それは空からやってくる その1

 エネエン王国――。

 それは肥沃な大地を持ち、農耕と狩猟によって栄えた、ごく平凡で平和な国の名だ。

 国の興りからして、初代エネエン王は農家を営む一人の青年でしかなく、単に周囲の取り纏めをしていたに過ぎなかった。


 それがいつしか、王として担ぎ上げられ、人民を率いるに至った、という経緯を持つ。

 平和を旨とし、友情と友愛を説いた。


 しかし、肥沃な大地を欲しがる他部族もいるもので、これに反抗する為、兵団が組織された。

 平和な世にあって生まれた組織は十分に数が揃わず、最初はたった十人の集まりでしかなかった。


 これが後に王の直近として仕え、現在まで伝わる貴族の礎となる。

 争いに際し、この十人と共に王が直々に駆け巡ったとされ、今になってもその気風は失われていない。


 数えて八代目になるヴァルデマル王は、齢三十の健康な男性である。

 初代エネエン王を強く慕い、王の倣いとして剣術も高いレベルで修めている。

 事あらば、自ら兵を率いて動く、民からの信任も厚い王だった。


 そして今、その誇りあるヴァルデマル王が、玉座に座りながら臣下の報告を受けるなり、気炎を上げていた。


「今、何と申した……!?」


「ハッ……! カセレン領からの嘆願……と、申しましょうか。最近、人が良く消えるのだそうでございます。村や町など、人の多い所では勿論のこと、最近では森への採取や狩猟へ向かう者すら帰って来ないと……。人攫いの可能性もあるとして、現在捜索中との事ですが、結果は芳しくなく……。人手を欲して、こうした報告がありました」


「人攫い……。それは間違いないのか?」


「確証は何一つ……。ただ、その森近くに住む者らかすると、危険は知り尽くしていると……。遅くなる事はあっても、帰って来ないとは考え辛く、また遭難であろうとも、同じく探しに行った者まで帰って来ない。これはおかしい、と思ったとの事でございます」


「そうだな……」


 ヴァルデマルも重々しく頷き、その意見に同意する。


「森近くに住む者は、その森こそが生命線。己の庭が如く知り尽くしているだろう。そして、この様な騒ぎは、私の知る限り初めてのこと。原因は……」


「御意。例の島由来の事だと、思わざるを得ません」


 これまで西の沖には何の姿形もなかった。

 だが、その遥か遠く水平線の向こうに島が出現し、更にはそこから人がやって来た。

 非常に友好的な相手で、あちらの王から国書を携え、国交を開きたいと申してきた。


 通商の暁には、と見せてきた品々は素晴らしいもので、今まで目にした事のない品を手に入れられるのは魅力的だった。

 臣下の賛成と反対の声は同数で、反発もそれなりに大きかったが、益は大きいと言う意見に押され――。


 紆余曲折の末、晴れて国交は開かれ、程なくして通商も始まった。

 今まさに、何もかもこれからという時期だった。

 それにケチが付いた……誰もが、その様に考える。

 しかし、ヴァルデマル王は違った。


「益に付いては、互いに良く理解していたはず……。国交を始めたばかりで、探り合いの時期、こうもあからさまな悪意を持ち込むとは思えぬ」


「そうとも申せないのでは……? あるいは、こうした事も織り込み済みだった可能性も……」


「馬鹿馬鹿しい。神がその御姿見せ、庇護賜る旨、申し付けて来られたのだぞ。お前はそれすら欺瞞であったと、そう言うのか!」


「そ、それは……!」


 赤い巨竜の頭に鎮座し、ヴァルデマル王の前に姿を見せたその者は、自らを大神レジスクラディスと名乗った。

 その後、次々と同じ様に神が現れ、この世界における庇護を約束した。


 大神より一回り以上小さな竜に乗っており、また小神と名乗った彼らは、明確に上下の違いを表明していた様に見えた。

 島の出現と神の顕現、これが無関係であると思わなかったヴァルデマル王は、憶測の人攫いよりもこの神を信じたかった。


「しかし、悪人とは何にでも便乗するものです……! 神の威光すら隠れ蓑にする、悪徳が服を着る様な者も、世の中にはいるものですぞ!」


「そう、そうだな……。その可能性を考えないでは、いられないだろう。真に犯罪者が暗躍しているなら、その愚劣な行いに鉄槌を下さねばならない。武器を取らず、これと戦うのを避ければ、よい笑い者となろう……!」


「侮られることなど、あってはなりません。しかし……!」


 問題はあった。

 海の外から来る者には、不思議な力が宿っている。

 それこそ神のご加護かも知れず、是非とも手にしたい力だった。


「まず、カセレン領の要望に応えろ。兵を送れ。詳しい精査が必要だ。それに、万が一があれば交戦も許可する。このエネエンを我が物顔で愚弄する者どもに、我らの誇りを見せつけるのだ!」



  ※※※



 カセレン領、とある森の深部にて――。

 二人の男が身体を低く構えながら、慎重に歩を進めていた。

 いかにも山男風の二人は口髭を生やし、毛皮を利用した衣服を着用している。

 そうして肩に弓を下げ、いつでも矢を放てる様、腰に下げた矢筒へ手を添えていた。


「しばらく森に入るな、って言われてもな……」


「俺たち猟師は、それでどうやって食ってけって言うんだ? 保存食だって心許ない。毎日、獲物が取れるわけでもないんだ……」


「隣家のラカンだけじゃなく、あのセスまで消えたってのは、いやに不気味だ。それでも、だ……」


「――待て」


 低い声で鋭く制し、二人の動きがぴたりと止まる。

 森の深部は獣の世界だ。

 人が入り込むなら、警戒を厳にし、そして同時に戒めなければならない。

 自然はいつだって人間に牙を剥くし、今回に関して言えば、縄張りを侵しているのは人間の方だった。


「いつもと様子が違う……」


「確かに、何か変だ……」


 森の中は鳥の囀り、虫の音など、何かしらの音が引っ切り無しに聞こえるものだ。

 その中には獣が地を踏み、下生えを掻き分けて進む音などもあって、それを頼りに位置を特定する事もある程だ。


 だから、大抵の足音には敏感で、そして足音だけで獲物が何かを聞き分ける耳を持っている。

 一流の猟師とは、そういう者だ。


「何かいる……! 何かいるぞ……、何だこれ……!?」


 咄嗟に木の陰に隠れ、身体を隠して耳を澄ませた。

 草生えを掻き分ける音は、人のものではない。


 そして、これまで何十、何百と聴き分けてきた、森の獣でもなかった。

 鹿かと思えば狼にも聴こえ、そうかと思えば、全く違う何かにも聴こえる。


 ――人攫いなんかじゃなかった!

 そうではない。人ではない恐ろしい何か……、未知の生物に襲われたのだ。

 逃げ道はないかと視線を左右に動かした、その時だった。


 凄まじい衝撃と共に木が揺れる。

 木に身を寄せていた男達は、その衝撃で跳ね飛ばされてしまった。


「ぐはっ! くそっ、なんて馬鹿力だ……!」


「何だあれ……、何だ……何なんだよ!」


 身を隠していた木が、根本から折れて崩れ落ちる。

 見上げる様な巨体の獣は、いかなる動物とも合致しない、未知の形状をしていた。


「頼む、足が! 動けないんだ、助けてくれ!」


 そう言って手を伸ばしている通り、倒れた木の下敷きになった男は身動きが取れない。

 必死の形相で呼び掛けては、逃げ出そうと身を捩って助けを求めている。

 しかし、もう一方の男もまた、身動き出来ないでいた。


 男二人が隠れられる程の太さを持つ木なのだ。

 持ち上げる事は勿論、動かす事さえ本来は不可能だ。それなのに――。


 助けてやりたい気持ちはある。

 同じ村で育った者同士で、同じく猟師を生業とする一家同士だ。

 血の繋がりはなくとも、家族みたいなものだった。


 しかし、現実問題として、独力で助けられる範囲を超えている。

 もっと多くの人手なくして、彼の救助は不可能だった。

 下敷きの男も、その表情を読み取って顔を更に青ざめさせる。


「おい、嘘だろ……!? 見捨てないよな、助けてくれよ!!」


「人を……誰か、人を呼んでくる! 待ってろ!」


「待てよ! 行くな! 助けてくれ、助けてくれ、頼む!」


 その声から逃げる様に、男は踵を返して必死に走る。

 背後からは助けを呼ぶ声、そして見捨てられた事を詰る声が後を追った。


「行くな! 行くなぁぁ! 助けて、助けてぇぇぇl!」


 男は一切振り返らず、家族同然の友人から……何より恐ろしい怪物から、逃れる為に息を切らせて走り続けた。



  ※※※



 ミーナは今年十五歳で、猟師を生業とする一家の生まれだった。

 昨今は森が物騒と言われ、狩猟が一時禁止とされていたのに、父は構わず向かってしまった。


 これは領主様の言葉を蔑ろにしたとか、そういう話ではない。

 ここ最近、父は体調を崩していて、ろくに狩りへ出られなかった。


 丸一日、何も獲物が取れなくとも、飢える事はない。

 しかし、それが三日続けば焦りも出る。

 だからどうしても、父は獲物を狩りに森へ行かねばならなかった。


 ミーナも猟師の娘として、狩りの技術は教わっていたが、未だ森の奥に行くことは許されていなかった。

 森の入口近辺だけだと、どうしても小振りな獲物――例えば兎や、鳥などしか取れなくなる。


 弓の腕は一級品という自信はあるのに、年齢の若さ、そして女である事を理由に、大物の狩猟は許されないまま今の年になった。

 これが男なら文句など言われない。むしろ一人前になる修行として、そろそろ森の奥深くへと入り込む頃合いだ。


 歯痒く思うが、家長である父のいう事は絶対で、だから理不尽には思っても、甘んじて受けて入れてきた。

 しかし、今だけは少し事情が違う。


「嫌な予感がする……」


 父は優秀な狩人だ。

 その腕を軽んじる事はない。

 しかし、いつもなら帰って来る時間になっても、未だその様子はなく、また気配すらなかった。


 森への入出禁止令が出た事といい、良くないことが起きているのは、ミーナも良く分かっている。

 そして、良く分かるからこそ、今の状態を黙って見ていられない。


 自家製の弓と矢など、取るもの取って家を飛び出す。

 すると、近所の子供――サリサが、いつもそうしている様に、切り株に腰掛けて草遊びをしていた。


「どうしたの? こわいかおしてるよ」


「ちょっと森に行ってくる。父さんを探さないと……!」


「てつだってあげよっか!」


 事態を良く知らない、子どもの無邪気な提案だ。

 危険がないと――普段は森の傍まで遊び場だから、そうした軽い気持ちで訊いてきたと分かる。

 それでも、今は緊急事態で、ミーナはいつもの良き姉とした返答が出来なかった。


「いいから、そこに居て! いいわね、動かずそこで遊んでて!」


 サリサが不満げな顔をさせて、口を尖らせる。

 そういう態度を見せると、いつもそれとなくフォローしていたミーナだが、今はそうする余裕もない。


 ミーナは更に心の余裕を失くして、一瞥すらせず駆け出した。

 父と子の二人で、ミーナ達は助け合って生きてきた。

 幼い頃に母を病気で失くし、それからは互いがやるべき事を分担して、協力して生きて来たのだ。


 だから、もし――!

 もしも、森で動けなくなったりしているのなら、自分が助けに行くしかない。


「大丈夫、きっと足とか怪我しただけ……!」


 ミーナは自分にそう言い聞かせて、森へとひた走った。

 森への入出は禁止されたが、食うに困ればそうも言っていられない。

 小さな村に共同の備蓄などなく、自分の食い扶持は自分で稼がねば生きていけないのだ。


 父は厳格だったが、同時に娘も愛していた。

 体調を崩した自分を責め、それで娘が飢えるのを座視して待つことは出来なかった。


 ミーナは父の優しさを良く知っている。

 だから、彼女もまた、座視して待っていることが出来ない。


 ミーナが余裕の削がれた表情で駆け、そうして無事を祈って走り去る姿を、サリサは恨みがましい目付きで見送る――。

 そして、何かを思い付いた笑顔で、幼い少女もまた走り出した。

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