第120話 幸田財閥
織田宗家の家老にして幕府総裁、なおかつ権大納言である幸田広之は読書や飲食の充実をはかるべく金銭を惜しみなく注いできた。
その結果、効率のため営利事業にせざるを得ず、商いの世界にも足を踏み入れている。
最初は茶であった。本来の歴史ならば、まだこの時代煎茶は無い。
日本に煎茶が登場するのは18世紀、玉茶に至っては19世紀と割合新しい。
本来、路地栽培されたものを使う。茶葉を若葉や古葉の区別せず摘み、灰汁を加えた熱湯で茹でた後、水で冷やす。それを乾かして煎じたもので色合いは茶色。
戦国時代に入り、宇治で茶樹を藁束や莚などで覆って直射日光を遮る覆下栽培方法が始まった。これが碾茶であり、抹茶に使う茶である。
いわゆる煎茶は路地栽培の新芽だけを用いて蒸したあとに冷却。これを焙炉で乾燥させたものだ。
広之は煎茶、玉露、玉緑茶(煎茶とほぼ同じだが鉄製の釜で焙る)、焙じ茶、玄米茶、昆布茶、紅茶などを次々に編み出した。
玉緑茶は煎茶よりも安価であり芳ばしい。庶民でも何とか飲める。茎を使った玉緑茶はさらに安価だ。焙じ茶は主に煎茶の茎を使っており、これも安価だ。
ラテなども世に送り出して、茶は一気に広まった。生産量も大幅に拡大した結果、茶の価格も下落。
最近では紅茶の人気が高まっており、他にも茶外茶の紅花茶やウコン茶も飲まれている。
こうした一連の新しい茶は幸田流などといわれていた。本家ともいえる広之は茶館、茶荘、茶室、茶房など様々な業態を展開。これらは大坂や京の都を始め各地に出店。現在約80店舗近い。
また菓子の店もこれらの茶店に併設していたりする。
茶葉の加工や販売も行っており全国流通量のおよそ3割を扱っていた。
店で女中に着せるお洒落な作務衣と前掛けも人気となり店を作った。この店では五徳たちが普段着ている明治時代の女学生みたいな服も扱っており、よく売れている。今のところ12店舗。
広之といえば酒だが(アル中じゃないよ!)、焼酎を独自に製作した蒸留器にて作り出す事に成功。
その後、蒸留器の改良を重ねつつ大型化。結局、酒蔵を作り直営販売。焼酎を使った梅酒も人気だ。現在販売店は32店舗。
南都諸白を改良したほぼ清酒といえるものがすでに出回っており、焼酎とあわせて販売。また酒粕や酒ではないが甘酒も扱っている。
他にも豆腐、鶏肉、鶏卵、漬物などの専門店もあった。豆腐屋では豆乳も売っている他、併設の角打ちがあり、油揚げ、とうめし、豆腐田楽、冷奴などを肴に酒が飲める。
漬物屋は灘の酒蔵から出る酒粕を仕入れ、奈良漬を作っている他、べったら漬け、いぶりがっこ、福神漬けなども扱っていた。
さらに煙草、煙管、煙草入れの販売や薬種問屋も営んでいる。
薬は薬種や漢方薬の他、喉薬や万能丸薬、さらには石鹸など多数揃え、輸出もしていた。
そして書物問屋としては間違いなく日本一である。辞書・辞典(故実を含む)、医学、歴史、和古典、漢籍、仏教、兵法、農業、料理などの他、浮世絵、小説、ガイドブック、ハウツー本など多彩だ。
近衛前久自伝の関白流浪記は半分以上フィクションという、ほぼ小説に近い内容だが誰も異議を唱えられず、盛られまくった内容で大人気。
古河城で押し寄せる10万の北条軍を単騎で押し返すとかランボーもびっくりの内容だ。
気がつけば織田家で得ている切り米扶持10万石を超える売上となっていた。大坂有数の大商人である。
ちなみに名目上の経営者は五徳となっており、現代でいうところの役員へ浅井三姉妹も名を連ねていた。
角倉了以、茶屋四郎次郎、丹波屋仁兵衛、近衛前久などは社外取締役のような立場で、関与している。
五徳としては事業拡大に向けて子供がまだまだ必要だと考えており、末に次ぐ側室も検討していた。
まさに幸田財閥というべき状態であり、今後も発展を重ねそうだ。
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