毒花黒樹 その7
しかし、話はそう簡単に終わらなかった。
炎に巻かれ、煙が立ち込め、枝葉の多くが損傷しているというのに……。
毒の巨花が落ちない。
そのまま態勢が崩れ、滑り落ちて行くだけかに見えたのだが、巨花が滑る動きを見せたのは、その最初だけだった。
そこからは一切の動きがない。
それどころか、炎の勢いが徐々に弱まって行くのが、ハッキリと分かった。
「……どうなってる?」
ミレイユの魔術は勿論、ドラゴンの息吹は止めどなく放出されている。
事態が悪化するのは有り得ても、鎮火するなど有り得なかった。
しかし、位置的にミレイユでは状況は掴めず、動揺は増すばかりだ。
その辺が良く見えていそうな下方向からならば、もっと事態は掴めているのだろうか。
「ドーワ、他の部隊は何て言ってる?」
「……うぅむ、よく分からないね」
ドーワも一度、息吹を止めてミレイユに応える。
「葉が邪魔している、とか何とか……。いや、蔓かねこりゃ。……いまいち要領を得ないが……。でも、悪い展開なのは間違いないだろうさ」
「それは私にも分かる」
炎は遂に見えなくなり、ミレイユの魔術でも意味を為していないと、認めなければならなかった。
ただ煙ばかりが増えるだけで、手応えらしきものが感じられない。
このままでは、ただ視界が悪くなるだけなので、ミレイユも魔術の行使を止めた。
そうして、煙が晴れる待ち時間を設けられ、暫しの沈黙が流れる。
その時、下方からドラゴンの叫び声が聞こえた。
「――何があった」
「攻撃されたね。……蔓だ、蔓に攻撃されている」
枝葉の中では、ミレイユ達も攻撃されたものだ。
しかし、そこから離れてからは、いっそ無視される様に、攻撃の一つも飛んで来なかった。
だから、幹に近い時ほど攻撃を受けるのか、と思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
そして、それは何も下方のみの事態ではなかったようだ。
側面や上方のドーワにまで、その攻撃が飛んできた。
「――避けろッ!」
声に出すよりも早く、ドーワは素早く飛び退いていた。
一瞬前まで居た地点を、鞭のような鋭い動きが通り過ぎていく。
その攻撃から逃れられたドラゴンはそう多くなく、打ち据えられて落下していく姿が幾つも見えた。
「攻撃はもう良い。落ちたドラゴンを助けるよ、命じてくれ」
「あぁ、丁度それを進言しようと思ったところさ」
蔓は当然、一本ではない。
巨樹を覆う程の多くの蔓が乱舞している。
それを掻い潜り、助けに行くのも至難の業だ。
……しかし、仲間を助けようと果敢に挑む、勇気ある竜も中にはいた。
そうして落下中の仲間の首を咥えると、遠くの空へと逃げて行く。
しかし、全てのドラゴンがそう上手く出来た訳ではない。
助けようとして自らも鞭を打たれ、腹や翼を傷付けられ、落下して行く竜も多くいた。
ミレイユは唇をきつく結んで巨花を睨む。
そして、見ている内に気付いたものがある。
あれは蔓というより、巨花の根だった。
多くの枝に巻き付いていたものは、実はこの巨花が頂上から垂らしていた物に過ぎず、そしてそれが巨体を支えていた……という事らしい。
「……なるほど、乗っかっている様に見えた訳だ。あれを支えているのは、枝葉に巻き付いていた蔓だったのか……」
「それじゃあ、幾らあの周辺を燃やしたって意味ない訳だね。……となれば、あの花を直接焼いてやるしかない、って話になるよ」
「そうしてやりたいが……」
炎を鎮火されたのは、蔓が暴れて火を消したからだ。
延焼の元になる枝葉を切りつけ、被害を最小限に留めた。
またもやトカゲの尻尾切りだが、実に有効な手段でもあった。
「尻尾切りが出来なくなるまで、枝葉を燃やしてやれば良いのか……?」
ミレイユの独白が漏れる。
それに律儀に反応したのはユミルで、これには懐疑的な反応が返ってきた。
「あまり有効とは思えないわね。何しろ、その程度なら幾らでも生えて来そうなものだから。……この巨木は淵魔には見えないけどさ、でも似た様なモノに思えるもの」
「そうだな……、それは間違いない。再生可能な鎧を欲する……。いつだったかの戦いを思い出すな」
「あぁ、つまりそういうコト? 前回の反省を活かして、って?」
ユミルが小馬鹿にした笑いを浮かべて、鼻を鳴らした。
かつての戦いでもそうだった。
魔力を吸収し、それで無限に動く鎧を以って、全てを支配下に収めようとした相手だ。
その時は外的要因が必要であり、その為には魔術による攻撃を受ける必要があった。
しかし、ミレイユはその企みに乗らなかった。
そして、それこそが、敵にとって瓦解の始まりだったとも言える。
「外からの供給ではなく、自分で回復可能な鎧を欲した……とか? 植物らしく、地面から栄養分でも吸い取って?」
「しかし、土の栄養とて無尽ではあるまい。あっという間に地面が枯れるぞ」
アヴェリンからの指摘も、ユミルにはむしろ納得する要因でしかなく、小馬鹿にした視線のまま頷いて見せる。
「だから根が、あんなに沢山あるんでしょ。根絶やしにするの、盛大に苦労しそうに思えない?」
「あぁ、そうか……。一本や二本、切り落としている間に、他で吸収して再生しようってハラか……」
アヴェリンが盛大に顔を顰めて頷いた。
「つまり、あれから全く、その性根が変わっておらんのだな。全ての存在は自分の為にあり、そして養分でしかないのだと……」
「そう言うことなんだろう。人間の性根とて、簡単に変わったりしない。神ともなれば筋金入りにもなるんだろうさ」
「土地が痩せ、森が枯れ、水さえ喪ってしまおうとも、アレにとっては関係ありませんか」
ルチアが吐き捨てる様に言って、巨樹を――その上に置かれた毒の巨花を睨む。
「生命が住めなくなる星になろうとも、自分一人が立っていれば満足と? ……えぇ、かつて似た様な台詞を聞いた気がしますよ」
「ならば、小出しに削る様な攻撃は悪手だな。回復する機会を与えれば、際限なく周囲の栄養を持っていかれるだろう。それでは勝っても意味がない」
「人が……他の生命全てが住めなくなっては、確かに勝った感じがしませんものね。しかし、そうなると……」
取れる手段が相当、限られてくる。
巨大であるだけで、敵には大きなアドバンテージを持っているのだ。
並大抵の攻撃は、先ほど口にした小出しの攻撃にしかならず、そして、それは単に回復する機会を増やしてしまうだけになる。
「どこまでも……私に対する嫌がらせを、詰め込んだ様な相手だな。……苛つかせてくれる」
「本当に怒ったら、相手の思うツボですよ。そして冷静に対処すれば、必ず活路は見出だせます」
「そうだな……」
強張っていた顔が、それで元に戻る。
そのタイミングで巨花も蔓を振り上げ、巨樹の幹や枝を掴んで、元の位置へと戻る所だった。
延焼して剥げていた部分は、再生して元通りの姿を取り戻し、蔓を使って器用に巨花が腰を下ろした。
「また最初から、か……。いや、それより更にタチが悪いけどね」
ユミルも顔を顰めて巨花を睨み、眉間の皺の数を増やす。
腕組した上で、苛立たしくトントン、と二の腕を指で叩いた。
「正攻法で……となると、厄介な相手よ。いっそ、除草剤でも撒いた方が効果的なんじゃない?」
「そんな馬鹿な方法が通用するか。植物の利点だけ見て、欠点まで蔑ろにしているとは考えられない」
「まぁ、それには同意するけど。それに、大量の除草剤を用意するのも、無理が過ぎるし……」
ユミルが溜め息をついた時だった。
定位置に戻った巨花は、それだけで良しとせず、蔓を振り上げ襲ってきた。
ドーワは空の上を滑る様に飛び、右へ左へと躱しながら、その制空権から脱した。
遠く離れれば、長く伸びる蔓も流石に追って来ない。
無事逃げ切れたが……、面倒な事になったと感じたのは、誰もが同じだった。
「あれじゃあ、迂闊に近寄れない、か……」
今までより遥かに遠い範囲を旋回して、様子を窺う。
蔓は今では常に二本、威嚇するように巨花の近くで波打っていた。
まるで腕二本を、顔の横で掲げているかのようだ。
それは正しく、接近するのを警戒しての行動に違いなかった。
「どうやって、近付いたものか……」
「近付かないと、ろくに魔術だって放てないってのに……」
そうだな、と呟くように応えて、ドーワに向かって話しかける。
「すまないが、どれだけ近付けるものか、ちょっと探ってくれないか」
「いいともさ」
ドーワは旋回する速度を落としながら、ゆっくりとその輪を縮めていく。
蔓のリーチは長く、そして今は多くを束ねて太く強靭にもしているようだ。
迂闊に攻撃を受ければ、ドーワであっても致命傷は避けられない。
近付くのは命懸けだが、彼女にそうした畏怖はなかった。
ドラゴンとは、死に忌避感を持たない生物だ。
他ならぬ創造神が、そうあるべしと形作った。
だから、一瞬のおくびも出さず、危機だと知っても冷静に蔓の動きを観察していられる。
そして、周遊も長く続いた、と思えた矢先、蔓の先端がぴくりと動いた。
その一瞬を見逃さず、ドーワは急旋回して制空圏を逃れる。
蔓はドーワの側面ギリギリを通って過ぎ去り、その時の衝撃で気流が乱れた。
「くぅっ……!」
「きゃぁあああ!?」
誰もが歯噛みするように悲鳴を絞っている中、アイナだけは盛大な悲鳴を漏らす。
乱高下する動きに涙声を漏らしていたが、気流が安定したところで、その悲鳴も消えた。
「……どうやら、大体の防衛範囲は把握できたがねぇ」
「出来たのは良いんだが……」
巨花を更に二周りは離れた範囲が、敵の制空圏だった。
そしてそれは、大抵の魔術の射程圏外を示している。
魔術に精通している者ならば、それがどれだけ絶望的な距離か、嫌でも分かる。
その場で、ミレイユの口から重い溜息が漏れた。
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