神刀奪還 その8
結希乃に着弾したと思われた砲弾だが、その直後、鋭い金属音と共に反射した。
逸れた砲弾は草原へ着弾し、轟音と共に炸裂。砂粒を舞い上がらせ、パラパラと乾いた音を地面に落とす。
「砲弾ごときにやられてたら、阿由葉の名が泣くわ」
刀を一閃、振り抜いた格好で、結希乃は呟く様にそう言った。
その神刀の切っ先から、紫電が弾けて刀身を覆っている。
結希乃は神刀を鞘に収めると、地を蹴って走り出す。
戦車は今も道路を逆走中で、避けきれず、衝突してしまう一般車があった。
クラクションが幾重にも鳴り響き、急停車したり、無理に車線変更して事故を起こしたりと、更に混乱は増えている。
交通渋滞を引き起こし、車を捨てて逃げ出す者までいた。
そして、アシャーの乗る戦車は、それら一般車を踏み潰して前進している。
「外道が……ッ!」
結希乃が悪態つきながら、戦車と距離を縮めようとした間にも、第二射が放たれた。
今度はそれを横っ飛びに躱して、背後で爆発させる。
そこに人がいないのは、既に承知済みだ。
何しろ、そこにはアシャー自身が踏み潰した車両しかない。
更に一歩大きく踏み出し、距離を詰めようとしていると、横合いから部下達が合流した。
全員を代表して、千歳が口を開く。
「結希乃様、ご無事ですか!」
「問題なくてよ。――それより、戦車を止める」
「破壊しても宜しいですか!」
「恨まれそうだけど、それも視野に入れましょう。でも、まずは止められないか試すわ。履帯を氷結させて」
「了解です!」
返事と共に、部下達は三々五々、散っていく。
結希乃は囮のため、その場に残った。
砲塔は常に結希乃を狙い定めており、左に動けば常に後を追ってくる。
千歳は指示通り、理力を制御するなり、履帯を凍らせようとした。
しかし、凍り付く端から履帯の回転で砕かれていく。
「前に出て押し留めろ!」
左右から戦車を追っていた部下達が、その声を聞くなり前方へ躍り出る。
それで両手を前へ突き出し、前進を止めようとした。
しかし、それが上手くいかない。
食い止めようとしている部下達は、その両足をアスファルトにめり込ませ、止めようとしている。
アスファルトが陥没し、その下の地面も見える程なのに、その奮闘虚しく、足の数だけ道路に線を引くだけで終わっていた。
少しはその動きを緩められたものの、その前進力に物を言わせて強行してくる。
高重量の車体であることに加えて、馬力も桁違いに強い。
部下達の踏ん張る声は結希乃にまで届く程なのに、その前進をほんの少し緩ませる事しか出来ていなかった。
加えて、道路には起き捨てられた車もあるのだ。
時として、それを躱しながら抑える必要もあり、常に全力で注力も難しい。
そうとなれば、方針の転換を考えなくてはならなかった。
「作戦変更、無力化を優先!」
結希乃が指示を飛ばすのと同時、部下達の理力制御にも変化が生じる。
それぞれが手に武器を持ち、戦車の装甲を斬り付け、あるいは履帯に攻勢理術を撃ち込む。
強固な戦車はそれぐらいで簡単に傷など付かないが、大いに動揺させる事には成功したようだ。
砲塔を結希乃だけに絞ってもいられなくなったが、どちらにしても距離が近すぎる。
人間が格闘戦を仕掛けてくるとは、基本的に想定しておらず、轢き殺そうと蛇行して見せても、余りに身軽な動作で躱してしまう。
その間にも、部下達は様々な理術を用い、その走行を妨害しようとしていた。
アシャーとしても、歯痒い思いだろう。
砲塔が正面を向き、ごく直近へ向かって砲撃される。
爆炎と砕かれたアスファルトが襲ってきて、部下達にも少なからず被害が出た。
しかし、その程度で理術士はへこたれたりしない。
「――フッ!」
部下達が変わらず攻撃を加えている所へ、結希乃は素早く接近して、車体を蹴り登ると、その砲塔を斬り飛ばした。
鋭利な切り口を残し、砲塔は後方へ跳ねて跳んでは転がって行く。
次に結希乃は車体を蹴りつけ打擲し、履帯めがけて斬撃を振り下ろした。
部下達の理術で幾度も爆撃され、燻り始めた履帯は、その一太刀で分断される。
それで推進力とバランスを失った戦車は、急速に旋回を始め、アスファルトを傷付けながら大きくUの字を描いて止まった。
一瞬の沈黙が、辺りに落ちる。
だがその直後、周囲には悲鳴や怒号、クラクションなどが戻って来て、騒音が堪えず鳴り響く。
平和な高速道路が、一瞬にして地獄になったのだ。
砲撃した事、逆走し始めたこと、人の命を何とも思っていないテロリストが起こした人災だった。
「馬鹿な真似を――ッ!」
結希乃が戦車を駆け上がり、上部ハッチに辿り着くのと、そこが開いてアシャーが頭を出すのは、ほぼ同時だった。
その時になっても尚、アシャーの顔からは笑みが崩れていない。
両手を上に挙げて、不敵に見上げてくる男を、結希乃は侮蔑を込めて睨みつける。
「いや、流石に参った。まさか、ここまでやれる人間がいるなど――」
そして、何かを言いかける前に、その側頭部に刀柄で殴り飛ばし昏倒させた。
脱力し、崩れ落ちてしまう前に襟首を掴み、外へ取り出し投げつける。
そこには部下が待機していて、地面に落とす事なく受け止めた。
アシャーの部下二名も次々と投降して来て、やはり何か物言う前に、結希乃によって気絶させられる。
同様の手順で部下達に拘束させると、結希乃はようやく大きな溜め息をついた。
しかし、安堵ばかりもしていられない。
「ひどい有り様……」
戦車の上部に足を乗せ、破壊の爪痕を見据えながら呟く。
被害がどれ程に登ったのかなど、今は考えない方が良さそうだった。
結希乃は視線を下に向けて、部下達へ高らかに宣言した。
「作戦終了。帰投する。本庁と当局にも連絡して。アシャーを引き渡すけど、その前に神刀の在り処を吐かせるわ」
※※※
全ての事後処理を終えるには、まだ多く時間が必要なものの、まずは報告を、と結希乃はペントハウスへ戻っていた。
新たなセーフハウスとして用意されたものの筈だが、最初にミレイユと対面して以来、顔を出していない。
それは他の部下達も同様で、自由に過ごして良いと許しは得ていたものの、神と同じ屋根で過ごせるはずもなかった。
何より恐れ多く、緊張ばかりで休まる暇もない。
だから結局、共に過ごす時間など全くなく、捜査であったり、護送任務の内容を細部に渡って詰めたり仕事に従事していた。
この三日は作戦の段取りを付けたり、その為の準備をしたりと、休める時間もなかったので、あまり関係なかったかもしれない。
結希乃は今は一人、ミレイユの対面で、ソファのない床に平伏していた。
ただ、神の一柱を前にして、いつもと違う雰囲気に困惑するものがある。
カジュアルな格好で身を包んでいるのも、異国の地で目立たぬよう、という配慮からだと考える事はできた。
しかし、頭の上に乗る、星型のサングラスについては、如何ともし難かった。
それは余りに、神の威厳と懸け離れ、また神威を貶めるようにも思ってしまう。
浮かれている……。
神ともあろうものが、と結希乃が口にしなかったのは、遠慮からではない。
一重に、上機嫌な所へ水を差したくなかったからと、神刀奪還に際し多大な被害を出してしまった、その後ろめたさからだった。
結希乃は出掛かった言葉を一度、喉奥まで押しやり、それから事の報告を開始した。
「――以上が、神刀奪還についての報告になります。現在、アシャーから取り戻した神刀は我らが預かっており、我らが責任を持って本庁へ持ち帰る予定です」
「うむ、ご苦労であった」
「また、アシャーの取引相手についてです。英国政府と繋がりがあったようですね。あの様な目立つ戦車で逃走は無理だろうと思っておりましたが、どうやら軍に捕まるところまでが目的だったようです。そこで何かしら、取引が行われる予定だったのでしょう」
「本庁との協力要請は、結ばれていた筈であったが……」
「紅茶狂いのジョン・ブルらしい事です。捕縛する手助けをする体で、しっかりとアシャーにベットしていた、といったところです。退役後の経歴も、果たしてどこまで信じたものか……。実は軍から離れた特殊工作員だとしても、驚くには値しません」
ミレイユは眉根を顰めて不快そうにしたが、何かを口にする事はしなかった。
「どうなさいますか。洗えば色々と、出て来るものもあると存じます。英国は白を切るでしょうが、釘を刺す必要はあります」
「その事はまた別に……。私は万が一の控えとして来ただけだ。それ以上の裁量は持ち合わせていない」
「ハッ、失礼いたしました」
「……それに、残って待機はしていたものの、どうやらその必要もなかったようだしな」
ミレイユは小さく悩まし気な息を吐く。
どうも、何かを不満に感じている様子だった。
「滅相もございません。御子神様に見守られていると思えばこそ、その御神徳により奪還叶ったようなものです。部下達一同、感謝しております」
「そうか……。うむ、大過なくして、とは行かなかったようだが、それに気を病む必要はない。最善を尽くした結果と、信頼している」
「ハッ……! 有り難きお言葉!」
結希乃が更に低頭して、感謝を言祝ぐ。
ミレイユはそれを見据えつつ、しかし返礼もなく、何処か上の空だった。
「しかし、三日か……。たった三日で解決とは……」
部屋の中に、得も言われぬ沈黙が続く。
報告も終わり、儀礼も一通り終わったと言える。
この先、他に何かあるのか。
それとも、何か失礼をしてしまったか。
叱責が下るのか、と戦々恐々としていると、脇に控えていたユミルが軽い口調で言ってきた。
「あぁ、大丈夫よ。無事奪還は完了、事後処理はこれから。色々と面倒があるのでしょう?」
「はっ、書類仕事も多く、時間が掛かる見通しです。帰国には、今しばらく時間が掛かります」
「うむ、そうか――!」
嬉しそうなミレイユの声とは裏腹に、ユミルからは薄い笑みと共に、その言葉を遮ってきた。
「まぁ、こちらはあくまで後詰の援護が任務だったしさ。その書類仕事が終わるまで、お付き合いする必要はないんでしょ?」
「それは、勿論です。全ての些事は、こちらで片付けるべきこと。御子神様の御支援につきましては、問題なく終えたという認識でおります」
「あら、そう……! じゃあ、終わったんなら帰らないと。そうでしょ?」
「う、うん……? そうか? もうしばらく、滞在しても良かろうと思う。今日、新たに手に入れたパンフレットによると、見るべきポイントはまだ沢山あって……! キングストリートで買い物も、と……!」
「――いいから。帰るの」
ユミルの笑顔は変わらないが、そこには有無を言わさぬ迫力がある。
助けを求めるように、アヴェリンへと顔を向けるも、こちらからは微苦笑が返ってくるだけで、フォローはなかった。
「う、うむ……。そうさな、良い休息となったのは確か。あまり長居しては、帰りづらくなってしまう」
「待たせてるあのコにも、限界ってモノがあるでしょうしね」
結希乃は一瞬、脳裏に疑問が過ぎる。
どうにも、会話に微妙な齟齬がある気がした。
しかし、それを結希乃の立場から口にできる筈もない。
それで成り行きに任せていたところ、ミレイユは観念した様に息を吐いた。
「仕方のない……。では、早速帰る準備をしよう」
「航空機の手配ならば、こちらで行っておきますが……」
結希乃が不躾にならない程度に提案すると、これには小さな返事で肯定があった。
「うむ、そうしてくれ。無理して取らせた外交官の身分だ。大使館にも連絡と、一度顔見せ程度はしておかねば。……咲桜、先触れを」
「畏まりました」
女官が一礼すると、部屋の奥へと消えていく。
まず先に、電話で一報を入れに行ったのだろう。
それを見送ってしばらくするなり、ミレイユ達もソファから立ち上がる。
「では、結希乃。大儀であった」
「ハッ! オミカゲ様におかれましても――」
反射的に声を返して、ハッとする。
結希乃にとって聞き慣れた言葉に、つい言葉が突いて出てしまったが、そこにいるのはオミカゲ様ではない。
御子神様のはずだった。
顔を上げ、間違いの訂正と謝罪をしようとするも、それより前に別室へと移っていて、後ろ姿が見えなくなる所だった。
それに続いてアヴェリンが入り、そしてユミルが悪戯めいた笑みを向けて続いていく。
オミカゲ様と御子神様は、双子神と言われても納得できてしまうほど、よく似た親子神ではある。
しかし、咄嗟の事とはいえ、最も敬愛し、尊崇奉る神と混同してしまった事実と、自らの不明に困惑してしまった。
後には、狐につままれた気持ちで固まる、結希乃だけが残された。
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