三神会合 その1

 ここ数日、ミレイユの語りを聞くのが日課となっていたが、それもとうとう終わりの時がやって来た。

 翌日には出発の準備が整えられ、ミレイユも恐ろしいほど淡々と成り行きを見守っていた。


 まだ逗留を続けたいと我儘を言うのでは、という懸念を捨て切れなかったレヴィンにとって、正直意外な事ではあった。

 ともあれ、準備が順調なら出発してからも順調で、三日ほど西進した後、ルヴァイルの神処が見える所まで辿り着いていた。


「ほぉ、あれが……」


 レヴィンは眉の上に手でひさしを作り、遠方に見える建物を見やる。

 山の上に作られたその建築物は、上面から見ると底面に向かって層が大きくなる形をしている。


 そして側面から見た場合、台形の箱を重ねたようにも見え、それが全三層で構成されていた。

 第一層の面が一番広く、その上に第二層が重なり、これが最も縦に長い。


 次に最も狭く短い第三層が重ねられ、最上段にルヴァイルを祀る神殿が載っているのだ。

 基部となる第一層は長方形で、正面と左右から真っ直ぐ掛かる階段がある。

 左右の階段は二層までであり、正面の階段のみ三層まで達する、というデザインだった。


 壁には『控え』と呼ばれる突出部がついていて、規則的に凹凸が出来ている事によって単調ではなくなり、陰影のある外観となっている。

 また、底面の各辺や壁体の稜線は中央で膨らみがつけられる事で、視覚的補正効果をねらった表現がなされていた。


 総じて荘厳で、神の住まう至聖所として相応しく、神が持つ威厳と尊厳を余すことなく表現される芸術だった。


「……あの天辺に、ルヴァイル神が御わすのですか」


「そうなるな」


 ミレイユが頷くと、ヨエルがうっへりと息を吐く。


「山登りだけじゃなくて、その後にあの巨大階段まで待ってるのかよ……。こっちは走り通しで疲れてるってのに……」


「あらあら……。愚痴を言えるだけの余裕があるなら、もっと厳しくしても大丈夫そうね。実際、最初の酷さから考えると、大分マシになったしねぇ……?」


「うげ……っ!」


 ヨエルは呻き声を上げて必死に顔を逸らしたが、時は既に遅かった。

 アヴェリンまでもユミルに乗っかり、じっとりとした視線を向ける。


「……そうだな。あの頃は汗以外にも、涙と鼻水も垂れ流し放題だった」


 ただしアヴェリンに嘲る意図はなく、それは率直な感想でしかなかった。

 今も全員が走っている最中だが、実際に憤る素振りを見せたり、閉口する仕草を見せる程度に、レヴィン達には余裕がある。


 成長には違いない。しかし、それを以って証と見て良いものか……。

 レヴィンは思わず悩み込んで閉口してしまった。

 ともあれ、目の前には目標となる神処があり、ようやく走り通しの毎日が終わる、という開放感に安堵の息を吐いた。


「いやいや。もしかして、これで終わりだと思ってる? ンなワケないじゃない」


「え……?」


「基礎練に終わりなんてないわよ。当然、種類の違う訓練に移行するだけなのよねぇ」


「は……?」


 レヴィンは理解が追い付かず、言葉を疑うまなこで凝視する。

 ユミルはその表情を見るのが楽しいらしく、それ以上、詳しく説明してくれなかった。


「嘘ですよね……?」


「――嘘なものか」


 これにはアヴェリンから、侮蔑も顕に言葉が飛んできた。


「その程度に満足されては困るし、魔力を上手く循環させられた程度で、満足してどうする。伸び代があるのに伸ばさんなど、それこそ有り得ん話だ」


「まだ、あるんですか……伸び代が?」


 才気開放された時点で、そうした伸びはもうないと思っていた。

 実際には扉が開かれただけで、その扉の奥にも道があったのだと、最近実感してきたばかりだ。


 それはこれまでの訓練で、よく分かったことでもある。

 ただし、地獄以上の特訓が待っていると分かれば、思わず逃げたい気持ちにもなってくる。


 アヴェリンはレヴィン達の様子を見透かし目を細め、それから吐き捨てる様に言う。


「自分が未熟と分からない奴は、そういう反応になるものだ。必要十分まで達した、これ以上の何がある……とな」


 そう言って、更に視線を鋭くさせて続けた。


「――必要十分などない。ここまでだ、と自分から限界を決めるのは、その先を知る術がないからだ。それを私が、しかと教え込んでやる。お前たちがあっさり命を落とさん為にもな」


「あらヤダ……。アヴェリンの何かに、火が付いちゃったみたいよ」


 ユミルが愉快そうに笑って、アヴェリンとレヴィンへ、視線を行き来させる。


「安心なさい。アキラも泣いて喜んでた修行法を、教え込んでくれるだけよ」


「――初代様と同じ!?」


 レヴィンは素直に喜んだが、直後ルチアからの声で水を差される。


「いや……。あれは完全に、泣いて逃げ出してたじゃないですか。良いように美化しないで下さいよ」


「あら? そうだったっけ?」


「初代様が泣いて逃げ出すって、一体どんな修行法なんですか……」


 レヴィンが青い顔をさせて尋ねると、ユミルはあっけらかんと答えた。


「単に骨を折る痛みが、身体中を延々走るってだけよ。下手すりゃ死ぬけど、凡愚の塊みたいなアキラだって出来たんだから、アンタらに出来ない道理がないものね」


「なんですか、それ……。もう修行でも何でもなく、単なる拷問じゃないですか……」


 レヴィンは顔を一層青くさせ、そして話を聞いていたヨエルやロヴィーサも、また同様に顔色を悪くさせる。

 しかし、ユミルはその反応を見るなり、逆に機嫌を良くした。


「お馬鹿ねぇ……。剣術にしたって、一切の怪我なく強くなるのは、不可能みたいなモンじゃない。それと同じコトでしょ」


「――いえ、それとこれとは、全くの別物ですが!?」


「煩いわねぇ。どうせ拒否権なんかないんだから、さっさと受け入れなさいよ」


 ユミルは本気で鬱陶しい思う仕草で手を振ると、レヴィンはアヴェリンへ勢い良く顔を向ける。


「これってもう決定なんですか!? その……もっと別の何かが、あっても良いのではないでしょうか!」


「安心しろ。痛いのは最初だけだ」


「そうそう、人間の適応能力って偉大よね。慣れるまでは、泣き叫んで慈悲を乞うくらいには痛いけど、慣れたら何とかなるモンだし」


 ロヴィーサまでもが、生唾を飲み込んだ、その時だった。

 くつくつ、とミレイユが忍び笑いを漏らし、小さく肩を震わせる。

 それでようやく、レヴィンも揶揄からかわれている、と悟った。


「な、なんだ……。やめて下さいよ、笑えない冗談は……」


「そうだ、あまり脅かしてやるな。……まぁ、アキラは実際、最初泣いて逃げ出したが」


「やっぱり、駄目じゃないですか!」


 レヴィンが堪り兼ねて叫ぶと、ミレイユは笑みを絶やさず手を上下させる。


「あれはアキラが特別、魔力の制御力と、魔力総量が少ないから起きていた現象だ。お前らくらい大きければ、成長痛くらいの痛みで済むだろう」


「本当ですか……?」


「……なお、個人差はある」


「やっぱり、そういうオチじゃないですか!」


 レヴィンが泣きそうな声で叫んでも、ミレイユは全く取り合わない。

 ユミル同様、楽しそうに含み笑いをするだけだった。


「いいから行くぞ。さっさと、ルヴァイルに話を済ませてしまいたい」



  ※※※



 山の上にある神処だけあって、登山口からしっかりと道は整備されていた。

 特別、恩恵深い神ではなく、むしろ目立たない部類だが、大神と仲が良いとされる事からそれなりに人気のある神だ。


 しかし、大いに敬われていると感じられ、それが整備された道にも表れている。

 山の麓には町が賑わいを見せているだけあって、参道には多くの人間が往来し、楽しげに会話を楽しんでいた。


 急勾配が少なく歩き易い山道だから、年配の人も多く参加していて、中には毎日登って、祈りを欠かさぬ者までいるようだ。


 そうした者達の間を縫うようにして、レヴィンたちは登頂する。

 歩き疲れた身体とはいえ、これまでの苦労を思えば、まるで何ていう事もない道のりだった。


 神処入口には神殿兵なども多く配置されていて、誰もが自由に、とはいかない。

 しかし、神殿背後の部分には、円形広場が設けられており、そこからならば最上階への直通となる階段がある。


 その円形広場へも、誰もが自由に入って良い場所ではない。

 しかし、勝って知ったる有り様でミレイユ達は入って行くので、レヴィン達もそれに続かない訳にはいかなかった。


「この場所……、大神レジスクラディス様の御神処にもあった、あの広場と雰囲気が似てますね」


「そりゃそうでしょ、ここは竜の発着場としても利用されるんだから。ルヴァイルが使う前提だけど、他の神が来る場合、基本的にここを使うワケ」


「だから、ミレイユ様に慣れた雰囲気があるんですね」


 ユミルは返事せず、ただ頷いて応えた。

 しかし、神が訪れるのが竜と供にあるのなら、そうでない訪問は驚かれる筈だ。

 レヴィンの懸念は正解だったようで、神処に侍る神殿兵からは、粟を食ったような騒ぎになっている。


 そして、単なるいち兵士の出番ではないと悟ったのか、特別良い身なりの、白一色の服を着た女性がやって来る。

 首に掛からない程度の長さの黒髪に、中背中肉の体付き、そして群衆の中にいれば埋没してしまいそうな容姿の女性だった。


 ミレイユが入口付近まで登った時には、神殿兵を左右に並べ、歓待を模した整列が為されていた。

 ミレイユは先頭に立つ、その女性へ気軽な調子で声を掛けた。


「久しいな、ナトリア。ルヴァイルは居るか?」


「お久しゅうございます。そして、大神レジスクラディス様をお迎え出来ますこと、そしてまた拝謁叶いますこと、真に祝着でございます」


 型通りの挨拶が済み、ナトリアが顔を上げると、引き攣った笑みと共に要件を催促される。

 それは不調法やその怒りを、必死に抑え込んだと分かる笑みだった。


「……事前の連絡もなく、また竜を駆って現れるでもなく、全くの唐突に訪問したこと、まずは詫びよう」


「分かっていらっしゃるなら、それらの問題を済ませてから、おいでになって下さい。お出迎えする準備など、全く整っておりません。大体、何故徒歩なのです……!」


 怒りが抑え切れず、言葉尻から怒りが滲み出ている。

 しかし、ミレイユ側にも事情があり、そして打ち明けられない理由もあった。

 理不尽で、旁若無人な態度に見えるのは承知で、こうしておとなうしかなかった。

 だからミレイユは、無理にでもその理由を捏造するしかなかった。


「ともあれ、こうして密かにやって来た理由は、勿論ある。――査察だ」


「はぁ、査察……。しかし、これまでそうした事は、ただの一度も……」


「問題なく小神が律令を守っているか、大神として確認する必要が生まれた。良いからルヴァイルに会わせろ。すぐに通せ」

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