第295話 胡服美女康蘭玲②

 幸田広之は尾張堀(道頓堀)の芝居小屋で胡舞踊を見た数日後、座頭の康蘭玲カン・ランレイが経営しているという茶荘へ行く事にした。


 舟の手配をして尾張堀で降り、御堂筋の西側にあるというへ店へ向かう。しかし、向こうから見覚えのある顔が……。イルハ、ナムダリ、アブタイの女直三人組だ。少し気まずいが某スナイパー並のポーカーフェイスで動揺を表に出さない。

 

「これは左衛門様、何か御用でございますか」


「イルハよ、そなたたちは何をしている」


「はい、北河国とウラ国の公使館は3時で閉めましたゆえ、申の刻茶でも飲もうか、と」


 今年になってから昼夜12時間づつの定時法となり、季節によって時刻が変わる不定時法は公式には廃止された。


「そうであったか。儂もこのあたりにあるという茶荘を訪ねるとこじゃ。一緒に行かぬか」


「お供いたします」


 ついつい誘ってしまった広之である。こうなれば、とにかく堂々と振る舞う他ない。それらしい店を見つけ、康蘭玲が居らぬか聞く。程なく、奥より派手に着飾った康蘭玲が現れた。それを見たイルハとアブタイが引きつっている。


「如何いたした。知り合いか」


「はっ、以前御堂筋を私とアブタイ殿で歩いていたところ、そちらの明国人に話し掛けられまして……」


「道に迷っておったのか」


「いえ、一座で踊らぬか、と」


 胡服を着てたのでスカウトされたのであった。イルハはまだ子供っぽいが、アブタイの方はそうとうの美人である。思わず声を掛けてしまったのであろう。


「蘭玲よ、こちらは女直の姫たちじゃ。相手が悪かったな」


「これは大変失礼な事を……。申し訳ございませぬ。おふたりとも、あまりに美しかったもので」


 それとなく、おだてる蘭玲であった。


「まあ良い。案内いたせ」


 案内された部屋は、まさに歴史の教科書に出てくるアレであった。清朝時代の少し上等な阿片窟風だ。胡服を着た給仕が控えており、コンカフェに似ている。


 この後、店が閉店となり、広之たちは哲普経営の焼鳥店へ移動した。尾張堀(道頓堀)の北側にある清洲町(宗右衛門町)という好立地で、哲心の弟子が店を切り盛りしている。


 広之が入った瞬間、仲居は腰を90度どころか180度くらいに折り曲げた。当然の如く、奥の個室へ案内される。店内や店外は近習が固め、警護していた。


「して、その方は何故大坂へ渡ってまいったのだ」


「私は山西省蒲州永楽の生まれで……」


「ほぉ、楊貴妃の父と同じ郷里じゃな」


「旦那、よくご存知で。私の家は元々裕福だったけど、父の小さい頃、蒙古が攻めて来たのさ。以来、没落して父は各地を渡り歩き、やがてウイグル族の母と一緒になったけど早死してしまったよ。妹の体が弱く、医者に診てもらうため私は15の時、商人のところへ奉公しに行ってね。後は聞かないでおくれ」


「身の上は人それぞれじゃ。しかし、よう船に乗れたな」


「そりゃ、大変だったさ。とくに私みたいな独り身は……。結構、袖の下使って、役人(明国)の娘という事にしてもらい、日本の舞踊を学ぶためということで朱印が貰えてね」


「そなたの郷里から北京でさえ遠いはず。日本の事は何処で知ったのじゃ」


「山西省で日本の軍勢を見たけど、話に聞いていた倭寇とは違い過ぎるしね。まあ、色々思うところあって来たというわけさ」


「日本の言葉は達者じゃが来て何年になる」


「もう少しで2年ってところさ」


 そこへ、焼鳥が運ばれてきた。むね肉、もも肉、ふりそで、手羽、ささみ、軟骨、つくね、豚ばら肉が並ぶ。他にも鶏のもつ煮、ポテトサラダ、枝豆など色々ある。


「旦那、私も焼鳥は好きなんだよ。それに日本の酒はどれもうまい」


 そういうや蘭玲は枝豆をつまんだ。


「そなたの胡舞踊はなかなかに面白い。ところで戯文(中国の戯曲形式による古典演劇)や南戯(南方系の南曲を用いる戯文)は知っておろうな」


「知ってるよ。しかし、旦那よくそんなもの知ってるねぇ」


「これ、そなたは町人ではないか。先程から聞いておれば大納言様を旦那呼ばわりとは」


「アブタイ、そう怒るな。公の場ではない」


「はっ、出過ぎた真似を……」


「ところで、戯文がどうかしたのかい」


「おなごの演者で劇、舞、歌などを織り交ぜては如何じゃ」 


「それは、私も少し考えていたんだよ。やってもいいのかい」


「儂が良いといえば、それまでじゃ。そなたが案じてるのは、お国では昔から国や役人への風刺が御政道を乱すとして、咎められたからであろう」


「そうさ。お縄になるのは御免だよ」


「あまりに民の気を引きすぎるのも良くないが、全く民の声を顧みないのもよろしからず」


 西暦1595年当時、大坂や京の都では出雲の阿国が既に登場しており、人気を博していた。記録に残る史実より少し早いようだ。


 かぶき踊りは、やがて若衆歌舞伎(12歳から18歳くらいの少年が演じる)となり、後に風紀の乱れを危惧する幕府は遊女などが行う遊女歌舞伎を含め禁じてしまう。


 無論、広之はそのへんに対して寛容であり、遊女歌舞伎や若衆歌舞伎共々繁盛している。こうなると、1世紀近くも後になって誕生した規制の産物といえる野郎歌舞伎(現在の歌舞伎における原型)は出てくる芽がない。広之の推測では、若衆歌舞伎が歌舞伎の系譜へ繋がると読んでいる。


 現状、遊女歌舞伎と野郎歌舞伎は歌舞伎と程遠い。そこで、康蘭玲に女性演者なれど、少しまともな演劇を演奏や踊りなど交えながらさせたいと思ったのだ。


 後に、遊女歌舞伎は上方歌舞伎と呼ばれる。そして若衆歌舞伎は関東歌舞伎となり、現代の歌舞伎へ繋がっていく。さらに、康蘭玲の胡流歌舞伎は明国にも逆輸入され、歌舞伎と並ぶ地位を得る。


 また、数年後一世を風靡する絵本小説の巨匠・春日局(福の雅号)は胡流歌舞伎へ多くの作品を提供したという。








 

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