砂となり、塵となり その7

 レヴィンの胸中には、二つな複雑な思いが混在していた。

 来てくれたのか、という感謝と、淵魔はどうなった、という疑問だ。


 どこまでも溢れて止まらない淵魔を、出鼻で挫いて間引きしてくれていたからこそ、兵たちも何とか対応できる数まで減っていたのだ。

 そして、膨大な数を一度に処理できるのは、ミレイユ達と竜を含めた戦力だけだ。

 それがなければ、あっという間に淵魔の圧力で呑まれてしまうだろう。


「ミレイユ様……!」


 我知らず零れた声は、次いで放たれた魔術の光によって遮られた。

 その一瞬で飛び掛かろうとしていた淵魔は一掃され、赤竜ドーワから放たれるごく弱い息吹ブレスで、他の淵魔も蒸発してしまう。


 余りにも呆気ない結果だった。

 レヴィン達が苦戦した淵魔の物量など、神の前ではその程度のものらしい。


 赤竜ドーワが颶風を巻き起こしながら、石壁の上に降り立ち、その衝撃で壁にヒビが入る。

 それを気にした風もなく、その首を小さく前に突き出すと、ミレイユは滑る様に空を飛んで下りてきた。


 着地点はアルケスのすぐ傍だ。

 流石にレヴィン達も場所を開けずにはいられず、武器を構えたままアルケスとの距離を取った。


 ミレイユがその場に降り立つと、アルケスの身体が激しく波打った。

 これまでの無反応からは、考えられないような動きだ。

 その時、体中から糸の様な触手が飛び出し、ミレイユを突き刺そうとした。


「ミレイユ様……ッ!」


 レヴィンの口から焦った声が発せられたが、ミレイユは一切の動きを見せない。

 無感動な視線がそれを追うだけで、突き刺さるのを待っているかのようでもあった。


 そして、その理由を直後に知る。

 触手は触れる直前で折れ曲がり、一つとしてその身体に突き刺さりはしなかった。


 見ればその身体には薄っすらと魔力の膜が張られていて、その防膜がアルケスの攻撃を防いだのだ。

 そして、これだけ強力な防膜を持つなら、躱す必要を感じなかったのも無理はない。


 ミレイユは無感動な視線を向けたまま、『念動力』を使って落ちていたアルケスの頭を掴み取ると、その身体へと近付けた。

 それぞれの切断面から触手が飛び出し、互いを縫い合わせ、そうして首が元通りに治ってしまう。


「ミ、ミレイユ様……!」


「いいから、黙って見ていろ」


 ミレイユはレヴィン達に目も合わせない。

 ただアルケスを見つめ、その口が開くのを待っている。


「レジ、ス、クラ、ディス……! レジス、クラディスゥゥ……!」


 痩せ細ったアルケス口から、怨嗟の声が漏れ出た。

 どれほど目が落ち窪み、どれほど生気がなかろうと、今だけはその姿を認めるなり、爛々とした狂気が宿っている。


「お前、お前だけはァァァ……ッ!」


「そうまでなっても、怨みは消えないか。それとも、既にお前の意思ではないのか? 『今』は、お前が『核』か」


「簒奪せし卑怯者……! 許さん、決して……! お前の、全てを、奪っ……て……!」


 触手が無数に伸びてミレイユを襲う。

 しかし、数が増えたところで、ミレイユには一つとして刺さりはしない。

 それどころか、腕を一振りするだけで、触手は千々として細切れになり、空中で霧散して消えた。


「……アルケス、お前にまだ自分の心が残っているなら、我が声に応えろ」


「許さん、決して……! お前だけは……!」


「……無駄か」


 ミレイユは嘆息と共に背を向ける。

 そうして肩越しに振り返り、アルケスの――その奥に潜む悪意に向けて言い放った。


「どこまでがアルケスの意思だったか、こうなっては分からない。だが、お前の関与が大なのは、もう分かった」


 そう言ってから、更に瞳と言葉の圧力を強くして、更に叩き付ける。


「覚悟しておけ、必ずお前を引き摺り出してやる……!」


「無理だ、もう遅い。もう、壁を越えた……!」


「何……?」


 聞き捨てならない台詞に、ミレイユは改めて身体をアルケスへ向けた。

 そして、同じく聞き捨てならないと感じたのは、それはレヴィンも同じだった。


 あの時アルケスは、『壁』から出た、と口にした。

 状況的に、それはアイナが作った石壁を指していたのかと思っていたが、もし……それが違う意味だとしたら……。


 そうではなく、最終障壁を指すのだとしたら……。

 目も当てられない事に、なりはしないか。


 ミレイユは念動力を使ってアルケスを掴み上げ、鋭い視線も怒りさえ交えて詰問する。


「封鎖は完全だった筈だ。南側も淵魔全てを討滅した、と報告を受けている。逃した筈がない。――どういう意味だ?」


「く、く、く……。訊けば答えると、思うたか? 後悔に呑まれて果てろ、簒奪者め……!」


 アルケスの痩せ細った顔が、醜悪な笑みを形作った。

 最早、抵抗する力は残っていないのは明らかでも、その醜悪な心までは、些かの衰えもない。


 ミレイユの――あるいは、この地に住まう汎ゆる命に対しての怨嗟。

 それが根底にある故に、そこから生まれる復讐心も衰えないのかもしれなかった。


 ミレイユはアルケスの上半身を宙吊りにしたまま、顔を背後に向けて声を掛ける。


「――ドーワ! ルチアを呼べ!」


「構わないが……、あの娘一人で良いのかい?」


「あぁ、今はそれで良い」


 ドーワは鼻の頭を僅かに上下させて目を瞑る。

 そうすると、僅かな時間を置いて、竜の背に乗ったルチアが結界を割いて現れた。


 その裂け目が開いたのも一瞬の事で、彼女らが通過したのと同時に閉じてしまう。

 竜はミレイユの上空近くへと舞い降りると、ルチアだけ落として旋回し、ドーワの近くへ着地した。


 竜から落下したルチアは、軽やかな着地を見せて、ミレイユの傍へと寄る。

 緊張した面持ちは、アルケスを前にしているからとも取れたが、それより無惨な姿を哀れに思ったからかもしれない。


「……お待たせしました。どういったご用向きで?」


「試してみたい事がある。『鍵』は持ってるか」


「えぇ、変わらずしっかり、お預かりしてますけれど……」


 そう言って、ルチアは懐――実際には個人空間――から、一つの神器を取り出した。


「使うんですか? どういう意図か、お訊きしても?」


「やってみなくちゃ分からないし、確証がないどころか、賭けの部類なんだが……」


 そう前置きして、ミレイユは抵抗を一つも見せない、アルケスを睨んだ。


「コイツはアルケスには違いないが、最早意識が違う。侵食されている、と見た方が良いんだと思う」


「そうですね。なんだかとっても、になっているみたいですし」


「そうだが……それだけじゃなく、今はコイツが『核』だ。単なる精神異常、と見るには余りに『奴』の思考が混じり過ぎてる。アルケスは……」


 そこまで言って、一度ミレイユは言葉を切る。

 それから憤懣やる方ない息を吐き、それから続けた。


「アルケスは、自分の意思で行動しているつもりで、実はその多くを誘導されていたんじゃないのか。……それを確かめたい」


「……出来るんですか、それを『鍵』で?」


「賭けだと言ったろう。まず、コイツの『扉』に、強制的に干渉する。上手くやれば、取り出してやることが出来るかもしれない」


「取り出す……。『核』を、ですか?」


 ミレイユは首肯しながらアルケスを――アルケスの奥に潜む、悪意に向けて睨み付ける。


「もしかしたら、という期待でしかないが、試す価値はある」


「取り出した所で話さないでしょうし、滅したところで、別の淵魔に『核』が移るだけ、とも思いますが……。でも、どうぞ」


 ルチアが掌を向けて、その上に乗った『鍵』を手渡す。

 この時になって、アルケスは拘束から逃れようと藻掻いた。


 しかし、ミレイユの念動力は強力で、僅かに身動きすることし出来ていなかった。

 これはミレイユの魔力が膨大なだけでなく、アルケスがそこまで弱体化しているからこそ、起きている事でもある。


 ミレイユはその『鍵』を胸元に突き刺し、手首を捻る。

 ガチリ、と錆び付いた錠前を、無理に開いた音がすると、次いでアルケスの身体に変化が起こった。


「う、お、ぐぉ……!」


 身悶えが激しくなり、アルケスの身体が黒く染まる。

 全身にそれが行き渡ると、顔の判別すら付かなるほど、黒泥に呑み込まれた。


「ミレイさん、何をしたんです? 一体なにを開いたんですか?」


「開いたんじゃない、閉じたんだ。アルケスの心を閉じてみた。繋がりを強制的に遮断されたら『核』がどう出るか、それを期待しての事だったが……」


「どうやら、剥離させることが可能な様ですね」


 ルチアがそう判断したように、まるで侵食した淵魔が、体内から排出されているように見える。

 内側から吐き出され、しかし離れる事もしない結果、表面を黒泥で覆うことになっている。


 ミレイユはそれを、念動力で巻き上げ、強制的に引き剥がした。

 意思を持って動く黒泥は、スライムの様な軟体生物にも見えるが、同時に血管の様な筋が無数に入っている。


「――ルチア、結界だ」


 その言葉を聞き終える前に、ルチアは制御を完了させ、黒泥を小さな結界内に閉じ込めた。

 手の中にすっぽりと収まる大きさで、そのサイズまで縮小された黒泥は、身動き一つさせて貰えない。


 遠目には只の四角い箱にしか見えず、そして血管に似た筋が鼓動の様に明滅していた。

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