未知との遭遇 その4

 氷漬けにされたブルドヴァは、最初こそ動きを見せなかったが、次第に震えるような反応を見せ始めた。

 耐性を得るという話は間違いなさそうで、早々に終わらせてしまわねば、更に厄介な敵になりかねない。


「……はい、出来ました。どうぞ、ユミルさん」


 しかし、氷結魔術から抜け出す前に、ルチアの結界が完成する。

 四角柱のサイズで拘束する、一切の身動きを封じる極小の結界だ。


 これは物理的に結界内外へ影響を遮断するので、耐性を得るという能力を発揮できない。

 より強固な力をぶつけることで破壊も可能だが、身動きを制限されている中で振るう力は微々たるものだ。


 それに、生半な力で破壊できるほど、ルチアの結界は甘くもない。

 血を流す程の修練の結果、そして三百年の研鑽の果てに、今やミレイユでさえ単純な力押しで破壊するのは難しい程なのだ。


「さて、これは改良済みのタイプ、ってコトで良いのよね?」


「えぇ、かつては如何なる手段でも結界内へ、外から影響を与えることは不可能でしたが……。尋問用として使うなら、そっちもしっかり対応しておきませんとね」


「いいわねぇ、仕事が捗るって最高よ。ほらほら、僕ちゃん起きなさい。……あら、まだ無理? いいわよ、起きなくても勝手に記憶を覗くから」


 反応が僅かな震えのみだった事を確認すると、小馬鹿にしながら手を翳し、そして幻術を使った。

 紫色の燐光が手を覆い、それがブルドヴァに触れるかどうかの距離まで近付けると、変化は劇的に起こった。


 背筋を逸らし、身体を滅茶苦茶に揺らす。

 体中を覆っていた氷はその振動で砕けていくものの、結界のせいで身動き自体は取れていない。

 まるで先程同様、電撃を受けているようでもあり、そして……そのまま不気味な振動ばかりが激しくなっていった。


「ちょっと、これどうなってるの……?」


「私じゃありませんよ。ユミルさんが何かしてるんじゃないんですか?」


「いや、違うわよ。単に頭を覗くだけなんだから、こんな拷問めいた……」


 ユミルが手を翳したまま、釈明をしようとしたその時、唐突にブルドヴァの頭が弾け飛んだ。

 泥ともヘドロともつかない赤黒い液体が結界内で飛び散り、そのままぐずぐずと溶けて行く。


 それを見たルチアは表情を厳しくさせて、消えて行く泥を見つめる。


「これは……」


「洗脳対策……、かしらね? 勝手に情報を吐き出したり、あるいは記憶を覗き込んだりすると、自滅するようにされていたのかも……」


「この状況を見ると、そうだとしか思えませんが……」


「全く、生意気だコト……。防諜対策は万全です、って?」


 ユミルが鼻を鳴らして顰めっ面をした所で、ルチアは控え目に質問を投げ掛けた。


「何か読み取れました?」


「……随分と短時間だったからね、あくまで表層しか無理だったんだけど……。あれは人間ね。元、人間って言うべきなんだろうけど」


「淵魔とは、どう違います?」


「何て言うのかしら……。淵魔に喰われるんじゃなくて、淵魔を喰わせた人間、それがさっきの“新人類”ってコトになるんだと思うわ」


 ルチアはあからさまに不快感を示し、眉を顰めて口元を覆った。

 汚辱を煮詰めて出来たようなものを、口にする想像をしてしまった故だった。


「喰わせた……、それに、“新人類”……ですか?」


「これは勝手に言ってるコトか、そう思わされているだけか分からないけど、本人としてはそういう認識でいたみたいね。それに、今のヤツだけじゃなくて、あぁした個体は他にも五体、作られているみたいよ」


「五体……」


「まぁ、あくまで最低の数で、こいつのあずかり知らないところで他にも作られているとしたら、もっと数はいるでしょうけど」


 ルチアは口元から手を離しながら、視線を鋭くして訊く。


「有り得そうですか?」


「コストが分からないから、何とも言えないわね。喰わせる為の個体を、また別種に作っているワケだけど、どれだけの手間暇かかるんだか知る由もないし……」


「それはそうですね……。しかし、何故そんな手の掛かる事を? そのまま、特別な能力を獲得した淵魔では、いけなかったのでしょうか……?」


「さぁて……?」


 ユミルは首を傾げながら、しげしげと、今はもう完全に消え去ったブルドヴァの跡を見つめる。


「こいつから読み取れたイメージでは、何かを口の中に放り込まれて変容したってコトぐらい。飴玉くらいのサイズよ。誤って飲み込めるくらいの大きさ。これなら、誰かを強制的に淵魔化させるのも、可能だと思うのよね」


「……つまり、これまでと違うアプローチ? 何かを喰らって淵魔の力にさせるのではなく、何かを直接淵魔化させる、という類の……?」


「これは厄介よ。漏れなく洗脳も付いて回るから、『核』の傀儡と化してしまう。喰われてしまうより、よっぽど面倒になるかもね」


 そう言ってユミルは、今はもう安全を取り戻した、インギェムへと目を向けた。

 彼の神は、決して強力な神とは言えない。

 しかし、もしそこに淵魔の力が加わったら……。


 先程のブルドヴァは、何かしらの攻撃を加えられる毎に、その耐性を得るという特性を得ていた。

 神の肉体は元々強靭なので、そうした特性とも相性が良い。


 最終的に汎ゆる耐性を得て、好き勝手に『孔』を作り出すインギェムなど悪夢そのものだ。

 かつて、創造神は実際に、全く異なる世界から異形の生物を呼び込んだ事があった。


 この世の誰も目にしたことのない、別世界の魔物だ。

 それを尖兵として使おうとした事がある。

 当時は一箇所でのみ展開していたから、ミレイユの権能で以って無力化できたが……。


 しかし、ミレイユがその力を獲得するまで防戦一方だったし、今度はこの広い世界全体に及ぶとなれば、一つ一つ無力化していくのは賢明ではない。

 何より、インギェムは自身が『孔』を通って移動できるのだ。


 本気で逃げ回るインギェムを捕まえるのは容易ではないし、逃げる先々で『孔』を作られたら、それこそ手の施しようがなかった。


「これは……、参ったわね」


「はい、困りました。いきなりの不確定要素、そして新兵器、とでも呼ぶべきなんでしょうか……。これでは今までの対応は形骸化し、全て後手に回りますよ」


「情報の共有が急務だわ。あっちにも話を訊いてみないと……」


 そう言って顔をインギェムに向けた時、丁度あちら側がユミル達を手招きしていた。

 ブルドヴァが消え去り危険は去った事に加え、詳しい報告を欲しているのだ。


 インギェムは神使を労う為か、既に神座かむくらから降りており、そして神使や神殿騎士に守られながら、ユミル達を心待ちにしている。

 ユミルが近付いて行くと、簡単な――ともすれば、ぞんざいな――労いの後に一歩近付いた。


「おう、ご苦労。――それで? 趣味の悪い拷問結果から、何か分かったのかよ?」


「誤解を招く言い方は、よして下さる? アタシ達、完全に善良なる神使として、やるべきコトをやったに過ぎないんですけど?」


「そういう御託は良いから、簡潔に報告してくれ」


「――その前に一つ」


 殆どインギェムの言葉を遮る様にして、ユミルは指を一本立てる。

 それから主神の言葉を遮られ、不快感を顕にする神使と騎士達へ顔を向けた。


「あの襲撃者さ、アンタらを殺さなかったの? それとも、殺せなかったの?」


「どういう意味だ?」


「アタシ達が到着した時、既に全員が昏倒していて虫の息だった。後はインギェムだけ、っていう状況だったけどさ、何で一人も死んでないの?」


「何でも何も……。己の神使や騎士だって、柔弱じゃねぇ。虫の息だったかもしれねぇが、何とかギリギリ持ち堪えたってだけだろ」


 我が子とでも呼ぶべき神使を指して言われれば、インギェムと言えども気分を悪くする。

 そして、インギェムの言い分は事実ではなく、希望を述べたに過ぎなかった。


「そうじゃないわね、相手は淵魔なのよ。虫の息だった相手を生かしておく理由がない。なのに、どうして誰も……誰一人、損なわれる命がなかったのよ?」


「ドブ野郎の気持ちなんか知るかよ。単なる偶然だろ」


 ユミルは無言で否定して首を振る。

 それから立てていた指をインギェムへと向けた。


「最後に襲われたアンタだけどさ、アイツは殺そうとしてた?」


「してた……、と思うぜ。殺意こそなかったが、元から感情を削ぎ落とした様な手合だったろ。だから、正確には分からんが……」


「けれど、アタシの意見は違うのよね。何故ならアイツは……、アンタを味方に引き込もうとしていた可能性がある」


「味方……、馬鹿な!? 脅された上で協力を強制させられてたんだぞ! そこでひと手間かけるくらいなら、最初から味方へ引き込む説得でもしてりゃ良かったんだ!」


 インギェムの反論は実に芯が通っていて、確かな説得力があった。

 確かにそれでは二度手間で、しかも一度目の脅しが全く意味を持っていない。


 脅して表面的な協力を取り付けるくらいならば、最初からもっとやりようはあった。

 ユミルもそれには同意したものの、しかし、すぐに一つの推論を口にした。

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