未知との遭遇 その3

「ね、ルチア。とりあえず、瀕死の奴ら治癒して来てくれない? 僕ちゃんの相手は、こっちで持つから」


「ですね、そっちの方が良いでしょう。相手の力は未知数……、あまり油断しないように」


 はいはい、とユミルが生返事を返すと、ルチアは大きく遠回りして、倒れ伏した神使達へと駆け寄っていく。

 ブルドヴァはルチアへ標的を変更しようと顔を向けたが、そのタイミングでユミルの魔術が頬を打った。


 バヂッ、と音を響かせて、紫電が弾ける。

 それに一切の痛痒を見せないまま、彼はユミルに標的を戻した。


「あら、頑丈ね。並の人間なら、今ので失神くらいするんだけど」


 ユミルが呑気な感想を言っている間にも、ブルドヴァは一足飛びで接近し、拳の届く範囲に肉薄する。

 そして、低い身長を活かして、低空から突き上げる拳を放った。


 しかし、ユミルは軽快な動きと足さばきで、それを横に躱す。

 ブルドヴァは躱された事など気にせず、ぴったりと肉薄を続けて、拳で殴り続けた。


「へぇ、肉弾戦が得意なのねぇ。でも、動きは愚直で一本道。歳の割には十分強いけど、でも……それだけって感じよね」


「いい気になっていられるのも、今の内だよ、オバサン!」


 ブルドヴァの動きは拳を動かすほど軽快に、そして鋭くなっていく。

 ユミルは攻撃を躱しながらも、その都度雷撃の魔術を放っていたが、全く堪えた様子がなかった。


「……変ね。脳にもイイ感じの電撃が入ってるハズだし、筋肉だって痙攣してる頃なんだけど……。単に頑丈ってだけじゃ説明つかないわね。じゃあ、やっぱり見た目通りの身体をしてないワケか」


「何したって無駄だよ! オレは無敵の身体を手に入れたんだ!」


「無敵ねぇ……?」


 あからさまな懐疑の視線を送って、ユミルは嘲笑う。

 この世に無敵の存在などいない。

 それはユミルが長年見てきたからこそ、知っている事実だ。


 元よりこの世界を創造した大いなる神ですら、無敵とは言い難い存在だった。

 実際はそれに近い存在だったかもしれないが、数多の手段と準備があれば打倒し得る。

 それをユミルは当事者として知っていた。


「何か勘違いしているみたいだけど、無敵だと思われていても、タネさえ割れれば存外大したコトがないものよ。アンタのそれも、そういうタイプじゃないと良いわね」


「いい加減、黙れよ!」


 ブルドヴァの右拳が、踏み込む足と逆側から繰り出される。

 大きく腰を使った重心移動は、パンチの威力そのものを爆発的に上げた。

 まだ少年であるにもかかわらず、その卓越した技術は確かに見事だ。


 しかし、攻撃が直撃すると思った瞬間、それが空を切る。

 ブルドヴァにしても会心の手応えを期待していたのか、空振った一撃で態勢が崩れた。


 一歩たららを踏んで、それから鋭く左右へ顔を向ける。

 完全に見失ったユミルを探して、忙しなく顔を動かした。

 その時、別の方向から気軽な――あまりに気軽な声が掛かった。


「はぁ〜い、僕ちゃん。ご苦労サマ」


 声に釣られて顔を向ければ、そこではユミルが戦闘態勢ですらない、気軽な姿勢で手を振っている。

 ブルドヴァは最初から、ユミルの幻影を追っていたに過ぎなかったのだ。

 つまり、最初から彼女の術中だった。


「無敵がどうのとか言ってたけど、所詮ニンジンに釣られたロバでしかないのよねぇ。あっちへヒーコラ、こっちへヒーコラってね」


「……良いだろう、小手調べは終わりだ! 真の恐怖を教えてやる!」


「無敵がどうの、恐怖がどうのと、イチイチ言葉が大袈裟なヤツね。いいからさっさと、本当の実力ってのを見せてみなさいな」


「後悔しろよ!」


 ブルドヴァが腰を低くして構えを取る。

 手足が、身体が、ボコボコと波打ち、その姿を変容させようとしていた。


 少年の身体から青年の身体へ変わり、それと同時に肉付きが良くなる。

 身体は泥を塗られたように黒く染まり、より戦闘に適した、筋肉質なものへと変わっていった。


 しかし、ユミルが指をパチリと鳴らすと、ブルドヴァを電撃の檻が包んで一切の身動きを封じる。

 バリバリと間断なく電気が流れ、ブルドヴァの身体を内と外から焼いた。


「グァァァァァ!? お前ッ、何故……!」


「何故ってアンタ、何を隙らだけの格好見せてんの? そんな絶好の機会、どうしてアタシが見逃さなきゃならないのよ」


「お、お前が、見せ……グォァァアア!」


 電撃の出力は時が経つ毎に増していった。

 発光するスパークが、檻の中だけでなく外へも漏れ出している。


「電撃が無効じゃなくて、しっかり出力上げれば有効なのね。ある程度まで無効化できるのは珍しくないけど、際限なく……それこそ無敵ってまず有り得ないのよね」


「こ、殺してやる……!」


「……ヤダ、これまで殺す気じゃなかったの? それじゃまるで、アタシだけ殺す気があった、ヤバイ奴みたいじゃない。ちゃんと訂正して」


「ふ、ふざけ――グ、グァァァァッ……!」


 更に電撃の量が増して、まるでブルドヴァ自身が発光しているかの様になる。

 しかし、ブルドヴァもそのままでは終わらない。

 狭い檻に閉じ込められたまま、全方位から電撃を受けている彼だが、未だその目は死んでいなかった。


 電気の檻を掴み、更に電撃が激しくなるのも構わず、ブルドヴァは抜け出そうとする。

 肉が焦げる音と匂い、そして口から煙を吐き出す事態になろうとも……。

 それでも、無理やり檻から逃げ出そうとした。


「ふざッ、けるなッ! このクソアマがぁぁぁ……ッ!」


 怒りを力にすることで、限界を超えたかのような異常さだった。

 能面だった表情は既に遠い過去のもので、今は怒りと憎しみが表面に貼り付いている。


 目や口から、血と良く似た、しかし別物のヘドロを滴り落としながら、口から煙を吐く。

 内蔵まで焼かれていて不思議ではないのだが、ブルドヴァはしっかりと両足で立って、それどころかユミルに殴り掛かろうとした。


「――あ、そこ注意ね」


 ユミルは臨戦態勢など取らず、胸の下で腕を組んだまま、ブルドヴァの足元を指差す。

 すると、丁度そのタイミングで床を踏んだブルドヴァに、またも雷撃の檻が出現した。

 再び囚われ、激しい電撃に見舞われる。


「グォォォォォッ……!! こ、んな……! 卑怯……! オレの、本気を……ッ!」


「馬鹿ねぇ、何でアタシが黙って待ってないといけないの。アンタが励んでる間に、次の罠くらい当然設置しておくでしょうよ。アンタの本気とか、全くこれっぽっちも興味ないし」


「殺す、殺してやる……!」


「じゃあ、さっさと抜け出しなさいな。どうせ次の罠が待ってるけど」


 ユミルは遂に檻すら見ずに、顔を背けて欠伸をし出した。

 遠くに見えるインギェムへと、手を振って笑みを浮かべる余裕すらある。

 そのインギェムは得も言われぬ表情をしており、ざまぁみろという気持ち半分、憐れみ半分という複雑なものを見せていた。


「――このッ! アマがぁ……ッ!」


 今度の突破は、先程よりも随分早かった。

 電撃に対し耐性を得た為か、あるいは別の要因か……。


 ともかく、ブルドヴァは先程よりも簡単に抜け出したのは確かだ。

 そして、電撃に焼かれたダメージを感じさず、それどころか更なる力に溢れていた。


「この肉体は……! 簡単にはくたばらねぇ! 何度だって耐える! 耐えた分だけ強くなる! 如何なる魔術を使おうとも、俺を倒せはしないぞ!」


「ふぅん、そうなのねぇ? 何で自分の強みを、自分でバラしちゃうのかしら。……まぁ、どうせ遅かれ早かれ、の違いでしかないんだけど」


 ブルドヴァの頭髪は焼け焦げ、既に殆ど残っていない。

 黒い肌は電撃で焼かれ、樹枝状に分岐した赤の模様が、身体の至る所に出来ていた。


 目や鼻、耳からも出血していたが、ユミルへ迫る足取りは確かだ。

 眼球は血走り、口から煙を吐いていたが、一歩踏む毎に力を取り戻しているようでもある。


「お前だけは……!」


 何かを言い掛けた時、その横合いから別の魔術が飛んで来た。

 白い息吹がブルドヴァを舐めるようにして通り過ぎると、たちまち身体に霜が覆った。

 それだけではなく、踏み出そうとしていた足が凍り付き、足元から徐々に、しかし素早く伝播していく。


「こ、これは……!? お前ッ……!」


「アタシじゃないわよ。ていうか、相手が二人いたの忘れてない?」


 ユミルが言った通り、攻撃したのはルチアだった。

 手に杖を持って、困ったように眉根を寄せたまま、窺う視線でユミルに問う。


「いけませんでしたかね? 何か狙ってました?」


「狙いはあったけど、どっちにしろって感じでしょ。コイツ、一つの攻撃受ける度、その属性の耐性どんどん付けるみたいよ」


「へぇ……、血液とは違うものを落とす辺り、身体は完全に淵魔なんですかね? 主体が人間の淵魔なんて、初めて見ましたけど」


「そうねぇ……。人型の淵魔はいたけど、淵魔の人間ってのはこれまでいなかったわ。何かしら実験でもした結果、なのかしら?」


 ブルドヴァは藻掻いて逃げようとしていたが、その間にも身体は凍りついていく。

 ユミルと二人、呑気に話している間に凍結は完了し、完全な氷像が出来上がった。

 それを視界の端でちらりと見ながら、それでも話を止めずに続ける。


「思うに、淵魔として新たなステージに移行したのが、この淵魔人間なのかもしれないわ。能力としても、これまでとは一線を画す。これって結構、厄介よ?」


「厄介なのは同意しますが、結論を急ぐ必要はありません。色々と喰らい続けた後、更に人間を多く喰らって、その比率が反転すると、あぁいうのが生まれるだけかもしれませんし」


「……それもそうねぇ。ただ、上手い食い合わせが可能になったのは、アルケスの権能ありき、という気がするけど」


「さて……? これまでがあくまで実験に過ぎず、それらの成果を元に『核』が上手いことやったのかもしれませんし、そこは推測の域を出ないでしょう。――それより、これどうします?」


 そう言って、ルチアは杖の先でブルドヴァをコンコン、と叩いた。


「放って置くと、耐性とやらを得て、自力で抜け出すのでしょうか」


「だったら、今の内に処理するべきかもねぇ。いや……」


 ユミルは途中で言葉を止め、笑みの種類を変えてブルドヴァを指差す。


「それよりコイツ、ちょっと結界で拘束してくんない? どうせだったら、情報吐かせましょうよ。脳があるか不明だけど、考える頭はあるみたいだし、意味はありそうよ。幻術に掛かるのも実証済みだしね」


「なるほど。では、やってみましょう」


 二人がブルドヴァを見る目は、完全に実験動物に向けるそれだった。

 ルチアが結界を張って身柄を完全に拘束しながら、尋問の準備が着々と始まっていた。


 遠くからそれを見ていたインギェムは勿論、命を助けられた神使や騎士まで、二人を理解しがたい畏怖の目で、その一連を見つめていた。

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