三神会合 その2

 ナトリアに先導されながら、ミレイユを先頭として神処の中を進む。

 石造りの建物には、空気取入口程度の窓しかない為、至る所に松明が設置されていた。


 神処は神を敬う神殿であると同時に、神が住居とする神殿でもある。

 その至聖処ともなれば、一般人がおいそれと足を踏み入れられる場所ではなく、当然レヴィンも初めて目にする。


 長い通路を歩いた先にその入口があり、大扉の両脇には衛兵が立っていた。

 至聖処とは、人間社会に置き換えると、謂わば玉座に相当する部屋とも言える。

 レヴィン達は集団の最後尾を歩きながら、初めて見る至聖処に興味が尽きず、忙しなく視線を動かしていた。

 

 その中に入ると、広々とした部屋の中心にまたも階段があり、更にその先には高台が設けられている。


 四方には神聖さを表現する、精密な文様の描かれた柱があり、その柱同士を繋ぐ薄いヴェールによって覆われていた。

 神と対面するに、玉顔を直接拝謁なるは不遜、としての役割だと分かる。

 ただし、今はヴェールの向こうに何者もおらず、それも今は空虚に揺れていた。


「それでは、こちらで少々、お待ち下さい。只今、ルヴァイル様を呼んで参ります」


 ナトリアが一礼すると、至聖処の右奥に位置する扉へ消えていく。

 単なる客人を待たすなら良いとしても、小神を統べる大神に対する対応としては、いかにも不自然に思えた。

 レヴィンはそれが我慢ならず、ユミルへ小声で尋ねる。


「この様な場所で立ったまま、ミレイユ様をお待たせするのは普通のことなんですか? 不敬ではないのでしょうか」


「まぁ、一種の意趣返しってヤツでしょ。唐突に来たこっちも悪かったワケだし。にしても……」


 ユミルはにんまりと笑って、先頭に立つミレイユの後ろ姿を見つめる。


「咄嗟にしては、良い思い付きだったんじゃない? ……査察ですって? 突然押しかけるには、筋が通っている様に見えるし」


ドーワに乗って来ないのは、余りに不自然だからな。その不自然な訪問が外へ漏れない様にするには、何かしら説得力のある理由付けが必要だ」


「その部分に関して、異論はないけどさ……。でも、当のルヴァイルとかには、どう説明すんの? 全部ボカしてこっちの事情も説明せず、ってのは難しくない?」


「そうですね……」


 難しそうに柳眉を顰め、ユミルに同意したのはルチアだった。


「この一年の間、隠し通すのは不可能でしょう。どこかのタイミングで、異なるミレイさんが存在すると、勘付くと思いますし……。直接、顔を合わせる機会もあった筈で、その時に違和感を持たれないとは思えません」


「そうだな。だから、それについては正直に言うさ。その上で箝口令……いや、違うな。こちら側に引き込む」


「共犯者みたいなものですか。実際、ルヴァイル達はミレイさんを裏切る――裏切る様に見せる必要があるわけで、その為には事情を知っている方が望ましいですものね」


「それもあるが……」


 ミレイユは一度頷き、それから改めてルチアへ顔を向ける。


「何も知らせず、駒のように扱うのでは、アルケスと変わらない。誰彼構わず教えられないから、ナトリアみたいな神使にまで伝えるわけにはいかないが、協力を得ようと思えばスジは通さないとな」


「……ですね。秘密裏の行動ばかりに目が行って、大事な部分を失念していました」


 ルチアは恥じ入る様に俯き、小さな声で謝罪する。

 その時、至聖処の奥にある扉から、何者かが飛び出して来た。


 それは背中に届く銀髪を靡かせた、美麗な女神だった。

 頭には宝冠を被り、その両端には水牛と良く似た角が上向きに突き出ている。


 服装は白のヴェールを重ねたトーガみたいなもので、華美さはない。

 その代わり、首飾りや腕輪に足輪など、至る所に装飾品が輝いていた。


 その女神が、扉からこちらへ駆け付けるなり、ミレイユの胸に飛び込んでくる。

 ぎゅうぎゅうと、しっかりと抱き締めては頬ずりさえして、しばらくそうしていても全く離そうとしなかった。


「あぁ、ミレイユ……! どうしたのです、先触れもせず!」


「おい、やめろ。暑苦しい……」


 ミレイユの苦言を聞いても、ルヴァイルは離れようともしない。

 それで憤懣を露わにした、アヴェリンが無理やり彼女を引き剥がした。


 それで、ようやくその身体が引き離されたものの、ルヴァ非常にイルは非常に不満げだ。

 しかし、ミレイユが苦笑しているのを見て、華やかな笑みを浮かべる。

 そこで初めて、神使の三人や、レヴィン達に目を向け、不思議そうに首を傾げた。


「突然の訪問ですが、どうした事です? 後ろの者達と、査問とやらは何か関係あるのですか?」


「勿論、無関係ではない。だから、こうして一緒にいるんだ」


「……それもそうですね。貴女が神使以外を連れて来るなど、初めての事……。それにしても、何を査問しようと言うのです?」


「それを、これから説明する。……すまないが、その為には余人を交えず話したいんだが……」


 それを聞いたルヴァイルは、傾けていた首を更に傾けた。


「何故? ナトリアは妾が最も信を置く神使……。何かしらの問題があるというのなら、是非とも共に聞いて貰いたいのですが……」


「まずは、ルヴァイルだけに聞いてもらう。何故そうしたいか、そうされるべきか、話を聞いた後で理解するだろう。――何より、今は旧友との語らいではなく、世界を預かる大神レジスクラディスとしての話だ」


「まぁ……」


 ルヴァイルは驚きを顕にして、上品に口元を手で覆う。

 それからナトリアに目配せすると、彼女は一礼して下がって行った。

 完全に気配がなくなった所で、ミレイユが改めて口を開こうとする。

 しかし、その前にルヴァイルが手を挙げて止めた。


「この様な所で話す内容でもないでしょう。それに、丁度今、客が来ているのです。一緒にお茶でもどうですか?」


「……客だって? 話を聞いてたか? 余人を交えたくない、って言ったんだが……」


「えぇ……。でも、来ているのはインギェムですから。待たせると煩いですよ?」


「何、あいつが……?」


 顰めっ面だったミレイユの顔が、それで大きく和らぐ。

 むしろ、好都合とでも言いたそうな表情だった。


「アイツは移動に竜なんか使わないからな……。そうか、来てるのか。ならば一緒に、話を聞いてもらおう」



  ※※※



 神の世話をする神官は、どこの神処にもいるもので、扉の奥ではそうした女官に連れられて移動した。

 これまでが神の威厳を体現した荘厳さだとしたら、こちらは快適に過ごせる事を念頭に置いた作りとなっていて、華美の中にも生活感がある。


 やはり窓は明り取り程度の物しかなく、だから至る所で篝火を焚いていた。

 長い廊下には部屋が幾つもあって、その中の一つに案内され、招き入れられる。


 客を招くに相応しい手入れの行き届いた部屋は、他と違って採光が良い。

 日中は篝が必要ない程で、広々とした部屋には目を楽しませる装飾品や花々、絵画などが掛けられている。


 中央には大きな長テーブルと椅子が用意されており、そこでは仏頂面のインギェムが、行儀悪く椅子の上で膝を立て、口元でカップを傾けている。

 入室したミレイユ達に気付くなり、やはりぞんざいな態度で、片手を挙げて挨拶した。


「よぉ、お前が前触れもなく来るのは珍しいな。査察とか言ってたが、どこまで本気なんだ? どうせ何か、隠し事でもあるんだろ?」


「まぁ……、お前ならそういう反応になるか。その辺の詳しい説明をするから……お前、真ん中にいないで、ちょっとズレろ」


「……後ろの奴らは誰だよ? 下手なモン連れ込みやがって……。己を退かすって事ぁ、ソイツらを遇するって事だろ? 納得のいく説明してくれんだろうな?」


「お前の神処でもないのに、デカいを顔するな。そういう面倒なイチャモンは後にしろ」


 ミレイユが手を振ると、納得しない顔のまま、それでも素直に席を退いた。

 どういう気持ちが根底にあろうと、正面からぶつかる気はないらしい。


 しかし、敵意に似た視線を向けられるレヴィン達は、全く気持ちが落ち着かない。

 しかもその相手が、誰あろう小神の一柱、インギェム神なのだ。


 日に焼けた小麦色の肌と金色の短髪、ルヴァイルと良く似た服装に、靭やかな肉体美を見せられ、どう動いて良いか分からなくなる。


「レヴィン、何してる。こっちに座れ」


 そう促されても、素直に頷けない所がある。

 神が三柱集合している席に、ただの人間がご相伴に預かろうと言うのだ。

 並大抵の精神で、同席できるものではない。


「い、いえ……! わたくし共は、部屋の隅で立っておりますので! どうぞお気遣いなく……!」


「おぉ、おぉ、そうしろ。神使ならともかく、そうですらない人間が、同じ席に座ろうなんざ思い違いってもんだ」


「ハッ! 仰るとおり、我が身の分を弁えております!」


「なんだ、ミレイユの笠を着ているだけの奴かと思ったら、案外ちゃんとしてるじゃねぇか」


「ハッ、恐縮です!」


 実際、ミレイユが厚遇してくれるから勘違いしてしまうが、インギェムの方が正しい言い分なのだ。

 神使でもなく、身の回りを世話する女官でもない人間が、神の傍で侍ることは許されない。


 ミレイユはユーカード家に対して思い入れがあるから、近しい者として遇してくれるだけで、他の者ならばやはり同様の扱いをするだろう。

 その時、扉を開けて女官達が茶器を用意して持って来たが、やはりレヴィン達の分はない。


 客分として接するのは神と神使のみであり、それが当然とする表れだった。

 だから、殊更レヴィンたちも文句などない。

 席から十分に離れた壁に、一列に並んで直立不動の姿勢で、置物に徹した。


 ミレイユも遅まきながらそれに気付いたようで、素直に前言を撤回した。


「まぁ、そうか……。これは素直に詫びないといけないな。じゃあ、レヴィン達には……むしろ、部屋から出ておいて貰うか。……適当な部屋で待機させておいて貰えるか?」


「何だよ……。だったら、最初からそうしろよ」


 インギェムがぶちぶちと言いながら席に戻ると、茶器などを配膳し終えた女官は、レヴィンたちを連れて部屋から出て行った。

 その後ろ姿をルヴァイルは見送って、それから不思議そうにミレイユへ尋ねた。


「あの者達が査察員……とかではなく、それどこか査察も名目上と……? では、一体どういう……?」


「それはまぁ……何と言うか、色々複雑なんで、掻い摘んだ説明をさせて貰うんだが……」


 ミレイユは茶器を手に取り、軽く唇を湿らせてから、再度口を開いた。


「お前たちには、協力して欲しい事があって、こうして隠れる様にやって来た」

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