毒花黒樹 その6

 巨樹の全長は山より高く、頂上に達する頃には、雲すら突き抜ける有り様だった。


 その巨樹はドーム状の樹冠を有し、青々と茂った葉の上には、毒々しい赤色の花が咲いている。


 多肉質の大形の花で、合計五枚の花弁を持ち、その表面にはブツブツとした斑点模様が浮かんでいた。


 中央には大きな口があり、呼吸するように縮小と拡大を口返している。

 そして、何度かの呼吸の後に、黒粉が吐き出していた。


 上空を舞う黒粉は樹冠を避ける様に広がると、そのまま風に流されるまま散っていく。


 今すぐ止めるべき、と誰もが思った。

 ミレイユも当然、あの毒花を燃やし尽くさんと、魔術の準備をする。


 しかしその時、腹の奥から刺すような痛みを感じて、動きが止まった。


「……うっ!」


 咄嗟に痛みの中心へ手を当てる。

 しかし、痛みは一瞬のもので、気に掛けるより早く消え失せた。


 服の上から腹を撫で、やはり何事もないことを確認した後、一応、治癒の魔術を掛けておく。


 そこへ心配そうな顔付きをしたアヴェリンが、そっとミレイユを覗き込んできた。


「ミレイ様、やはり何処かご不調なのでは?」


「……そうかもしれない。違和感はあったが、それが更に強まったように感じる。……とはいえ」


 目の前に人類を仇なす毒花があって、これを優先しない訳には行かなかった。


「まずは、あのデカブツを、どうにかする方が先だ」


「では、終わった後にでも、ルチアに診て貰って下さい。御身に違和感があるなど、それだけで一大事ではあるのですから」


「そうだな……」


 神の肉体は人間と良く似た姿だが、実際は多くの部分で異なる。

 単に頑丈なのも特徴の一つだが、病気になったり不調を来たす事も、まずないものだ。


 あるとすれば、毒に侵された場合などだが、それとて生半な毒では無効化されるか、あるいは一分程度で無毒化してしまうのだ。


 神を殺せるどころか、長く不調にさせるだけの毒を、精製できただけでも大したものと言える。


 だから、黙っていれば勝手に正常まで回復する、とミレイユが楽観的に考えるのも、無理からぬ事だった。


 背後から覗き込む様にしていたアヴェリンを、そっと押し退けて前方を睨む。

 巨樹はミレイユ達の存在を認識していた筈だ。


 そして、その妨害を躍起になって行っていた。

 だというのに、頂上へ抜けてからは、一切の妨害がやって来ない。


 ――それが不気味だ。


 巨花に意識があるかどうか不明だが、ミレイユ達を全く無視して、黒粉を吐き出すだけだった。


「とにかく、攻撃してみない事には始まらないか……」


「流石にあれは……、俺達じゃ手が出ませんよね……」


 巨花を見つめては、情けない声を出したのはレヴィンだ。

 アヴェリンから叱責めいた視線が飛んだが、しかし苦言までは出ていない。


 それも仕方がないだろう。

 何しろ、巨花は余りにも巨大で、町一つを悠々と飲み込む程だ。


 中央にある口だけで城一つ以上のおおきさがあり、剣一つ、武器一つで立ち向かえる相手でない。


 大規模魔術で攻撃する方が、汎ゆる面で適切だった。


「しかし、あれだけ巨体なのは厄介だな。大抵の魔術じゃ、小さな傷にしかならない」


「ミレイさん、とりあえず……私が仕掛けてみましょうか。植物ならば寒さにも弱いでしょう。あの口も凍えて口を閉じるのでは?」


「……そうだな、やってみろ」


 では、と一言だけ発し、ルチアが身の丈程の杖を構える。


 強大な魔力が彼女を中心として巡り、その先端からは冷気を宿す白い光が漏れていた。


「……『凍縛の氷晶』!」


 制御が終わって魔術が解き放たれると、回転する氷晶が巨花目掛けて飛んで行った。

 口内へと到達すると、氷の槍が全方位にばら撒かれる。


 本来は大型の熊さえ簡単に貫通するほど巨大な槍だが、巨花の前では針よりも細く見えた。

 しかし、この魔術の本領は、氷槍を射出することではない。


 その槍を中心として、冷気を発する所にある。

 槍による物理的攻撃だけではなく、それを防いでも、あるいは躱しても、氷結からは逃げられないという魔術だ。


 それが巨花の口内で、無差別に射出されているのだ。

 見る間に霜が発生し、そして、巨花全体を白く覆い尽くしていく。


 ――しかし。


「駄目です、ミレイさん」


 ルチアの顔色は優れない。

 それもその筈で、霜に覆われたのも構わず、巨花は構わず黒粉を吐き出し続けていた。


「冷気に対する抵抗がある……というよりは、あの巨大さが足を引っ張っているようです。あくまで表面が軽く凍っただけで、冷気が中まで伝わっていないんです」


 ルチアが歯嚙みして、悔しそうに顔を歪めた。


 氷結魔術を最も得意とする彼女だから、それが防がれたのではなく無意味となれば、殆ど手の打ちようが無くなった様なものだ。


「他にも手札はありますが、あれで駄目なら、どれも似た様な結果になるかと……」


 釈明めいたものを口にしている間に、巨花は大きな反応を示した。

 口を大きく開けたかと思うと、次は盛大に息を吐き出す。


 表面に貼り付いていた霜がそれで吹き飛び、氷結晶も霧散してしまった。

 その一連を見つめていたミレイユが息を吐いた時、ドーワの方から声を掛けてきた。


「ドラゴンを召集して、全員で焼き払うかい? 口の中だけと言わず、花弁も含めてさ。案外、そっちの方が効果的かもしれないよ」


「そうだな……」


 ドーワは巨花の周りを緩く旋回しながら飛んでいたから、それに合わせて巨花を見る角度が変わって行く。


 そうして観察していると、実に奇妙な光景だと思った。

 そもそも樹木にあれだけの巨きな花が咲いていること、それ事態が異常だ。


 樹木を遠くから俯瞰した時、それは落葉樹の特徴と一致する。


 花や実を付けることはあっても、樹冠の上に帽子にも似た形で花が咲いているのは、異常の一言に尽きた。


 どの様に咲いた花なのか、それを観察してみても、イマイチ判然としない。

 自然に咲いた花というより、後から無理やり乗せられた様にしか見えなかった。


「……あの花、どうにか落とせないか?」


「落とす……、突き落とすって意味ですか?」


「うん。そっちの方が、手っ取り早くないか。あの花が乗ってる周辺……枝葉を焼いてしまうんだ」


「あれだけの巨体ですからね。上手くやればバランスを崩して、勝手に落ちていきそうですが……」


 でもさ、とルチアとの会話に、ユミルが入ってくる。


「そもそも、その枝葉が落とされない様に、蔓を伸ばすとかして来るんじゃない? ドーワが穴を開けた時もさ、そんな感じだったでしょ」


「……そうだな、それもある。だから、そう簡単にやらせないよう、結構大きめに抉ってやらねばならないな」


「町一つ飲み込む規模を? ちょっと範囲が広すぎない?」


「だが、ドラゴンの助けがあるなら、そう難しくないだろう。当然、私も参加する」


 ミレイユはそう言いながら、自分の腹を探るように撫でる。

 痛みこそないが、不快感が増していた。


 それを敢えて無視して、眼下のドーワに問いを放った。


「他のドラゴンはどうなってる? すぐに呼べる状態か?」


「必要だと思って、既に呼んじまってるよ。近くにいた者ばかりだが、炎竜や雷竜なんかを中心に……。氷竜は今回、役に立たないと思って省いちゃいるが……そうさね、幾らも掛からず来るだろうさ」


「良いぞ、よくやってくれた」


 ミレイユが素直に褒めると、ドーワは自慢気に鼻を無らした。

 勢い溢れて、鼻先から炎が漏れる。


 そうして巨花の周りを三度旋回した辺りで、一体のドラゴンが姿を見せた。

 最初の一体が見えると、それを皮切りに次々と姿を現す。


 最終的に集まった数は二十を超え、一体がドーワの後ろに着くと他もそれに従い、自動的に三角編隊が組まれた。


「……さて。準備は整ったよ、大神レジスクラディス


「それじゃあ、部隊を四つに分けろ。巨花を中心に側面と上下から、それぞれ枝葉の接触部分を焼き切る」


「ちょっとズレても構わないんだろ?」


「そうだな、バランスさえ崩せれば良いんだから。接地面がグラ付けば、後は勝手に自重で落ちるだろう」


「了解だ、竜の子達にはそう伝えるよ」


 幾ばくかの間があって、ドーワの後ろに付き従っていたドラゴンが、それぞれ軌道を逸れて飛んで行く。


 ドーワが巨花の上部分に陣取ると、他の方向にはほぼ当分になった三部隊が配置に付いた。


 ミレイユが魔力の制御を開始し、『炎天』の準備に入る。


 雨の様に爆炎が降り掛かる魔術で、詳しい場所の指定は無理だが、広範囲を焼くには便利なチョイスだった。


 攻撃準備が整うと、ミレイユはドーワに合図を出す。


「いいぞ、やれ!」


 一拍の間を置いて、四方向からの息吹ブレスが吐き出された。

 巨花の花弁に掛かる炎もあったが、多くはそれを支える枝葉へ上手く当てている。


 ミレイユも魔術も解き放ち、直上から爆炎の雨を降らせた。

 そうして、葉はドラゴンの息吹ブレスに焼かれ、あっという間に炎上する。


 もうもうと煙が立ち込め、延焼が始まると次々に飛び火した。

 巨花の体重に耐えきれず、バキバキと枝が折れる音も聞こえ始める。


 そして炎に巻かれるのを見ていると、遂に巨花が大きく傾き出した。


 暫く待てば、ズルリと滑る動きすら見せる。

 ミレイユは思惑が上手く行ったと、口の端に笑みを浮かべた。

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