理屈と疑義の狭間 その2

「まぁ……、お前の常識知らずは、先程よく分かったしな……。大前提として認められない以前に、一人で放り出す不安も良く分かる」


「何たる言い草か……! 分からぬのならば、勉強すれば良い。人間是、日々勉強。老いて尚、勉学からは離れられぬとも言う。我もそうするだけの事……!」


 オミカゲ様は鼻息荒く目標を掲げるが、その場の誰も真面目に取り合わない。

 ミレイユはその視線をすっかり外し、フラットロの毛並みを撫でるのに集中している。


「オミカゲ様は我ら女官が、大切に育て来た御方です。外界に染まる様な事、到底受け入れられるものでは御座いません」


「ちょっと待て。それは一体、どういう事か。我はそなたの事、赤子の時から知っておるのだぞ。むしろ、しかと育ててやったのは我の方であろうが」


「然様でございます。されど――!」


 殊勝に頷いた鶴子が深く下げた頭を上げた時、その眼光はこれまでとは如実に異なる色を発していた。

 それを見たオミカゲ様は、その目で睨まれると同時、竦んで閉口してしまう。

 どうやら、崇め奉られる神であろうと、恐れるものはあるらしい。


「我ら女官、臣下一同、オミカゲ様一柱、その御為おんためだけに生きる者でございます。先代女官長から、そしてその更に先代からと、連綿と受け継ぐオミカゲ様の在り方を教授されて来たのです。誰よりオミカゲ様とちかしく、その神威を損なわぬよう腐心して参りました。それを自ら投げ出そうなどと……!」


「そうは申しても……。その神威も最早、大して必要ないのだからして……」


「必要ないとは何事ですか! 神に相応しい威は必要でございます! あぁ、私が間違っていたのでしょうか……。代々の女官長に、なんとお詫びすれば……! おぉ……!」


 遂に顔を覆ってしまった鶴子に、オミカゲ様は泣きそうな顔をして、ミレイユに顔を向けてくる。

 非常に情けない姿で、神としての威厳――神威など微塵も見えない姿だった。


 互いの外見年齢だけ見ると、祖母と孫の関係だろう。

 関係も相応に深く、世話をしている事実が、互いの距離感を縮める要因ともなっていたはずだ。


 育てる、という単語もそこから来ていて、何処から見ても見劣りしない姿を思い描き、接していたのは間違いない。

 神としての務めはここまでで良い、とゴールを設定していたオミカゲ様と、その意見が違うのだから、すれ違って当然とも言えた。


「まぁ……、一人暮らしは論外だとして……」


「そなたまで、そんな事を言うのか」


 恨みがましい視線をオミカゲ様は送るが、ミレイユに全く刺さっていなかった。

 そのまま無視する格好で、鶴子へと言葉を放つ。


「だが、意向全てを無視するのも、また問題だな。その気になれば、コイツは抜け出してでも外に出ようとするだろう。本気になったら、誰にも止められない。……そうだろう?」


「然様でございますが……」


「ガス抜きのつもりで、面倒見てやってはどうだ。神威も大事だろうが、神の意向を受け止め実現させるのも、お前たちの役目だ」


「そ、そなた……!」


 思わぬ援護射撃に、オミカゲ様は目を輝かせて見つめる。

 鶴子もまた、脱出など強行された時のことを考え、難しい顔をさせていた。


「これまでのオミカゲは、聞き分けの良い神であったかもしれないが、神とは元来、我が儘なものだ。犯罪でない限り、好きにさせる程度が好ましい。下手に罰すると、暴発したりするものだしな……」


「何ともそなた、含蓄溢れる言葉じゃな。思い当たる節でもありそうだの?」


「……今度、詳しく話す。だから、もっと柔軟に、神の意向を汲み取る努力をすべきだな。一人暮らしは、まだ少し先にするとして……。とりあえず、喫茶店巡り程度、好きにさせてやれ、と言いたい」


「然様……で、御座いますね……」


 鶴子は躊躇いの上に躊躇いを重ねて、渋々ながらも頷いた。

 実際のところ、本当に恐ろしいのは、不意に姿を消してしまう事だ。

 こちらの世界にも、感知や索敵を得意とする術者はいるだろうが、本気になって隠れるオミカゲ様を見つけ出すのは、至難を極める。


 全てを投げ捨て、一人気ままに世界を旅するなど、オミカゲ様はやろうと思えば出来てしまえるのだ。

 そうした最悪の状況に陥るくらいならば、もっと言う事を聞くべきだった。

 ミレイユが指摘すると、葛藤している鶴子の表情が良く分かる。


「……何にしても、話し合いだな。オミカゲにしても、急に自分の欲を出しすぎて、女官たちを驚かせるんじゃない。スマホが叶ったから次も次もと、立て続けの要求をしたんじゃないだろうな?」


「うむ……む、そうであったやも、しれぬな」


「もっと女官を気遣って、上手くやれ。……お前はアレだな。我慢するのに慣れ過ぎて、欲望の出し方が下手なんだ。だから、女官を戸惑わせる」


「むぅ……。忠言耳に逆らうとは、この事よの……」


 オミカゲ様は苦々しい笑みを浮かべて、かっくりと首を落とした。

 鶴子にしても、強情になっていた自分を恥じているような佇まいだ。

 ミレイユへと真摯に頭を下げると、彼女はオミカゲ様へ慈しむ視線を向けてから口を開いた。


「己の不明を恥じるばかりです。神宮を襲った災厄よりこちら、オミカゲ様は大きく変わられました。そうあるべきではない、と自分や宮中の理想を押し付けていたように思います。オミカゲ様は我らが神。よほど目に余るものでない限り、その御心を叶えるべきでした」


「おぉ、鶴子……。分かってくれたか……!」


「はい。今後、そのご意向に添えるよう、お互いの認識を擦り合わせさせて頂きとうございます」


「うむ、うむ……」


 オミカゲ様は幾度か頷くと、不意に何事かを閃いて、袂に手を入れる。

 そうしてスマホを取り出して、印籠のように掲げながら顔を輝かせた。


「ならば早速、月額課金額の値上げを要求する!」


「なりません。今の額面で十分です」


「んな!? いきなり言葉を違えるのか!? だ、大体、二万は幾ら何でも少なすぎではあるまいか!? ろくにガチャも引けぬのだぞ!?」


「お遊びで使うのでしたら、それで十分で御座いましょう。別途、必要なものがありましたら、その都度ご用意致しますので」


「しかし、しかしじゃな……! 今月は、読みたい小説も別にあって……」


 オミカゲ様は真剣らしいが、余りに程度の低い要求に、ミレイユはまたも頭が痛くなって、眉間を抑えた。

 今日、何度目か分からない溜め息をつき、指の先をフラットロの毛皮に埋めては上下に動かす。


「何やってるんだ……。お小遣いの値上げ交渉? 情けない神もいたもんだ……」


「そうは言うがな! そなたも遊べば分かるぞ。西洋東洋問わず、神々が登場して戦うゲームなのだ。全キャラコンプしたい!」


「あぁ、そう……」


 まったく興味を示さないミレイユに、スマホの画面を押し付けながら、更に熱弁を帯びながら続ける。


「キャラが格好良くて人気もある! ほれ、見てみろ、ほれ!」


「うるさいな。やめろ、鬱陶しい」


 ミレイユはあくまで興味がなく、ぞんざいに手を振って遠ざけたのだが、それだけでオミカゲ様の熱意は冷めなかった。

 振り払われても画面を見続け、唇を尖らせながら不平を漏らす。


「だが、不満もあるのだ。アマテラスやタケミカヅチが出ていて、何故に我が出ておらぬのか。これは流石に、文句の一つも言わねばならぬであろうな」


「やめろ、馬鹿。お前が言うと洒落にならん」


 流石に好き放題言わせておけず、ミレイユは顔を向けて渋面を浮かべた。

 まさか女官がその言葉を届けるとは思わないが、釘を差しておかねば落ち着かない。


「下手な事を口にするな。女官が本気にしたらどうする」


「だとしたら、我が実装されるかもしれぬ。さすれば、我も嬉しい。女官も嬉しい。誰もが幸せという寸法よ……」


「そんな訳があるか」


 微かな喜びを感じつつあるオミカゲ様に、ミレイユはぴしゃりと打ち切る。


「大体、お前は実在の人物……というか、神なんだから。各方面で色々面倒な話になる。絶対なる。だから、無駄な夢は諦めろ」


「そうかもしれぬが……、むぅ……」


「それに、強くし過ぎても、逆に弱かったとしても文句出るだろ、きっと。触らぬ神に祟りなしだ」


 話は終わりだ、とミレイユが顔を逸らすと、お茶のお代わりを聞かれて断る。

 少し離れて警護に徹するアヴェリンと目が合い、互いに苦笑を忍ばせた。


 オミカゲ様が元気に遊んでいると分かって嬉しい反面、どうしてこうなった、と言いたい気分でもある。

 スマホを持ってみろ、と持ちかけたのはミレイユだが、あそこまで神の威厳を損なうとまで思っていない。


 好きに生きる、という表明があれだと思うと悲しいし、神を捨てる表明があれだと思うと、更に悲しい。

 下手な所に急着陸したのがあの結果だとしたら、もっと上手く軟着陸させる必要があるな、とミレイユは胸中でごちて立ち上がった。


「話し合いなんかは好きにやってくれ。私は疲れたから、部屋に戻る」


「ならば我も……」


「疲れたと言ったろ。お前が付いて来たら休めない。今度はレヴィン達も――レヴィンって分かるか? こっちに一緒になって飛ばされて来た奴らだ。そいつらを交えて、少し真面目な話をさせてくれ」


「い、いや、それは良いが……。そなた、少し待たぬか。この状況で放り出されては、鶴子に何と言われるか……」


 オミカゲ様はちらちらと横目で鶴子を窺いながら、何とか引き止めようとしていたが、ミレイユは全く取り合わない。

 それどころか、まるで無視を決め込んで、ミレイユは背を向け歩き出す。

 アヴェリンを引き連れ四阿から離れた時、背後から裏切り者と謗る声と、悲鳴にも似た呼び声が聞こえたが――。


 一歩下がって歩くアヴェリンと目を合わせ、くたびれた笑みを見せて肩を落とす。

 ミレイユは、背後から縋る様な声を無視しつつ、他の二人が待っている部屋へと帰った。

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