現代遊戯 その5

「準備は良いか? 我は万端、整のうておる!」


 部屋の中へ突如、乱入して来たのは――やはりというべきか、オミカゲ様だった。

 開口一番、晴れやかに言っては、大きな笑みを浮かべている。

 準備万端と自身が言った通り、その衣服は以前、外出した時と同じ物に変わっていた。


 ミレイユは額に手を当て、顔を逸らして息を吐く。

 レヴィン達はどう対応して良いものやら分からず、背後を振り返る形で彫像と化している。


 オミカゲ様はウキウキとした様子を隠そうともせず、足早に室内へと踏み入った。

 そうして、ミレイユたち全員を見渡しすなり、非難する口調で叱責した。


「何をしておる。さっさと準備せぬか! ほれ、急げ!」


「一応、訊いておきたいんだが……。何で、お前はここにいるんだ?」


「馬鹿を言う。そなたらが外出する、と知ったからではないか」


「お前には教えてないし、教えるつもりもなかったんだが……」


 ミレイユが、やはり疲れた様子で呟く様に言うと、オミカゲ様は両手を腰に当てて胸を張った。


「宮内において、我の知らぬ事などないわ。当然、そなたらが何やら我に隠れて、外出しようとしていたことも、既にお見通しよ……!」


「そうかい……」


 ミレイユが既に疲れ切った様子で顔を上げ、ここで初めてオミカゲ様を見た。

 そうして、上から下まで見つめて数秒、眉を顰めた怪訝な表情で問う。


「お見通しは結構だが……。お前こそ、きちんと許可取ってこっちに来てるんだろうな?」


「む、無論よ……!」


「鶴子はどうした」


 これにオミカゲ様は答えなかった。

 その様子を見れば、嫌でも分かる。

 答えたくないというより、答えられない、と言っているも同義だった。


 女官長は全ての女官を統率する役職であると同時に、オミカゲ様の側付き女官として務めるものだ。

 だから、彼女は決して傍を離れない。


 何か用事があって離れなければならない時も、代わりの女官を立てておくものだった。

 その女官が、オミカゲ様と共に入室して来ていない。


 そして、オミカゲ様の服装である。

 着ている物は同じでも、その着方に雲泥の差があった。

 どこか着崩れた様子で、だらしがない。


 せっかくの衣装が、泣いているかのようだ。

 それは例えば、急な用事でとにかく身に着けただけ、という風にも見え……そして恐らく、それが理由で間違いないだろう。


「お前、抜け出して来たのか? それとも逃げ出して来たか?」


「む……、いや、そんな事はない」


「どっちでも良いが、ちゃんとママの許可とってから来いよ」


「何たる言い草か! 宮内で我のする事に――いやいや、待て待て! ここで言い争いしている時間が勿体ない。ほれ、そなた! さっさと転移せぬか!」


「天門宮まで行かないと、使っちゃいけない決まりだろ。大体、お前を勝手に連れ出したら、それこそ私まで叱られる破目になるんだ。冗談じゃないぞ」


 ミレイユは肘掛けの上に身体を預け、やれやれと首を振った。

 レヴィン達もその頃には彫像から抜け出していたものの、それぞれの発言毎に、首を向けるだけの機械と化していた。


「い、いいから急ぐのじゃ! 我が……奥御殿の主が、許すと言っておるのだぞ! 何をはばかる事があろうか!」


「転移するかどうか以前に、そもそも許可を取って外出してないなら、やっぱり咎めがこっちにも来るだろ。連れて行かないとは言わないから、素直に許しを貰ってこい」


「しかし、しかしじゃな……! えぇい、拉致が明かぬ!」


 オミカゲ様は大仰に首を振ると、大股でレヴィン達へと歩み寄った。

 そして、一番身近にいたロヴィーサを片手で持ち上げると、その首筋に指を二本立てて突き立てる。


「……え? あの……?」


「この小娘の命が惜しくば、さっさと我の言う通りにせい!」


 オミカゲ様の目には余裕がなく、追い詰められた犯罪者そのものだった。

 それは例えば、銀行強盗の立て籠もり犯とも良く似ている。


 ミレイユは体勢を変えぬまま、非難する目で閉じた扇子を突きつけた。


「言っておくが、お前本当に最低だからな。それが、この国を支える守護神の姿かと思うと、怒りより前に嘆きたくなる」


「我は本気じゃ! 本気じゃからな! 追い詰められた獣の恐ろしさ、ここで教えてやっても良いのだぞ!」


「……ユミル、何か言うことは?」


 オミカゲ様に余裕がないのは確かで、何を仕出かすか分からない不安もある。

 しかし、それにミレイユは全く動じず、傍らのユミルへ視線を向けた。

 その彼女も、顔に笑みこそ浮かべているが、心から笑っていないのは明らかだった。


「流石にちょっと、やり過ぎかもね。今はまだ、微笑ましいだけで済んでるけど」


「すぐに手を離せば、誰もが笑って済ませられると思いますよ」


 ルチアからも諌める言葉を投げ掛けられ、オミカゲ様の表情が消沈した時、控えめでありつつ急ぎ足で床板を踏む音が聞こえてきた。

 そして、その足音はただ一つではない。

 複数人から聞こえる足音は、何かにせつかれるような雰囲気を感じさせる。


「う、うぐ……! これまでか……」


 オミカゲ様が呻いてロヴィーサから手を離すのと同時、複数の女官を引き連れた鶴子が姿を現した。

 室内の様子から憤然と頷いた所を見ると、凡その経緯は察っせられたらしい。


「オミカゲ様、お迎えに参りました。ささ、ご自身の神処へと戻りましょう」


「う、うむ、そうさな……。しかしな……」


 オミカゲ様が身体の向きを変え、釈明らしきものを始めた時に、ロヴィーサは状況を理解できぬまま、元の位置へと戻った。

 レヴィンのすぐ傍に腰を下ろすと、その彼から慰めにも似た素振りで、その腕を撫でられる。

 ホッと息を吐いて笑みを浮かべた時、再び鶴子から催促の声が上がった。


「オミカゲ様、書類の決裁がまだ残っております。ここ数日は、大変聞き分けよろしく、熱心な仕事振りを見せて頂いていたというのに……。それが突然、心変わりすることなど、まさかございませんわよね?」


「それは……、無論、そうじゃな。あるはずがない」


「然様でございましょう? 誰かが入れ替わっていたとしたら、そうした事もあるのかもしれませんが……オミカゲ様に取って代われる者など、決しておりませんものね?」


「む、無論のこと……! 殊更、言葉に出す必要がどこにある!」


 鶴子の笑みは、オミカゲ様が返事をする毎に深くなる。

 オミカゲ様はその笑みを直視できないようで、顔を逸らし続けた結果、ミレイユと目が合った。


 必死に助けを求める視線は、その都度、数度送られている。

 しかし、ミレイユは完全に無視の構えだ。


「――では、問題ございませんね。滞っていた書類に、しっかり目を通して頂かなくては……!」


「う、うむ……。そうさな、然様か……」


 首根っこ掴まれている訳ではないが、そうと見える心境で、オミカゲ様は肩を落として去って行く。

 途中、チラリと背後に目を向ける場面もあったが、それもミレイユは完全に無視した。


「いいの……?」


 ユミルからの簡潔な問いにも、ミレイユは悄然と見える姿で頷く。


「むしろ、何の問題もないだろう。無断で来るなって話だし、私達が預かろうとも、そう何度も抜け出しを許す訳にはいかんだろう。大体、しっかり手順さえ踏めば、外出できるのは確かなんだから」


「でも、いつでも好きなタイミングで、とはいかないのよね」


「それは当然だろう。アレは基本、奥御殿で大人しく祀られているべき存在だ。ほいほいと、外に出られちゃ堪らない」


「でも、一緒に遊びたそうでしたよ?」


 抜け出してでも遊びに行こうとする位だから、その本気度合いは窺えた。

 しかし、好きに連れて歩けない立場が、オミカゲ様にはある。


「正規の手順を踏めば、外に出られるのは半年に一度とか、そのぐらいだろう。前回のアレは、例外中の例外で――本来、咎められるべきものだ。数日、アイツの役目を肩代わりして分かったが、毎日何かしらの行事があるしな……」


 オミカゲ様は神道において祀られる一柱に過ぎないものの、全国各地から祀られる神でもあった。

 その土地にまつわる神や、風土や風習から来る自然神と習合して祀られる場合もある。


 そうすると、毎日何かしらの祀りや行事がある事になり、各地の神社で基本的には終結するものの、その報告は送られて来るのだ。

 送られた報告書は、基本的に総本山である御影日昇大社で処理されるのだが、最終報告はオミカゲ様の元へと送られる。


 送られた書類は全て目を通す必要があり、そして決裁印が押される事で終了と見做された。

 現在は殆ど形骸化した流れだが、オミカゲ様という肉体を持つ神が、しかと理解している事実は大きい。

 それで、今日においても続けられている慣習となっていた。


「まぁ、スケジュール次第で、あるいは融通利かせられるかもしれないが、連日あいつといると疲れる。今日は私だって遊びたいんだ。ゆっくりと羽根を伸ばそう」


「結局、それが本音ってワケね。……澄ました顔しても、やっぱり同じ思考回路してるんだって実感するわ」


 ユミルは揶揄するように言って、それから笑う。


「ま、いいわ。この前は我慢させたんだしね。それじゃ、さっさと行きましょうか」


 ユミルの掛け声と共に、ミレイユ達が立ち上がる。

 女官が先導するまま、部屋の中央を横切っていく。

 それでとりあえず、レヴィン達も互いに顔を見合わせながら、その後へ付いて行った。

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