第110話 お初の晩酌
幸田広之の屋敷で欠かせない奉公人といえば仲居役頭のお初である。現在22歳(数え)だが幸田家で働く女性の例に漏れず結婚はしていない。
さらに妹のお菊も幸田家の女中となり、現在仙千代を出産した末の室女中を務めている。
姉妹の父親は松永久秀の家臣であったが、信貴山城を攻められた際、亡くなったという。
お初の本来すべき仕事は広之の世話係だが、どういうわけか手先の良さと物覚えの早さから、晩酌を作ったりするうち、ほぼ料理人となってしまった。
それでも仲居なので、女中たちと料理人や小者などの仲介役をこなしている。
広之や五徳たちの食べたいものを聞いてから食材の手配をしたり、献立を自由に決める時はお初と哲普の両者が考えていた。
食材の管理、厨房の清掃、食器や調理器具の洗浄もお初が目を光らせており、万全だ。
洗い物は灰汁、灰を配合した食器や布巾用洗剤(石鹸から香料成分を抜いたもの)を使い、酢を使うこともあった。食器は最終的に煮沸する。
刺し身や豚を調理することも増えたため、衛生管理は格段に厳しくなっており、金万福は当初、お初から散々怒られた。
今でも金万福が生の豚を扱う時、お初が監視している。蒸し豚や揚げ豚も出す前必ず火が通っているか確認しており、切ったものは後で賄いとなっていた。
現在、側室となっている末はお初と同年代であり、女中の時から仲が良かったため、末も何かと食べ物、衛生、栄養など詳しい。
そのような関係から、五徳が末のお付を外から召し抱えることを検討した際、お初が広之の茶荘で働いているお菊を推挙。
五徳や浅井三姉妹も利用する店であり、面識があったため、即決となった。
日頃から身分の高い客層を相手にしているため、物怖じせず動きも機敏だ。飲み込みも早く直ぐに戦力となった。
さて、お初だが特権的にあらゆる食材を毒見(味見です)がてら食べれるという立場上、鉄普と並ぶほど舌は肥えている。
そんなお初が明日は非番ということもあり、今日は夜遅くまで酒を飲もうと心なしか動きも軽やかだ。
朝はイカナゴの釘煮と大根の味噌汁、昼は蕎麦、夕は塩鰤と粕汁。ただ、お初の場合、夕飯は晩酌を考え粕汁を少しだけ抜いている。
この時期になると春も近く若狭から鮭も入ってこない。寒鯖と鰤もそろそろ終わりとなり、若狭からの俵物は秋までお預けとなる。
人間、無いとなれば欲しくなるのが常。この時期、去りゆく塩鯖や塩鰤を惜しむかのように食卓の中心となるのであった。
ただ淡路島から鰤は暑くなるまでの間入ってくる。こちらはもっぱら刺し身、鰤しゃぶ、煮物、照り焼きとなり、塩焼きにはしない。焼くならやはり若狭の塩鰤だ。
淡路島産の真鯖も入ってくるが焼く事はほぼない。味噌煮、竜田揚げ、天ぷらなどにする。ゴマサバ、鰯、鯵、真鯛、イトヨリ鯛、サゴシ(サワラの子供)、カサゴなどは通年入ってくるため有り難みと季節感に乏しい。
お初が楽しみにしてるのは、新鮮な鯵が入ったときだ。台所働きしておる者は鯵のなめろうにして食べる。鮮度勝負なので、3枚にしたあと粘りが出るまで叩く。
鯵のなめろうを熱々のご飯で食べるのは格別にも程がある。叩きもうまいが、ご飯に合うのはなめろうだ。無論、酒にも合うが当然日中は厳しい。
夕ご飯が済み、宿直する者や夜遅くまで起きている者への夜食、そして広之の晩酌を作りつつ、お初は自身の晩酌用に肴を用意し始めた。
水で戻した切り干し大根を煮たり、もやしを茹でる。さらに牛蒡を笹掻きにしたり、水切りした豆腐を切るなど、手際よく仕込む。
そして仕事を早めに切り上げ、風呂に入る。風呂から上がると末や妹のお菊もお初の部屋へ遊びにきた。
仙千代の世話は養子にすることが確定している幸田孝之のところから送られてきた者たちがしており、2人とも子育てに追われているわけではない。
ほどなくして哲普が酒と料理を運ぶ。今回の晩酌は油揚げ、豆腐の卵とじ鍋、豆腐の味噌漬け、切り干し大根、もやしのナムルである。
油揚げは栃尾揚げのように肉厚だ。切り込みを入れ、練った味噌を塗り、大量の難波葱を胡麻油で和えてからのせた。
豆腐の卵とじ鍋は鰹節と昆布で出汁を取り、醤油、味醂、日本酒を加える。そこへ豆腐、冬せり、笹掻き牛蒡、難波葱などを入れ、卵でとじた。
3人は鍋を食べつつ、油揚げに手を出す。味噌には大量の煎った鰹節が入っており、葱とあいまって口の中で踊りだすようだ。
豆腐の味噌漬けも酒の肴として申し分なく、酒が進まないわけがない。
3人はたわいもない話をしつつ、ゆっくり酒を楽しむのであった。
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