それは空からやってくる その3
ミーナ親子を無事に送り届けた時には、どちらもぐったりとして動きがなかった。
父親の方はともかく、娘の方まで目が虚ろなのは、馬より早く森を駆け抜けたから、らしい。
しかし、それに気を掛ける余裕など、今のレヴィン達にもなかった。
とにかく父親をベッドに寝かせて、詳しく傷を診る。
「見た目ほど出血は酷くない。内蔵は奇跡的に無事みたいだ。とはいえ、治癒士に見せなきゃ一刻を争うな……」
「ち、ちゆしって何……?」
「居ないの? 薬師でも良いけど……」
「いる……いるけど、村の外れの森近くだよ……じゃない、です。薬草を採りやすい場所に住んでて……。ここからは、ちょっと遠いです」
アキラは思わず歯噛みする。
では、帰って来るまでの間に、寄る事も出来たのだ。
しかし、今更言っても詮無き事だ。
そして容態を見る限り、戻る時間がいかにも惜しまれた。
アキラがどうするべきか悩んでいると、横からスメラータが声を挟む。
「……っていうかさ、アキラ。薬師は良いけど、こっちの薬って役に立つの?」
「え……?」
「いや、だからさ。煎薬だか塗薬とかを、貰って来ようって言うんでしょ? マナのない薬草って、効き目落ちたりするんじゃない? 違うの?」
言われてアキラは、初めて気が付いた。
現代日本で暮らしていたのに、すっかり異世界に染まってしまったと、改めて思い知って顔を顰める。
スメラータの言う通り、アキラの知る薬効は、マナが薬草に含有されているからこそだ。
そして、それ故に莫大な効果を引き起こす。
それこそ、水薬は言葉通り見る見る内に傷を塞ぐが、高度な医療を誇る現代日本の薬でさえ、そんな効果は見込めない。
マナのない大地では、化膿止めや止血が精々だろう。
アキラは改めて父親の顔を見る。
血液が多く失われたせいで、顔色は酷く悪い。
発汗も多く、息も上がって、生死の瀬戸際に見えた。
「父さん、しっかり……! しっかりして!」
ミーナもまた、父の具合に気付いて、必死に声を掛ける。
それでも父から応答はなく、目を開いたり、何か反応を返すこともない。
そして、このまま放置すれば、二度と開かなくなるのは明白だった。
「……皆、僕の我儘で使って良いか」
「そう言うと思った。これからの事を思えば、一本だって無駄にゃ出来んだろうが……。まぁ、アキラの事だしね。好きにしなよ」
イルヴィからの許可は、他二人を含めた総意でもあった。
アキラはそれに礼を言って、懐から一つの瓶を取り出す。
それは中級治癒の水薬だった。
アキラはミーナを押し退け、横合いから父親の口元へ少量を注ぎ、残りを全て患部に使う。
効果は即座に、そして劇的な効果として表れた。
傷口はあっという間に塞がり、顔色は血色を取り戻す。
荒く喘鳴していた呼吸も緩やかになり、汗を拭った後から、新たに吹き出すものもない。
見る者が見れば、奇跡としか言いようのない光景だった。
「まさか、まさか……神様、ですか?」
ミーナは父に覆い被さる格好から、その場に膝を付き、胸の間で手を組み合わせて祈る格好をする。
「天から舞い降り、お救い下さった事といい、大変な奇跡を与えて下さった事といい……。深く、深く感謝いたします……!」
ミーナが深く頭を垂れた事で、いよいよアキラは慌て出す。
「えぇ……!? 違うよ、神様なんて恐れ多い! 精々が神の使いっ走りで……!」
「あぁっ、神の御使い様……! ご無礼をお許し下さい!」
「いやいや、違う。違うから、そう言うんでもなくって……!」
必死の否定も、ミーナの耳には届かない。
手を組んだ格好のまま、濡れる瞳で見上げて来ている。
アキラはほとほと参って、助けを求める様に七生達へ顔を向けた。
「どうしたもんかな……」
「どうしたもの、と言われても……。あながち間違いでもないのだから、好きに言わせておけば? 実際、ここの人達と比べたら、天と地ほどの違いがあるのだし……」
「そうかもしれないけど、勝手に御使いを
「そうね……。本当に御使いと呼べるのはアヴェリン様とか、そういった方々を指すのだと思うし……。いわば、御使いの私兵、とでも言うのかしら……」
七生と議論している横で、イルヴィが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「そんな些細な事はどうでも良いだろうさ。それより、あの異形こそを問題にしちゃあどうだい? ――おい女、あの異形はこの辺じゃ、よく見る手合なのか?」
「とんでもない……!」
ミーナは全くの不意打ちを受けた素振りで身を仰け反らせ、顔を勢い良く左右へ振る。
「長く森で猟師をやってますが、あんなのは見たことも聞いたこともありません。父は私より、よほど長く猟師をしてますが、きっと同じ事を言うと思います」
「……ってこたぁ、弱点なんかも当然、知らないわけだ……。何なんだ、アイツ……? あたしらでさえ、あんなの見た事ないぞ……」
「まぁ、異形って呼び方がしっくり来るよねぇ。姿形は随分、不格好だった。生物として支離滅裂っていうかさ」
「上から見ていて気付いた事だけれど……」
そう言って、七生は当時を思い出す様に、胸の下で腕を組み天井を見上げた。
「木々の幾つかは倒壊していて、しかも噛み砕いた痕があったの。これって、普通の獣じゃ無理だと思うのよ。現代日本を例に取れば分かり易いと思うんだけど、そんな獣、森に居ないでしょう?」
「いや、アタイはその現代日本をよく知らないから……」
「ともかく、魔物ぐらいにならないと、そういうこと出来ないでしょって言いたいの。木を食べる魔物ってのも、聞いたことないし……」
「異常なことが起こってる……。それは確かみたいだ。マナのない地で、マナがなければ存在しない魔物らしき生物……いや、生物ですらない。不死とは思いたくないけど、そう思える異常な生物が誕生してる」
「私達が遣わされた事と、何か関係あると思う?」
「ある……、としか思えないんだけど……」
当初はもっと、小ぢんまりとした事件を追っていたはずだ。
危険があり、それを想定しているなら、アヴェリンは隠したりしないだろう。
言い忘れ自体はあり得ない事でもないが、いずれにせよこれは、地上においても神から見ても、異常な事態で間違いなかった。
「あの時は人命優先で逃げたけど、放置するのは余りに拙い」
「こっちの人間じゃ、まず相手に出来ないよ。喰われちまうのがオチだ」
イルヴィの言い方はぞんざいだったが、間違いのない現実でもあった。
不慮の事態ではある。
予測してない事態でもあった。
しかし、ここで見捨てる選択肢は、最初からアキラは持っていなかった。
「――行こう。アイツを放置していたら絶対に拙い」
アキラの決意を聞かされて、誰もが頷きを返した時だった。
慌ただしく扉の戸を叩き、一人の女が滑り込んでくる。
細い身体を真っ青にさせて、気を動転させて口早で喚く様に言った。
「ミーナ、うちの子知らない!? 何処にもいないの!」
「え、どういうこと、おばさん!? あたし、家を出る前、いつもの切り株に座ってるの見たよ!」
「居ないのよ、でも何処にも居ないの! あの子、一体どこに……!?」
「そんな……」
青い顔をさせて呟くも、その一瞬後に、すぐさま顔色が変わる。
「まさか……!」
「何か知ってるの!?」
「あたし、森に行くって言ったんです。父さんが心配だからって。手伝うって言ったんですよ、サリサ。でも、いらないって突っぱねたんです。もしかしたら……!」
「まさか、あんたを追って……!?」
母親は青い顔を更に青くさせて、今にも卒倒しそうだった。
ミーナは即座に駆け寄り、肩を抱いて家の中に招き、近くの椅子に座らせる。
「あの子、いつもミーナにべったりだから……。でも、最近は森に近付くなって、ちゃんと言ってたのよ!? ちゃんと言っておいたのに!」
「あたしも強く言い含めたりしなかったから……! あたしが自分から森に入ろうとしてたし、危険があると言われても、本気にしてなかったのかも……」
「……とにかく、助けなきゃいけない――っていうか、すぐにでも異形を退治する理由が、また一つ増えたってことかね」
イルヴィが鼻を鳴らして言うと、母親は今更アキラ達の存在に気付き、目を丸く見開く。
「こちらの方々は……?」
「えぇっと、神の御使い様で……」
「いや、違うから。そういうんじゃないから……」
「えっと、つまり……森で倒れてた父さんを助けてくれたの。怪我も治してくれて……」
「あぁ、どうかお願いです!」
それを聞いた母親は、弾かれたように椅子から降り、膝を付いて深く頭を下げる。
「どうか、うちの子を助けて下さい! まだ何も知らない子どもなんです! どうか……!」
「最初から、うちのアキラはそのつもりだよ! 分かったらどきなよ、さっさと探して、さっさと連れて来てやるからさ!」
スメラータが闊達に言うと、母親は顔を上げて涙を流して祈り始めた。
「あぁ、神様……! 天の御遣いを遣わして下さった慈悲に、感謝いたします……!」
「ダメだ、こりゃ。変な誤解が広まっちゃうよ。アタイらは冒険者! 特級の、ちょっとは名の知れた冒険者なんだからね! 魔物退治なら任せなよ!」
スメラータが堂々宣言して、一人先に飛び出す。
アキラがそれに続くと、他の二人も駆け出した。
そうして、残された二人はというと――。
恐ろしい速度で遠のくアキラ達を見て、やはり神の御使いだと確信を深めた。
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