ロシュ大神殿の攻防 その3

 城壁から飛び降りた人型ドルディは、着地するなりその右手を、大きな振り被って横薙ぎした。

 剣を模した腕は切れ味だけ見ると、大したことはない。

 しかし、切り傷とは別に、削ることを目的とした殺傷力は持っているようだ。


 剣は淵魔の身体その物だ。

 何を目的として、そうした形状なのかは明らかだった。


「手傷を負うなッ! 肉を削ぎ、血を吸うことを目的とした攻撃だ! 強化目的の攻撃だッ!」


 レヴィン自身、無茶を言っているのは自覚していた。

 戦場にあって、全くの手傷を受けず戦闘続行する事は、まず不可能に等しい。


 敵は人型ドルディだけでなく、無垢サクリスまでいる。

 それも無限に湧き出るかと錯覚する程、大量の淵魔がいて、どこに注意を払えば良いかも分からない状況だ。


 どちらにも気を払え、と言いたい所ではある。

 しかし、戦場慣れしていない兵に、多くを求めるのは酷だった。


 神官兵は軽鎧を着込んでいるから、肌が露出している箇所は少ない。

 それでも脇の下や首筋など、防御の薄い部分はどうしてもある。

 淵魔は必ずしもそうした弱点を狙ってくるわけではないが、何しろ数がいた。


 それらがなりふり構わず成り不攻撃してくれば、そうした所に、牙を突き立てる場合もある。

 だから警戒すべきなのだが、人型ドルディは、むしろそうした狙いを付けず、大振りな攻撃が主体だった。


 だが、その膂力は人の比ではない。

 神官兵がまともにやり合うのは、あまりに不利だった。


「退けッ! 俺がやる!!」


 レヴィンが前に出て、人型ドルディの横薙ぎを下に屈んで避けた。

 更に右、左と薙ぎ払われる一撃は、到底人の為せる技ではない。

 筋肉や骨の損傷を厭わぬ、力任せの攻撃だった。


 だからこそ、振りが早いだけの攻撃に、レヴィンは当たらない。

 右へ左へと避けつつ、その回避動作を振り子運動のように力を溜め、またも大振りで腕を振り上げた隙に、がら空きの胴へ一撃を見舞った。


 振り抜いた刀は人型ドルディの身体を両断し、臍から上が飛んで歩廊に落ちる。

 人間ならず、魔物であってもここで勝負ありだが、淵魔であればそうはいかない。


「トドメを刺せ! 再生するまで少し猶予がある! 身体を取り戻す前に、なます切りにしろ!」


 レヴィンが命じるだけ命じて、身体を反転させる。

 その目は既に、別の人型ドルディへと向いていた。


 命じられた兵の内、三人が下半身のみ残った淵魔へ切り掛かり、残りの兵は無垢サクリスを警戒したまま剣を掲げる。

 いつだって無垢サクリスは城壁下から湧いて来るし、いつだって兵へ襲い掛かろうとする。

 人型ドルディを相手に背を向ける兵達を、無防備に晒すわけにはいかなかった。


「――兵はアイツを相手にするな! 無垢サクリスを優先して戦えッ!」


 その時、ヨエルもまた、人型ドルディを相手に戦っていた。

 豪快な攻撃は、むしろ彼の得意とするところだ。


 巨大な大剣を振り回し、無垢サクリス諸共、人型ドルディを斬り付ける。

 どちらかを相手にしていると言うより、どちらも相手に大立ち回りを演じていた。


 何しろヨエルには、本来枷にしかならない巨大な剣を、小枝の様に振り回せる刻印がある。

 互いに大振りの攻撃をしていても、むしろヨエルの方が大いに有利だ。


 人型ドルディが持つ剣を両断し、吹き飛ばしても、元が身体の一部だけあって意味はない。

 しかし、それで攻撃のリーチが短くなるのは事実で、手数の多さと長さで、ヨエルが更に圧倒する。


「ギィィィィ!!」


 口も無いのに威嚇音を発し、ヨエルの連撃で細切れになってゆく。

 その間にも、ついでの気楽さで群がる無垢サクリスが、その刃の餌食になっていた。


 周辺の淵魔全てを蹴散らしたヨエルが、構えていた大剣を肩に担ぎ直して、周囲を睥睨しながら大きく息を吐く。


「とりあえず、やれたが……。とはいえ、こいつぁ……。刻印が保たんぜ……!」


 元より不利を承知での戦いだ。

 温存するにも限界がある。

 それでも、どこまでも湧き続けるかの様な淵魔がいる限り、武器を振るわねばならなかった。


 レヴィンもまた、カタナを構えて腰を低くし、次の人型ドルディへ向かい合う。

 横合いから襲い掛かる無垢サクリスを躱し様に斬り伏せ、歩み寄って来る人型ドルディの前に躍り出る。


 大上段に構えたかと思えば、即座に振り下ろして来た攻撃を左に避け、一歩踏み込み左手で殴り付けた。

 体勢を崩した所に袈裟斬りし、首から脇下まで刃を通す。


 それで首と肩を落とした人型ドルディに、間髪入れず連撃を浴びせた。

 背後から迫り、肩へ噛み付いた淵魔は刻印によって防がれ、鉄とぶつかったような音を立てる。


 振り返る動作と共に無垢サクリスを吹き飛ばし、蹴り付け城壁に当たって落ちた所を、頭から両断した。


「まったく……! 刻印の回数に、まだ余裕はあるが……ッ!」


 レヴィンが無傷でいられる時間は、あまり残っていないかもしれない。

 城壁を登って来た無垢サクリスを、また一匹斬り伏せながら、最後の人型ドルディへ顔を、その次に身体を向けた。


 レヴィン達が他を相手している内に、そちらでは思う様暴れていたらしく、血肉を大いに喰らったらしい。

 今まで相手にした奴より、その人型ドルディは一回り大きくなっていた。


 周囲には血を流して倒れる兵、手傷を負って肩を抑える兵が、その周囲を覆っている。

 完全に腰が引けていて、武器を突き出してはいるものの、敵わないと思う相手に斬り込めずいるようだ。


 何より、また手傷を負えば、敵を強化させてしまう。

 迂闊に手を出すより、防御に徹して強い味方を待つのが得策だ。


 そういう意味では、彼らの時間稼ぎは上手くいった。

 レヴィンが駆け付け、人垣を飛び越えて人型ドルディへ一撃加えると、身構えていた彼らからワッ、と声が湧く。


「ここは受け持つ! 無垢サクリスの相手に取り掛かれ!」


「オォッ!」


 レヴィンが怒号の様な叫ぶに呼応して、彼らは目の前の淵魔へ取り掛かった。

 命令されるよりも早く、攻撃を仕掛けた者までいた。

 元より、そうせざるを得ないのだ。


 淵魔は常に雪崩れ込んでくる。

 ここにいる人間が一人たりともいなくなるまで、決して攻撃の手を緩めないだろう。

 淵魔に根競べなど挑むものではないが、それを強いられる状況にはなっている。


 だからともかくも、目の前の敵を一体ずつ、確実に仕留める事に全力を尽くさねばならなかった。

 レヴィンもまた、その気概で目の前の人型ドルディへ向かい合う。


 手傷を負って倒れ、恐怖に滲ませた顔を淵魔へ向けている兵へ、人型ドルディは狙いを定めた。

 弱い者、弱った者から狙うのは、淵魔の常套手段――あるいは、本能だ。


 己をより強い個体へ、更に成長させたいからこそ、がむしゃらに喰らおうとする、と一説には言う。

 真偽の程は、レヴィンも知らない。

 しかし、そんな事は関係なかった。

 何より重要なのは、強い個体を生み出さないよう腐心することだ。


 今の状況的に、淵魔が人を傷付け、肉に喰らい付くのは止めようがない。

 だから、少しでもマシな状態で仕留めるしか、被害を食い止める方法がなかった。


「ハァァァッ!」


 レヴィンは一足飛びに距離を縮め、横薙ぎに胸を斬り付ける。

 痛みなど感じず、傷を庇うこともない人型ドルディは、そのまま右腕を振り被って打ち下ろした。

 それを屈む様に躱して、膝のバネで飛び上がるようにして頭部を貫く。


 既にレヴィンと人型ドルディとの体格差は著しく、腕を伸ばした所で頭には届かない。

 辛うじて突攻撃ならば、その切っ先が頭部に埋まった。


 これまでの人型ドルディと違い、一太刀で両断し、その生命力を大幅に奪うことは出来ない。

 地道に小さな傷を与えて、少しずつ身体を小さく、そして弱くしなければ対抗できなかった。

 もどかしいが、それが一番、勝利に近付く。


「とはいえッ!」


 襲って来るのは人型ドルディだけでなかった。

 周りの兵も奮戦してくれているが、打ち漏らしはどうしてもある。

 その上、無垢サクリスは幾らでも城壁下から這い上がって来るのだ。


 時に上段蹴りを浴びせるように繰り出し、その反動を利用し人型ドルディの攻撃を躱しつつ反撃し、そのまま反転して無垢サクリスを斬り伏せる。


 動きは一度たりとも、一秒たりとも止められない。

 止めてしまえば死ぬ、それはレヴィンにはよく分かっていた。


 しかし、躱す事に比重を置いてはならない。

 次々と襲い掛かる無垢サクリスを削らなければ、あっという間に歩廊を埋め尽くされてしまう。


 今は瀬戸際で食い止められているから、拮抗した勝負が出来ている。

 しかし、歩廊の上でも人型ドルディを発生させてしまうのは避けられなかった。


 一つが生まれる隙を作れば、また一つ作らせる隙を生むことになってしまう。

 人型ドルディが兵を襲えば、それが強化される可能性を生む。


 優先すべきは人型ドルディと分かっていても、無垢サクリスを蔑ろに出来る理由もない。

 状況は悪化の一途を辿っている。

 それが分かっていても、現有戦力ではどうしようもなかった。


「ハァ……ッ! 畜生……!」


 息を整えた一瞬を突き、淵魔が背後から飛び掛かって来た。

 その牙を肩へ突き刺そうとしたものの、しかし刻印がそれを弾く。


 そして、その攻撃を完全に防いだ代償として、ガラスの砕ける様な音が響き、そして一つの層が消え去った。

 レヴィンの刻印『年輪の外皮』は、複数の層を持つことにこそ、その価値がある。


 層の一つが消え去っても、未だ刻印の防護は健在だった。

 しかし、傷は負わずとも、飛び掛かられた衝撃までは消せない。

 たたらを踏んだレヴィンに、人型ドルディはその隙を見逃さず、上段から攻撃を振り下ろした。


「ちっくしょうがァァ!」


 レヴィンは敢えて肩で受け、攻撃を外へ流しながら足を踏み出す。

 また一つ、層が砕けた音を聞きながら、胴を斬り裂き、振り払い様に背後へ抜けた。


 レヴィンの刻印は、ただ防御性能が高いだけではない。

 一層を犠牲に、攻撃へ転じられる利点もある。


 今はその一層が貴重なので、敢えてそうした使い方は避けた方が良い。

 だが、ただ削られるだけなのも割に合わない。

 だから、それと引き換えにする攻撃は、最低限必要な取引だ。


 人型ドルディの背後へ回ったレヴィンは、その先にいた無垢サクリスも斬り付ける。

 左から右から襲って来る攻撃を避け、その都度反撃し、転げ落ちた無垢サクリスの頭を踏み潰す。


「ハァッ、ハァ……ッ!」


 レヴィンの息は、否が応でも上がる。

 汗で前髪が張り付き、鬱陶しいと思いつつも、拭う暇すら惜しかった。


 目の前には、一回り小さくなった人型ドルディがいる。

 頭を攻撃するにも、不便のない大きさだ。


 視界の隅から飛び掛かって来た無垢サクリスを躱し――。

 そして、レヴィンは身体を沈めた反動を使って地を蹴った。

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