第195話 金万福の新婚生活と佛跳牆

 幸田家で最近、王春華という明国人女性が奉公し始めた。この夏に台湾より来日したばかりである。金万福が台湾に居た当時、同じ店で働いており、何れは結婚する約束をしていた女性だ。


 日本での生活にも慣れ、幸田広之の助けを借り、台湾から呼び寄せたのである。無事に結婚し、仲良く働いていた。幸田家の屋敷内では、お蒔が春華の面倒を見ており、皆からは“お春”と呼ばれている。


 春華も金万福同様、台湾で和食はそれなりに食べていたが、やはり本場は違う。台湾の和食は暑い気候、食材の違い、シャム米、豊富な豚肉や鶏肉などの結果、内地とは異なる。


 来日以降、様々な料理を食べたり、町見物を楽しむなど生活にも慣れてきた。そんな、ある日……。お初と哲普が2人揃って屋敷を留守にしているため、金万福が献立を任せられたのである。


 朝は粥、昼に中華風温寿司(蒸し寿司)を出した。温寿司は酢飯からして違う。黒砂糖と玄米酢で寿司酢を作り、具材は腊肉(中国版ベーコン)、香腸(腸詰)、牡蠣、椎茸、蓮根、金時人参、銀杏、戻した干し栗、青梗菜、鶉の卵などを使っていた。


 幸田家、冬場の定番である温寿司の少し明国よりといったところである。なかなかの評判で、特にナムダリとアブタイの2人は喜んで食べた。オーソドックスな温寿司より口に合うらしい。


 そして、夕飯の献立におけるメインは佛跳牆だ。以前から幸田広之に指示され試作を重ねようやく満足出来るレベルへ達した。これまで何度か出しているが今回は完成版と意気込んでいる。


 先ず、容器の壺は特注品で、蓋が3重だ。最も内側に木の蓋。さらに陶器の蓋が2枚あって、香りを外へ逃さない。具材は干し鮑、干し貝柱、煎海鼠、干し海老、干しスルメ、干し牡蠣、フカヒレ、棒鱈、金華火腿、豚肉、鶏肉、鶉の卵、朝鮮人参、蓮根、干し椎茸、銀杏、干し棗などが入っている。


 出汁は上湯を使っており、味付けは塩、牡蠣油、魚醤、味醂、陳年紹興酒、焼酎などだ。大きな鍋の中に台を乗せ、その上へスープの入った壺が置かれ、沸騰しない程度に加熱。前日から金万福、王春華、お蒔が交代しながら火の番をしていた。


 本来であれば佛跳牆は清朝末期に作られており、歴史の浅い料理だったりする。広之の思惑としては、今後明国人や女直人を歓待する際の目玉料理に、という思惑があった。


 さらに豚肉料理の茶香扣肉コーローも作る。扣肉は茹でる、焼く、蒸すという工程によって作られる料理だ。扣肉で有名なのは梅菜扣肉だが、梅干しは一切使わない。


 収穫したてのからし菜を1~2日ほど干した後、粗塩で揉み込む。木樽や甕にからし菜を塩と重ね、重石を置く。1週間程漬け込むと酸菜になる。さらに発酵すると梅菜だ。これを最後に干したのが梅干菜。幕府の海外遠征や御用船の糧食としても梅干菜は採用されていた。


 しかし、今回は梅菜や梅干菜を使わない。焙じ茶を数時間水で戻したものを使う。皮付きの三枚肉を焙じ茶の戻し汁に塩と焼酎を加え弱火で2時間程茹でる。茹で上がったら取り出し冷ます。


 これに醤油、味醂、黒砂糖を馴染ませたら、油多めで十分炒める。浅い丼ぶり状の容器内側へ0.5cm程の厚さに切った豚肉を並べ、そこへ生姜、難波葱、水で戻した大量の焙じ茶葉を加えたら、醤油、味醂、黒砂糖、陳年紹興酒、八角のタレを流し込む。

 

 浅い丼ぶり状の容器へ蓋をして、蒸し器で2時間程加熱して完成という代物だ。この手の蒸し物について中国(あえて、そう言う)はかなり発達しており、金万福も長けていた。王春華と夫婦の間柄であり、このような根気のいる作業は向いているといえよう。


 この他にも肉燕と香腸の炒め物があった。肉燕は挽いた豚肉にさつま芋の澱粉を加えて薄い皮を作り、そこへ肉の餡を加えたものだ。本場ではこの技法で作る麺類もある。これは上湯で作ったスープ雲呑式だ。


 香腸の炒め物は、3種類の香腸、戻した乾燥木耳、青梗菜、難波葱、長芋を炒めたもので、味付けは塩、味の友、陳年紹興酒、味醂。酒のあてには堪らない逸品だ。この他にも数種の前菜が作られた。


 夕方になり、織田信孝、竹子、三法師、茶々などもやってきた。先ずは壺が運ばれ、目の前で蓋が開けられる。蓋の開いた瞬間、何ともいえない香が漂う。


「広之殿、これは立て籠もった一向宗も思わず城壁や堀を乗り越えてくるという例の汁じゃな」  


 竹子は冗談のつもりだが、思わず信孝と広之は固まる。現在、本願寺とは友好関係にあるが、そこへ至るまでは織田家一族の血も沢山流れたし、一向宗門徒側の被害にせよ甚大だ。


 織田家は政治的配慮から伊勢長島など各地へ供養塔を建立しており、本願寺も門徒や織田家の区別なく供養している。そこへ至るまでは、相応の苦労や朝廷の仲介などあっての事だ。


「良き香りじゃな。さて頂くとしよう」


 信孝は器に盛られた佛跳牆をひと口含んだ……。


「これまで幾度か味わったが、出来栄えたるや見事。それにしても日本の汁物では出せぬ味わいじゃな。これ以上の汁物はあるまい」


「上様、今後明国の使者が参った際など出せましょう。これに、ふかひれ、燕の巣、干し鮑、煎海鼠等あれば、間違いないか、と」


「北京、天津、瀋陽などでも貴人相手の饗応に出せば申し分ないのお」


「饗応の時は、これに金箔をのせますので喜ばれるはず」


「流石は左衛門じゃのお。驚く顔を見てみたいものじゃ」


 佛跳牆を食べ終わるタイミングで肉燕と香腸の炒め物が運ばれてきた。


「上様、先ずはそちらの雲呑をお召し下さいませ」


「何じゃ、これは……。いつもの雲呑とは異なる。味が濃いな」


「然様でございます。肉燕と申して、挽いた豚肉と片栗粉を混ぜた皮で具を包みました。肉の味が存分に味わえるか、と」

  

「抹茶蕎麦や紅花蕎麦みたいなものじゃな。それを肉とは、実にニクい」


「……」


 一同、上様の珍しい駄洒落に反応出来ない。竹子と五徳は狐に化かされたような顔をしつつ香腸の炒め物へ箸を伸ばした。


「左衛門殿、これは酒に合いますな」 

 

 五徳が声をそういってる間、竹子と茶々は蜂蜜梅酒に陳年紹興酒を加えたブレンド酒で上機嫌だ。


「左衛門殿、乾木耳、青梗菜、長芋の歯応え。葱の風味。そして詰め物の味わいが合わさり、これは素晴らしい」


「竹子様のお口に合うようで何より」


 イルハたち女直三人衆もコーレーグースを持ってこさせ、掛けて食べている。無論、酒が止まらなくなっていた。子供たちの口にも合うらしく三法師や仙丸も喜んで食べている。


 そして最後に茶香扣肉が出てきた。見た目が黒っぽく、かなりワイルドである。大皿にのっており、五徳の室女中たちが手際よく小皿へ取り分けて置く。八角、焙じ茶、生姜、紹興酒の香りが素晴らしい。


「何やら見た目は良くないが香りは良い」   


「上様、肉を裏返して焙じ茶の葉を落としてからお召し上がり下さいませ」


「茶葉を使って蒸し上げておるのか。なかなか面白いの。肝心の味じゃな……。うむ、これは。いつもの豚を使った煮物と違った味わいで実に美味じゃ。これは酒にもってこい、というもの。三法師食べてみよ。そなたは米の方がよかろう」  


 それを聞いた室女中が部屋の端にいる奥女中へ目配せした。瞬く間に白米の入ったお櫃が届く。


「お父上、これは米がいくらでも食べられます。叔母上の屋敷で食す、猪肉(豚肉)は誠に美味」


  よく見ると遠くの席で、福も結構な勢いで白米を食べている。一方、浅井三姉妹や女直三人衆は酒を飲みまくっていた。


「左衛門殿、我が家の殿様たちも唐でかようなもの召し上がってるのおられるのでしょうか……」


「お茶々殿、豚、鶏、羊、家鴨あひるなどの肉は毎日召し上がっておられるはずですな」


 こうして金万福と王春華の連携による料理は大好評であった。


 


 


  

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