笑止の沙汰 その1

 結局、ミレイユは輿に乗る事を是としなかった。

 最後まで頑強に否定し、呼び声も聞かず歩き出してしまう。


 だが、そもそもとして幻術の支配下にあるのだ。

 道行く人は、そこにいるのが神とも思わないし、高名な誰かだと気付きもしない。


 女官が必死に止めていたのも、やはり体面を慮る部分と、それを重んじる思いが強いからだ。

 誰にも知られずに済むのなら――そして、神を説き伏せられないのなら、仕方なく飲み込むしかない、という所だった。


 そうして案内されるままに進む先は、大鳥居を越えた先だった。

 両端を林に挟まれた道を進めば、朱色の楼門があり、そこでは多くの者で賑わっている。


 鳥居を越えた時点で、そこは神社の内であるのは間違いない。

 しかし、厳密には楼門を越えた先こそ、正式な領内と見做される。


 それを証拠に、楼門の脇には手水舎てずやがあり、参拝者はそこで心と体を清めるものだった。

 そこを過ぎれば、また見事に荘厳な拝殿等、神社としての形式に則った幾つかの社が並ぶ。


 レヴィン達が案内されたのはその更に奥、神域として敬われ、一般人は近付く事すら許されない奥宮おくのみやだった。

 やはり荘厳な外見をしている門扉の前には二人の守衛がおり、近付く一団に対し警戒を見せる。


 しかし、その先頭を案内するのが奥御殿の女官と知って、態度を改めた。

 特別待遇で通されるかと思いきや、形式通りのやり取りの末、身分を確認した上で通される。

 許可証の様な物と名前、そして登城理由など、幾つかの応答を恙なく終わらせると、恭しい態度で門扉が開かれた。


 目的は神のお召しによる客人の招聘と登城であるから、女官の背後の者達まで確認はない。

 ただ、開かれた門扉の奥には、待ち構えていた女官と護衛兵が道の両脇に控えていた。

 客人を迎えるに相応しい態度で、一糸乱れぬ動きで一礼する。


「す、すごいな……」


「まるで王族に対する歓待そのもの……いえ、招く方がどなたかご存じなら、当然の対応でもあるのでしょうけど……」


 レヴィンとロヴィーサが感嘆の息を漏らしたのは、その対応ばかりではなかった。

 神殿へ出入りする経験はあっても、実際に神が住まう神処など、彼は目にした事がない。


 だが、それは当然の事でもあって、世界の何処かに存在している、と御伽噺の類で知っている程度のものだったし、天上に存在すると信じる者さえいた。


 神を擁し、神に守護され、神を祀るに相応しい御座となれば、それは天上の楽園と見紛う物でなければならない。

 そして、レヴィンの目の前には、そうした光景が広がっていた。


 広大な中庭には、道となる部分に細かな玉砂利が敷き詰められていて、歩く度に程よい感触と反発を返してくれる。

 道の両端には桜や梅の木が植えられており、その慎ましやかな花びらが目を楽しませていた。


 また中庭の中を通る小川まであり、清らかな音を立てて水が流れ、それを楽しめる様に白御影石の土台に木造の四阿あずまやが用意されている。


 その木目に刻まれた文様と、刻むに当たる技量の程は、凡そ人の手で作られたと思えない美麗さがあった。

 しかもそれらは、入口から見て実に計算された配置であると分かる。


 どれもが相互に、また複雑に関係を主張し、そしていずれもが邪魔にならない。

 一介の庭師がこれを作ったとなれば、極めた職と技術とは、芸術に昇華されるのだと悟らざるを得ないだろう。


 レヴィンがぐるりと視線を回して元に戻ると、先頭を行く者の前に一人の女官が立っていた。

 既に半分以上が白髪になった老齢の女官で、皴の刻まれた表情を和らげてじさせない背筋の伸びた礼は、四十五度より幾らか深い所で止まり、数秒その態勢を維持して元に戻った。


「無事の御帰還、大変お待ちしておりました。ここよりはわたくしがご案内申し上げます」


「あー……、確か、女官長……だったよな? そんな要職自らが? ご丁寧なこと痛み入るが、そこまでしなくとも……」


 ミレイユの様子は、どこかバツが悪そうに見えた。

 まるで悪事を咎められる、幼子の様な雰囲気を見せている。


 どうにか遠ざけようとしている節があり、対して女官長は決して頷かない構えだった。

 大いに笑みを浮かべ、それから事の意味を理解できない風を装い、手の平を後方へ示した。


「オミカゲ様が待ち焦がれておられますれば。必ず、迅速にお連れすると、お約束いたしました」


「……そんなにか?」


「一日千秋の思いと言って、過言ではございません。それほど強く、御子神様のご到着をお待ちです」


「私がこっちにやって来て、まだ幾らも経っていない筈だが……」


「正しく、その件で御座います」


 気まずく視線を逸らした大神に、女官長はすかさず首肯と共に言い募る。


「異界よりお出ましになる際には、どこよりいずるか、厳格に定められてござりましょう。また、先触れも同時に用意する御意、賜っておりました」


「そう……、だな」


「それの無しにて、此度の現界……。オミカゲ様は強く憂慮なされております。いち早く、そのかんばせをお見せ頂き、オミカゲ様のご心痛癒して下さりますよう、平にお願い申し上げます」


 力強い声音で言うと、女官長は再び腰を深く曲げて一礼した。

 有無を言わさぬ迫力もあり、今更勝手を言う雰囲気も霧散している。


 実際、彼女が言うところは不法入国を咎めるものに近い。

 日本と異世界とは繋がる縁を持ち、だからこそ、その行き来には厳密な取り決めが成された。

 それを一方的に破ったのだから、咎めがあるのも当然だった。


 だから、言葉の上では非常に丁寧であっても、実際には早く詫びを入れに来い、と言っているに等しい。

 ミレイユが乗り気でないのも、つまりそこに起因していた。


 何を言われるか、何を言わされるか分からないから、少しでも先延ばしにしようとした……が、早々に見つかってこうした事態になっている。

 ミレイユは諦観にも似た溜息をついて、首を傾げる様に頷いた。


「……分かった。案内しろ、一つ既に――輿の件で譲らせているしな」



  ※※※



 そうして幾つもの歴史的建築物と門を通過し、奥御殿の裾を越え、更に幾つもの部屋と経由した先で、ようやく面会用の大広間へとやって来た。

 総畳の広い一室で、五十畳以上もあるものだから、身の置き場に困る程だ。

 空間を仕切る襖には絵が描かれており、不老不死の象徴である松と、その綺羅びやかさが、部屋の持ち主の威厳を表している。


 部屋の奥は一段高くなっており、そこには御簾が降ろされた中に人影がある。

 既に待ち構えていると分かり、微動だにせず正座した格好を御簾越しに映していた。


 そして御簾を挟んだ正面、人影と重ならず、不躾に近過ぎないほど離れた所には、その身辺を守護する巫女が控えていた。

 女官長に案内されるまま、一行は御簾へと近付いて行く。


 室内には物音がなく、また外から聞こえる音といえば、緩やかな風と鳥の囀りくらいのものだ。

 そこへ畳の上を静かに歩く音だけが響く。

 その一切の雑音を許さない状況がまた、御簾の向こうにいる者の怒りを示しているようでもあった。


 だからレヴィンは元より、ロヴィーサとヨエルも、この雰囲気にすっかり飲まれてしまっていた。

 一声でも上げ、気分を害する様な事があってはならない。

 その空気が、より一層レヴィン達を苦しめる。


 彼らより前を歩く大神とその神使は、流石というべきか空気に飲まれていない。

 泰然とした様子は心強くもあるが、それは彼女らが正真正銘、神とその臣下であるからだった。


 人間に例えれば、国王とその重鎮だ。

 位として同じく――国力は違えども――国王と対面するに辺り、臆する必要はないとの意があって察せられる。


 しかし、神との対面を望んでいないレヴィン達からすると、場違いという他なかった。

 連れられるままに歩いたからこそ、この場にいる訳だが、本来ならどこか別室で待機させておくべきだろう。


 この国の神と対面するだけの理由が、レヴィン達にはない。

 相手側もまた、許可するものではないだろう。

 そうだというのに、今や神気に当てられる程の距離にいる。

 レヴィンの気分は全く落ち着かなく、顔を青くしていた。


 泰然として当然だろうとはいえ、レヴィンは大神と神使の三人が羨ましくなった。

 何を考えれば、まるで知己の友人に会うかのような、気安い雰囲気を出せるのだろう。


 鼓動は荒く跳ね、今すぐにでも退室命令が出ないか、とレヴィンは淡い思いに委ねる。

 しかし、それより前に、女官長から着座を命じられた。


「どうぞ、お座り下さい」


 その一言を切っ掛けに、大神が御簾と対面する形で膝を畳み、その場に座った。

 神使の三人は、その後ろで横並びになって座る。

 足を閉じ、膝が正面になる形で、レヴィン達からすれば奇怪に見える着座方法だった。


 しかし、神と神使がやっているものを無視して、勝手な座り方など出来る筈もない。

 見様見真似で、そして大いに膝や太ももを痛めながら、顔を顰めながらも座り切る。


 ヨエルとロヴィーサは、レヴィンの左右に着座したので、互いに無言ながらも、苦い笑みを交わし合う。

 そうして、ある種の拷問かと疑う着座に我慢していると、御簾の奥からゆったりとした声音で声が発っせられた。

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