ネリビンの魚竜 その8
レヴィン達は歓呼の声に引っ張られながら、船へと走った。
近付くと跳躍して、船体を蹴り上げ縁を掴み、そのまま身体を引き上げる。
レヴィンが甲板に足を付けると、誰もが笑顔で歓迎してくれた。
気安げに肩を叩き、背中を叩き、労ってくれる。
それは自分達の喜びを、少しでも分かち合おうとするかの様だった。
レヴィンが揉みくちゃにされている間にも、ヨエル達が次々と甲板に上がって来る。
そうすると、彼らも次々とレヴィンと同じ目に遭わされた。
歓喜から来る行動と分かるから、無下に振り払うことも出来ない。
レヴィン達は勝利者として、その扱いを享受するだけだった。
しかし、魚竜を仕留めただけにしては、やけに熱烈な歓迎ぶりだ、とレヴィンは思う。
殆ど這う這うの体に近い形で、船尾の操舵輪を握る、船長の傍へ赴くと、うっへりと息を吐いた。
「いや、凄い歓迎だ……。これまで割と、素っ気ない態度に見えてたから、尚更に……」
「それだけの事を、おめぇさんらがやった、って事だよ!」
船長もまた満面の笑みを浮かべて、レヴィンの肩を叩く。
それから表情を険しいものに改めて、水夫たちを怒鳴りつけた。
「――おら! いつまでも浮かれてるんじゃねぇ! さっさとナタイヴェルと船を繋げ! 持ち帰るぞ!」
『オオゥ!!』
これまた威勢の良い返事をして、興奮と歓喜を漲らせて作業に入る。
船長もまた、ナタイヴェルの巨大な死骸を見ては、興奮を隠せない様子で首を振った。
「そういう訳だからよ、作業が終わるまで出発できねぇ。おめぇさんらも疲れてるだろ、今はゆっくり休め」
「……えぇ、そうさせて貰います。しかし、あれだけ巨体だと、持ち帰るのも不便なのでは?」
「そりゃ大変だ! 普通なら運べるモンじゃねぇだろうよ! けど、今は嬢ちゃんが幾らでも送風してくれるし、何より魚竜の討伐だ! こいつは持ち帰って、是非証明してやんなきゃならねぇ!」
「大金星を挙げたぞ、と?」
これだけ強大で恐ろしい魔物だ。
船長も敵が魚竜だと察した途端、逃げ腰になっていた。
それだけの魔物を討伐したなら、それは周囲に自慢し、喧伝する十分な理由となる。
しかし、船長はこれに首を横に振った。
「それも間違いじゃねぇが、根本的な理由は別のトコだ。これで皆、魚竜に悩まされずに済む! 航海がずっと楽になる! それを証明してやる必要があるのさ!」
「確かに、口で幾ら言っても信用されるものでもないか……」
むしろ、口では幾らでも言える。
確かな証拠を提示することは、単に証明の手段というだけでなく、彼らに安堵を与えるだろう。
これまでと違う、と分かり易く認識できるし、飲み込みやすい。
それこそ先程の水夫たちの様に、万雷の拍手と共に受け入れられると見るに違いなかった。
それにしても、と船長は愉快げな視線を、レヴィン達に向ける。
「何だろうな、最初は頼りねぇと思ったもんだが、いやはやどうして……。海中に沈んだ時も、そこからそっちの兄ちゃんが飛び出して来た時も、こりゃあ駄目だと思ったもんだが!」
言うだけ言って、一人で笑う。
「追い返すだけでも大金星、御の字と思ってたさ! ところがコレだろ? 笑えるぜ!」
「いやいや、戦ってたこっちは、一つも笑えませんでしたが」
「そりゃそうだな! 何にしても、おめぇさんには感謝してる。皆を代表して――ネリビン海域で商売する、全ての者達に代わって礼を言うぜ!」
「そこまで言って貰えると、俺達も頑張ったかいがあるな」
「――ま、しばらくゆっくりしててくれ!」
レヴィンがヨエル達と顔を見合わせると、互いに笑みを浮かべて頷いた。
操舵輪から離れて端へ寄ると、ヨエルは耳の上をトントンと叩いて頭を振る。
「未だに頭が揺れてる感じするけどよ、やっただけの価値はあったな」
「そうですね。しかし、このぐらい出来なければ、これから戦い抜くのは難しかったのでは?」
「つまり、試金石でしょうか?」
ロヴィーサの疑義に、アイナがおっかなびっくり言葉を添える。
肩越しにみつめるミレイユに、恐々とした視線を向けた。
「だが、こうも言っていた。出来ないことをやれとは言わない、と……。俺達のことを信頼して任せて下さったんだ」
「それはそうだって気がするがよ……、ちょい思う所もあるわな」
ヨエルが小さく見せた不敬な態度に、レヴィンはムッとして眉根を寄せる。
「何がだ? ミレイユ様の言う通りだった。俺達は魔術の補佐を受けていたが、実際に倒してみせたんだ」
「いや、分かってるぜ。それだって実際、大きな補佐だったには違いねぇけど、倒したのは間違いなく俺達の地力だった。しかしだ……」
ヨエルは喜び合って手を取り合い、小舟を下ろしてナタイヴェルへ向かう水夫達を見る。
ロープで巻き付け、それを帆船で牽引するつもりなのだろう。
どこに巻きつけるべきか、あるいは下顎に穴を開けて通すべきか、などと相談している。
そして何より、その巨大な死骸を間近に見て、畏怖しつつも討伐の事実に、歓喜を抑えられないようでもあった。
彼らにとって、海の魔物――とりわけネリビンの魚竜は畏怖の対象だったのだと、その様子からも分かる。
ヨエルが言わんとした事を理解し、ロヴィーサもまた頷いて口を開いた。
「なるほど……、言いたい事が分かり掛けて来ました。魚竜は間違いなく、人々の生活を脅かす魔物だったことでしょう」
「苦しまされた年月は、十年や二十年では利かないんじゃないでしょうか。彼らの喜びを見れば、長い間苦難に直面していたのだと分かります」
アイナも理解を示せば、レヴィンの表情から剣呑なものが消えた。
「それは……、そうかもしれないな。しかし、それが何だって言うんだ、ヨエル?」
「今回は俺達に託して下さった……そういう話だがよ、どんだけ苦しんでても、やっぱり神様は、そう簡単に人を助けてはくれねぇんだな」
「それは、そうだろう……」
「恐らく、十年前後は近海を荒らしていただろうに? それでどれだけの人間が被害にあったよ? 物流だって大きく後退したんじゃねぇのか。それでも?」
神には人の世よりも優先すべき事がある。
それは理解できることだ。『虫食い』を始め、人では抗えない脅威が存在する。
そうした対処を優先するのは当然と思う一方、長年人には対処出来ていなかった、強大な魔物は放置していた。
人の世は人の手で治める――。
それが大原則にしろ、今回の様に手助けくらいはあって良さそうなものに思えた。
その思いが気配として、表出していたからだろうか。
ミレイユは常と変わらぬ様子のまま、意味ありげな視線を向けてきた。
「言っておくが、あの歓声や騒ぎがあるとはいえ、お前達の声はしっかり聞こえているからな」
「――こ、これは失礼を!」
レヴィンは慌てて頭を下げる。
離れた場所に位置取っているとはいえ、狭い甲板の上、それも船尾の限られた空間だ。
船長までは距離もあるので聞こえていないが、風があろうと声を掻き消す程ではなかっただと、今更ながらに気付いた。
「ヨエルも決して悪気あって申したことでなく――!」
「分かってる、咎めたいわけじゃない」
ミレイユは笑っていたがその隣、無言で控えているアヴェリンの目は険しい。
目は口ほどに物を言う、とあるが、まさにその視線は明らかな非難が浮かんでいた。
「私は人を軽んじるから手助けしないんじゃない。――逆だ。人の強さを知るからこそ、手を出そうとしないんだ」
「それは……、嬉しいお言葉です」
歓迎したい台詞でありつつ、どこか釈然としない気持ちがある。
それが声と表情に表れていた。
ミレイユは含み笑いを漏らしてから続ける。
「確かにお前――お前たちは強い戦士かもしれないな。では、訊きたいんだが、己こそが世界最強だと……神使を除けば頂点に立つのだと、自信を以って言えるか?」
「言えません。自分より強い者は、きっと居ると思います」
「つまり、それが答えだと……?」
ロヴィーサが尋ねると、ミレイユはこれに頷く。
「水面歩行にしろ、水中呼吸にしろ、秘匿された魔術ではない。本気になるなら、それら刻印を装備して、冒険者が戦いを挑むだろう。付近にそうした戦士がいなければ、ギルドが大金を用意して依頼する。そうしたシステムは既にある」
「そうです、その通りです」
「ギルドは広いネットワークを持っている。本気を出せば用意できたのに、未だ討伐出来ていなかったのなら、それはつまり本気じゃなかったって事だ。三十年も放置するに至って、常態化させた社会が悪い」
「三、十年……」
それほど長期に渡って近海を支配していたなど、レヴィンには想像の外だった。
これが仮にユーカード領であったなら、もっと早期に討伐していただろう。
自分達だけで手が余るとなれば、他領の手を借りるだろうし、そこまで大きな問題ならば、国が動く事態でもある。
何もかもギルド任せ、領兵任せにされるものでもない。
しかし、三十年も続いていたのなら、むしろ逆ではないかという気がした。
誰にも討伐できない難敵で、放置するしかなかった。
そういう話なのではないか。
「お前の言いたい事は良く分かる。金も人も、無尽蔵ではないからな。最初にあった討伐の熱気も、不可能が続けば諦めが出てきて、次第に風化する事もあるだろう。そして実際、嵐が過ぎ去るのを待つが如く、極力避けるようにした……。討伐に掛かる費用や苦労より、そうした逃避の道を選んだ」
「そうかも、しれませんが……!」
「だが、人の限界を私が決めたくはない。私は人の持つ強さを知っている。魚竜は難敵には違いないが、倒せない敵ではないと知っていた」
それを今しがた、レヴィンが証明したようなものだ。
そしてレヴィンは、人の中では間違いなく上位の強さだろうが、唯一無比の強さを誇る訳でもなかった。
四人で討伐出来たなら、即ち大人数をぶつければ倒せたとは限らない。
しかし、複数の第一級冒険者パーティに依頼することで、近い戦力を用意できた筈なのだ。
「私が大変だろう、と魚竜を排除したら、そのラインから神の助けが入る事になってしまう。そこが人間にとっての限界だとな。そうして数百年、今度は魚竜より弱く、しかし人間が討伐できず、停滞させていたらとしたら? これも排除してやるのか? そして、してやった時この線引は、一体どこまで下がってしまうんだろうな」
「それは……」
答えに窮し、レヴィンは何も言えなくなる。
人の限界を決めたくない、と言った意味が、レヴィンにもようやく分かった。
人はその短い一生の中で、人の物差しでしか物事を測れない。
しかし神は、百年、二百年という長い間隔で物事を測るのだ。
そして神の助力を当然と思うまで、その線引が引き下げられてしまったら、果たして人は己の足で立って歩けるのだろうか。
何もかも、あらゆる補助なしで歩けなくなってしまうなら、そこに人の意志は介在できない。
全てを神頼みの世界になってしまう。
それで人は、果たして生きていると言えるだろうか。
「ミレイユ様の深謀遠慮、私の及ぶ所ではありませんでした。どうか無礼を、お許し下さい」
「最初から言ってたろう、咎めてるわけじゃない。私は人の持つ強さを知っているし、その可能性も知っている。そして、それを神如きが台無しにするのを許さない。……それだけだ」
レヴィンは感服する余り、身体が身震いするのを感じた。
人の可能性と神の存在を天秤に掛け、その上で如きと言い、切って捨てたのだ。
レヴィンの頭が自然と下がる。
それに合わせて他の誰もが頭を垂れた。
アヴェリンもまた、例外ではない。
礼節に則った正式な礼が船尾で行われる事になり、船長が何やってるんだ、と大袈裟に首を傾げて胡乱に見ていた。
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