならないだろう。……いや、本当にそうか?」


 淵魔は新たな段階に突入していた。

 分かり易い化け物の姿ではなく、人を依り代とする新たな淵魔だ。


 淵魔が獲得した能力を、そのまま人間が使える様にもなっていて、一つ進化した淵魔と見る事も出来た。


「何も既存の淵魔に拘る必要はない……。人間を次々と置き換えることだって出来たんだ。だが、それには実行犯が必要だ。“丸薬”を使って、“新人類”へと変貌させる為に……」


 ロシュ大神殿にも、既に入り込んでいたのだ。

 箱の中の果物が腐り、最初の一つから徐々に広がっていくように……。


 そうした画策があって、忍ばせて投入されたに違いない。

 しかし、その最初の一個は必ず外部から持ち込まねばならず、そしてそれが一番の難所なのだ。


「ある程度、壁の外を自由に移動できる人物……。汚染された最初の人間を作り出すには、それが必ず必要だ」


「淵魔と繋がってる誰か……、他に隠された“新人類”がいないなら……。それはアルケスしかいない。それは分かるさ。そもそも、そのアルケスを追ってきたんじゃなかったのかい?」


「そうとも、そのアルケスはどこに消えた? いるはずだ、ここの何処かに。淵魔を隠れ蓑にしながら、姿を隠して……」


 ミレイユはドーワに、強い口調で新ためて命じる。


「捜せ。何を企んでいるかなど、今は脇に置いておく。早く探し出さないと、取り返しの付かないことになる……」


「捜すよ、捜しちゃいるがね……。これまで、それらしき影は一切見えていないんだよ」


 空中戦となれば、それはドーワの独擅場であり、そして得意分野だ。

 攻撃している最中も、決してそれを疎かにしていなかったし、それこそ息を吐く事と同様に、その姿を探して目を光らせ捜すのは難しくない。


 しかし、淵魔の群れは余りに多く、そして余りに流動的で、その姿をチラリとすら見つけられていなかった。


「アルケスと『核』は互いに利用し合うだけ……、既に別行動中だと思っていたが……。実はこの氾濫、もっと別の意図があるのか……?」


「そうかもしれないがねぇ……。しかしミレイユ、こうは考えられないかね? ――既にアルケスは死亡している」


「まさか、そこまでマヌケじゃないだろう」


「だが、ミレイユの魔術と私の息吹ブレスがあり、そしてルチアやユミルの魔術まである。その二人に付けてる竜とて、決して侮れるものじゃあない。それらが飽和攻撃を仕掛けているんだ。この氾濫の中に紛れているとして、既に巻き込まれたと考えても……まぁ、言うほど荒唐無稽じゃない」


 それは確かにその通りで、全くの的外れとは言えない。

 しかし、そうと考えたくない気持ちが占めていた。

 ミレイユとて、実は棚ぼた的なものがあって欲しい、と願ってすらいる。


 しかし、同時にそこまで無様であって欲しくない、という気持ちもあった。

 それが素直に、ドーワの意見を肯定できない理由だった。


「それに、そこまで都合の良い事は起こらない、と思ったりもするしな。何より、最悪を想定せず、またその可能性に蓋をして、突き進む方が怖い」


「まぁ……そうだね、その通り。しかしね、ここまで動きを見せないのも、余りに妙じゃあないか……?」


「その言もまた、確かではあるんだよな……。一時しのぎで逃げ込んだか、あるいは陽動として利用しているのか……。どちらにせよ、ここまで動きを見せないのは不自然だ」


 眉間に皺を寄せながらそう言って、鬱憤を晴らすかのように、魔術を眼下へ向けて放った。


「くそっ、面倒臭い……! 『禁忌の太陽』を使えたら、何も考えず一掃できるのに……!」


「恐ろしいこと考えるねぇ……」


 ドーワが呆れ半分、感嘆半分の気持ちで声を零す。

 今や使い手はミレイユ一人と言って過言ではない大魔術だが、使えば辺り一面が焼け野原となるだけでなく、周囲の山々まで爆発の衝撃で吹き飛ばす。


 当然、用意された障壁も崩壊するし、それだけでは到底足りず、最終障壁まで容易く吹き飛ばすだろう。

 それが恐ろしく、そして守るべき味方がいるからこそ、使えない禁じ手となっている。


「まぁ、近くに味方がいるんじゃ、そう迂闊なことも出来んだろう。別の手段でチマチマ削るしかないだろうさ。幸い、最初の勢いは衰えて来てた。このまま、この状態を維持するだけで勝てる」


「……ならば尚更、不気味と言う他ない。混合体ミクストラが多く混じり始めたのは、それだけ戦力を多く投入している証拠だろう、が……」


 ミレイユはしばし考え込んで、それから顔を上げる。


「壁を突破する算段が……? しかし今は、ハイカプィさえ現地で味方をサポートしている。あっちも楽じゃない筈だが……」


「ミレイユ、可能性の有無だけで見ると、こちらよりも障壁内の方が目はあるんじゃないかね? 仕掛けるのならば、やはり障壁内で、と見るべきかもしれないよ」


「我らの目が離れる場所でもある。妥当と言うなら、確かに妥当だ。――ドーワ、可能であるなら伝達を。この策謀を挫くのは、レヴィン達になるかもしれない……!」


 ミレイユの言葉を正しく理解したドーワは、即座にその意志を仲間の竜へと伝達する。


 しかし、これに気付くのも、そして対応に動くのも、ミレイユは遅きに失していた。

 それを知ったのは、レヴィン達を襲う悪意が、はっきり形になった後の事だった。

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