第111話 幸田家、有馬温泉へ行く
春の足音が聞こえる頃、幸田広之は家族を引き連れ有馬温泉へ行くことにした。エドゥンが間もなく帰国するが、2度と上方へ来れるかわからない。それならば1度日本の温泉を味わって欲しかったからだ。
福(春日局)の養子縁組で縁の出来た三条西公国や仲介者である近衛前久も招待。しかし話が大きくなり、公国の義兄弟西園寺実益や師(公国の)である細川藤孝(幽斎)、後陽成天皇の母である勧修寺晴子(前久の娘が後陽成天皇の女御となっている)も同行する事になった。
淡路島で浜焼きをした時と同じような形である。今回も家中を総動員して準備に追われた。織田幕府において広之の果たす役割は大きい上、織田信長の娘である五徳の存在などもあっての事だ。
誰が見ても天下をあらゆる面から動かしているのはり広之であり、将軍家の家老という範疇には収まらない。文化面での功績や商人としても上方有数。公家でさえも一目置かざる得ない地位を確立していた。
今回、前久たちは淀川を舟で下り、広之たちと合流後、陸路で有馬温泉を目指した。現代でいえば神戸市北区であるが、近辺には摂津源氏の本拠地であった多田荘もある。
多田といえば銀や銅を産出することでも知られているが、本格的に採掘されるのは江戸時代の寛文年間からだ。つまり約70年後。しかし現在すでに南蛮吹により最盛期となっていた。
多田は重要な土地であったわけだが、明智光秀は若い時、諸国を流浪した際、立ち寄ったという。 時は流れ、光秀は母と娘の佐保姫を住まわせた(佐保姫は実在が疑わしく、これらは伝説の類だが、本作品では採用)。
そして当地に近い波多野秀治の息子貞行と佐保姫は将来結婚する約束が交わされたが、織田と波多野は敵対。主君織田信長から丹波攻略を託された光秀は八上城(波多野氏の居城)を攻め落とす。佐保姫はその後、多田荘を流れる猪名川へ身を沈めた。
広之の家臣で怪談話の名手として家中を恐怖に陥れている猪名川はこの近辺の出身だ。元は波多野氏へ仕えていたが、滅亡後光秀の家臣となり、さらにその後広之の家臣となっている。
その際、本来の名を憚り(本名は後に明かされます)、故郷にちなみ猪名川と称していた。猪名川が知らない世界へ興味を持つようになったのは波多野氏や明智氏の悲惨な最期を見届けたことも少なからず影響している。
人間の諸行無常を怪談として世に伝えたい……。猪名川としては浮かばれない霊に対する供養のつもりであった。しかし猪名川は真面目であるが、元来空気を読めない
また不思議な能力も秘めており、見えてはいけないものが見えてしまうことがある。そんな猪名川だが、明智家臣だった経歴もあり、福の世話役を命じられていた。猪名川にすればかつての上司の令嬢である。
そのような関係で今回猪名川も同行。道中怖い話で福を怖がらせるのだった。程なくして有馬温泉へ到着。古くから草津温泉や下呂温泉と並び日本の3大名泉として知られている。
金泉と銀泉からなり、金泉は空気に触れて着色する含鉄塩化物泉(赤湯)であった。
広之が監修した幕府の御用宿があり、金泉、銀泉、薬湯、足湯、蒸し風呂、ドライサウナ、岩盤浴など揃っている。そのため織田家重臣、大名、公家などが湯治を楽しんでいた。
普通の人々も楽しめる湯や宿もあり、年中賑わっている。広之たちは早速男女別に湯へ入った。エドゥンは初めてとなる温泉や前久に戸惑いつつも堪能。
広之は関東へ行った際、前久の誘いで一緒に草津温泉を楽しんだ事がある。その時、広之は前久へ温泉の入り方を手ほどきした。
それ以来、前久は公家たちへ受け売りで伝授。しかし今日は本家本元が居るため、幾分か大人しい。風呂から上がると皆マッサージを受ける。
食事は酒中心となったが、鍋や天ぷらを楽しむのであった。一行は3泊して、それぞれ帰途に着いたのである。
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