第241話 ヌエバ・エスパーニャ侵攻・前編

 東和州(カリフォルニア州)の人口は10万人近くにまで膨れ上がっていた。当初、金採掘ありきであったが、第2陣以降は農民や漁民も割合的に多い。温暖な気候、多数の河川による水利、広大な大地は開拓民たちを歓喜させた。


 龍門(サンフランシスコ)や咲良(サクラメント)には町が出来て日本と同様の暮らしを送れる。三輪川(サンワーキン川。当初“さんわ”だったが“みわ”に改められた)が流れるサンホアキンデルタ地帯(泥炭も豊富)は春頃からシェラネバダ山脈の雪が溶けるなどして水量はは増え、やがて氾濫してしまう。

 

 氾濫しない場所に灌漑池や用水路を作り、水田が拓かれた。さらに、氾濫する場所であってもバンコクから来た者たちが浮稲栽培を指導している。この他にも小麦、とうもろこし、じゃが芋、薩摩芋などが栽培(何れも改良された品種)され、急速に自給体制は整いつつあった。


 浮稲栽培は春の雪解け前に耕起して播種する。その後は水位の上昇に任せ、水稲栽培で面倒な雑草の除去も無縁だ。刈り取りは小舟で行う。この方式なら水稲と浮稲の両方を栽培したり、浮稲と他の栽培や仕事の掛け持ちも可能となる。


 田植え、播種、借り入れ、掛け干し、脱穀の時だけ、金採掘夫や畑作専門農家などの援軍があれば広大な農地でも運営可能だ。逆にいえば農民も野良仕事の無い時は金採掘へ駆り出される。


 現住民に対しては北海道、沿海州、台湾、呂宋などと同様の対応がなされており、とうもろこし、じゃが芋、薩摩芋、豚、鶏、農機具の供与と技術指導も行われた。配球手形のような物を与え、戸籍管理の下、東和府(長官は増田長盛)の行政機構に組み込まれている。


 そうはいっても信仰の強要、献納、課税、賦役などは行われず、ほぼほぼ自由だ。幕府が開拓を行ってきた多くの地域同様、日本よりもたらされる酒、米、麦、煙草、金属製品などの魅力には抗しきれない。


 従来の生活様式を捨て、金採掘や日本人移民開拓団による農地の開墾へ参加する者さえ続出している。東和州はあくまで金採掘と食料生産中心だ。新亜(北米地域)の本格的な開拓はミシシッピー川沿いのコットンベルトやコーンベルト、さらにはカリブ海地域へ展開してからである。


 史実通り、綿花、煙草、珈琲、砂糖などの欧州向けプランテーションを作り上げ、向こう300年くらい欧州から徹底的に毟り取ってしまうためだ。今のところ、全てが順調に進んでいる。


 そして、西暦1594年になって日本より新規の移民団が来るや幕府の大艦隊はおよそ3万の兵で南下した。長谷川秀一、仙石秀久、戸田勝隆(丹羽家の家老戸田勝成の兄)、堀尾吉晴、北条直重(他界した北条氏照の養子。実父は北条氏政)、佐竹義宣(佐竹家は改易されたが義重の子義宣は織田家の直臣に取り立てられた)、菅谷範政(元小田家家臣)、太田資武(資正の家督相続者)、宇喜多秀家などが参加している。


 フィリピンとのガレオン貿易で潤うアカプルコは日本を経由して来るはずの商船が現れず遭難の可能性が吟味されていた。アカプルコでは沖合を観測していた者がいち早く異変に気付く。

 

「おい、水平線の向こうに船が見えるぞ」


「マニラからの船が来たようだな。心配させやがって。どうせ、台湾や日本で遊びまくってんたんだろうよ。なんせ女は選り取り見取りで食い物や酒も極上らしい」


「俺も行ってみたいもんだな……お、おい違うぞ!」


「そんな驚いてどうしたい。カワイコちゃんが裸で手振ってるのか」


「ふざけてる場合じゃない。お前も覗いてみろよ。物凄い数の船だ」


「早くいいやがれ。なんだ、あれは……。イングレス(イングランド)の私掠船か?」 


「馬鹿いうな。どこにあんな数の私掠船が居るってんだ」


「じゃ、イングレスの艦隊って事か?」


「わからん。しかし、大事には違いない。至急、上に知らせろ」


 アカプルコは兵士が集められ厳戒態勢となった。しかし、次第に増えて行く艦船を考えれば焼け石に水なのは明らかだ。数隻の軍船が出港の準備を整えている間にも小舟が周辺へ次々と上陸する。砂浜で待ち構えていた兵士は圧倒的な数の船から次々と射撃され撤退する他ない。


 数隻の船は出港したが、まもなく小舟に取りつかれ、兵の侵入を許すと、白兵戦となった。雲霞の如く押し寄せる兵に為すすべもない。こうして奮戦も虚しく全ての船が拿捕された。


 一方、要塞も無数の日本兵に包囲され、激しい銃撃を受けるも大砲で反撃する。しかし、散開している相手には当たらず文字取り無駄撃ちとなっていた。そうこする内に要塞の死角となる場所からカロネード砲が撃ち込まれる。


 アカプルコといえばサンディエゴ要塞が有名だ。しかし、海賊の被害が増えた17世紀以降に建築されており、この時代ではまだ然程堅固ではない。


 大砲が一門づつ確実に破壊されると、組み立てた梯子で日本兵が登る。攻城戦で城壁越えの一番乗りとなれば大手柄のため、兵士も必死だ。一番乗りした、戸田勝隆の家臣が大声で名乗りを上げている。


 その後も二番乗り、三番乗りと続き、やがて城壁の上は日本兵で埋め尽くされた。城門が内側より開けられると、要塞司令官は降伏を申し出る。要塞の外で日本人兵士たちは幸田広之が現代より持ち帰ったアステカ神が描かかれた旗をかざしていた。


 これに狂喜乱舞した原住民は興奮状態となり次々とイスパニア人を捕まえては殺戮する。事前の取り決めにより日本語でイスパニア人を指差し、ヤメロといっている。


 無論、言葉の意味がわかるはずもなく指を差した事により勘違いした原住民たちは命令されたと思う他ない。言葉の通じないための食い違いで処理するためだ。


 しばらくした後、メキシコシティへの行き方を知っている原住民も見つけ出し、ヌエバ・エスパーニャ副王領の首都へ向かうための評定が行われた。





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