第294話 胡服美女康蘭玲①

 その日、幸田広之は僅かな近習を引き連れ大坂市中を散策していた。一行は目立たぬ服装だ。広之の着物にしても幸田家の家紋は入ってない。


 尾張堀(道頓堀)沿いで人だかりが目に入った。近頃、評判の胡舞踏の一座で、本公演が始まる少し前らしい。芝居小屋の前で客を出迎え挨拶している。座頭らしい女性の衣装に目が止まる広之であった。


 胡服であるが、年代不明というか、様々な要素を取り入れている。そして20代前半と思われる座頭らしき女性たるや広之も思わず目が釘付けになるほどの美貌だ。


 そもそも、肌色は白く、明らかに中央アジア系の顔立ちである。小屋の前には後援している商家の屋号が沢山飾られていた。そこへ広之と面識のある米問屋大国屋喜兵衛が気付いて、近寄って来るではないか。


 無論、身分が違いすぎるので、いきなり声は掛けてこない。少し近づき頭を下げている。


「これは喜兵衛殿、面を上げられよ」


「はっ、大納言様。恐れ入ります」


「これは、如何なる趣向であろうか」


「はっ、康蘭玲カン・ランレイと申す明国人の女座頭による一座にてございます。その美貌もさることながら、西域の胡舞踊や音色は見事なもので、大坂の民を魅了しておる次第」


「喜兵衛殿も贔屓筋のようですな」


「恥ずかしながら。もし、よろしければ大納言様もご観覧されては如何でしょうか。終わった後には大茶屋(料亭のようなもの)に蘭玲も呼びますゆえ」


 時代劇で有りがちな悪代官や旗本のようだ。少し照れくさい広之であったが、折角だから、見ていく事にした。大国屋喜兵衛は思いも掛けず広之を案内出来るとあって鼻高々であり、実に得意気だ。


「ほぉ、流石は喜兵衛殿。なかなか良い席じゃ」


「滅相もございませぬ」


 そして、間もなく如何にも西域風の異国情緒溢れる音色が響く中、綺麗な衣装へ着替えた康蘭玲のお出ましである。軽い布を乱舞させながら旋回する蘭玲に思わず見惚れる広之であった。


 よく見ると僧侶も多い。これじゃ、おっさんはひとたまりもないな、と思いつつ見ていたが、およそ1時間程の舞台は時間を感じさせなかった。


 その後、大国屋の招きで大茶屋へ入る。店の主人がフライング土下座並の勢いで膝まづく。店始まって以来の超VIPであり、恐縮しているようだ。聞けば、元々は京極家に仕えて居たらしい。間もなくして、座敷に康蘭玲が現れた。


「堅い挨拶は無用である。ところで、そなたは康と申すが、先祖は西域の康国(サマルカンド)かな」


「はい。昔は康国に住み、その後は西安(長安)へ移り、各地を渡り歩いたとか。母はウイグルの家系でございます」


「そなたの踊りは胡旋舞、もしくは胡騰舞であろう」


「何故そのような事を……。亡くなった父方の叔母から教わったもので、胡旋舞に胡騰舞を織り交ぜたものでございます」


 会話について行けず、呆然とする大国屋であった。康国のルーツは月氏であり、元々は祁連山の昭武城(現在の中国甘粛省張掖市)だ。紀元前2世紀頃、月氏は匈奴に駆逐された。


 その後、ソグディアナ地方(現在のウズベキスタン付近)へ移る。康国をはじめ、幾つかの国々を建てたが、その王はいずれも故地の昭武を姓として名乗った。これらを昭武九姓(ソグド人)という。


 昭武九姓の人民(ソグド人)は商売に長け、早くから中国と交易を行っており、唐代に最盛期を迎えた。中でも康国と石国が盛んであった。唐で反乱を起こした安禄山は康国の子孫だ。


 ソグド姓と言うものがあり、代表的なものは以下の通りである。ブハラ=安、サマルカンド=康、タシュケント=石、キッシュ=史、マーイムルグ=米、クシャーニャ=何、パイカンド=畢、カブーダン=曹などだ。基本は都市名にちなんだ姓といえよう。


 康蘭玲はなかなかの遣り手で、茶荘も経営しているらしい。今度、行く約束をしてしまう広之であった。


 





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