第33話 角倉了以と鯛

 幸田広之は殿中の台所番を見送りながらやれやれと思っていた。


 粕汁と茶飯がいわゆる殿中で波紋を呼んでいるらしい。どうも竹子が殿中の台所番を𠮟ったという話だ(五徳情報)。そんな難しい料理でもないのにどうして作れないのか、と。


 竹子が男に生まれて居れば猛将タイプだろうな、とは思う。そんな事があり、台所番の者たちは広之をあまりよく思っておらず(ようは嫉妬である)、嫌そうな顔しながら聞きに来た。


 最初は竹子や五徳にどのようなものか聞いて想像で作ったらしい。当然、似ても似つかない代物となり竹子が激怒したとか。


 東郷平八郎が英国留学していた時に食べたビーフシチューの味忘れがたく部下へ作らせたら、肉じゃがとなった話を彷彿とさせる。

 

 仕方なく聞きに来たわけだが、ためらうのも無理はない。この時代、技術や知識というのは大変な価値がある。徒弟関係でも結ばない限り門外漢へ簡単に教えたりしないものである。

 

 また下手に教えを請うのは相手の軍門へ降るも同然。自身の弟子、兄弟弟子、師匠、一門の恥ともなる。どのような事も学校で教えてくれたり、ありとあらゆる専門書が溢れた現代とは当然違う。


 粕汁は酒粕に白味噌や豆乳も入ってること。塩加減など詳細なことを教えた。茶飯もしかり。そこまで親切に教えてくれるはずないと思っていた担当者は恐縮していた。


 粕汁といえば本来は鮭。これはすでに手を打っている。若狭の浜で加工するための作業小屋を作った。産地の作業小屋で新巻鮭、塩引き鮭、鮭とば、味噌漬け、塩麹漬け、酒粕漬け、味醂漬けなどにして、いわゆる鯖街道経由で大坂へ運ぶのだ。


 一緒に塩ぶりや塩鯖、それから越前蟹も運ぶ。蟹はおがくずの湿気があればなんとか生きて届くだろう。織田信長が浅井の裏切りにあい、金ヶ崎から京の都へ撤退するときに通ったのとほぼ同じルートだ。上納させるとかでなく買い上げる。加工が終わるや馬で中継地点を経由して2日目には届く計算。


 広之は丹羽長秀が若狭を領有しているときから計画を練っていた。家中で魚を捌くのが上手な者へ絵で説明し、現地へ派遣させている。


 そして数日前、早馬によりいつでも送れるとの報せが届いた。


 待ちわびていた……。これで冬場の食卓が激変する。鮭、鯖、鰤、蟹があれば牛肉や豚肉も要らない。現代で散々食った。しかし活蟹、天然鮭、本物の塩鯖や塩鰤とは贅沢だ。


 竹子や五徳を悶絶させてみる。目黒の秋刀魚さんまならぬ大坂の鮭という落語が生まれるかも知れない(無論、話の筋や意味合い違う)。

 

 そして数時間後、角倉了以と茶屋四郎次郎が訪ねてきた。堀江正成も呼び簡単な挨拶を済ますと本題に移る。まず撰銭について了以へ意見を求めたが京銭ないと商売出来ない。各銅銭の交換比率定めたうえ、織田家も鐚銭並の私鋳銭を大量に作って流し、徐々に破銭を減らす。


 そして最終的に品質の高い銅銭を流すという方式だ。江戸幕府の行った政策より踏み込んでいる。やはり大商人の嗅覚と発想は鋭い。


 ここまでは他の2人も同意していた。続けて了以は、名称や絵柄など明や朝鮮に出回ることを想定した内容が好ましいという考えも示した。


 ただ、これについて正成は他国へ流れた場合、必ず価値に差が通じるはず。例えば日本と明で同じ物を同じ額で買えるなら問題ない。


 しかし差あれば混乱が通じるのでは、という本質的な懸念をぶつける。さらに四郎次郎は金貨、銀貨、銅貨の三貨併用にして、金の富有率変えることで調整可能だという持論を展開。


 それらを聞きながら広之は初回にしては十分過ぎる、と思った。今後、ときおり集めて話煮詰めようということに…。


 続いて地図の件についてはさしあたって方角と距離をより正確なものへ仕上げることでまとまった。南蛮貿易の話など様々出たあと……。


「左衛門様、南蛮人より立派な石鹸作っておられますな。あれは難しいものなのでしょうか」


 恐らく四郎次郎から聞いたのだろう。


「ある物が2つあれば作れます」


「よろしければ作り方を教えもらえないものでしょうか。無論、売上の一部は左衛門様へ納めさせて頂きます」


「残念ですが、それは出来かねます」


「何か理由がござりましょうか」


「あれは水に流すとあまり良くないものでして、少しならいざ知らず、大量となれば川が汚れてしまいます。使うとなれば地中に染み込ませるか、海に近い河口付近へ少しづつなら何とかなりましょう。正直、取り扱いが厄介でしてな」


 無論、地中へ大量に染み込ませば、井戸水にも差し支え出てくる可能性もある。田畑や樹木への影響も……。


「然様でございましたか。この了以感服仕りました。我ながら儲けに目が眩み恥ずかしいばかり」


「いま石鹸の中身をいろいろ改良しております。少しでも川や海を汚さないものになれば、その時は了以殿にお任せ致します」


「いやいや川や海は大事ですぞ。それをわからぬ者が多く、難儀しております」


「わかりました。それではお食事をご用意致しましょう」


「左衛門様、それがしはこれにて失礼させて頂きます」


「新三郎殿(正成)、ご遠慮無用。堅苦しいことは抜きで」


「本当によろしいので」


「主賓の了以殿次第ですな」


「これは一大事ですな。是非、新三郎様もご一緒下され」


 掘りごたつ形式の囲炉裏へ案内すると3人とも固まっている。当然の話で、大物商人と下級武士が同席となれば、どこに座るか迷う。家柄や名誉を重んじる時代なれば、席次で最悪刃傷沙汰も起き得る。


 中華料理店でおなじみの丸テーブルも日清戦争の交渉において苦慮した日本側が用意したという話もある。洋間に古い社会の者を座らせる場合、慣れないからとかでなく根本的な問題が大きい。


 主賓ということで了以を下面の左、四郎次郎を同じく下面右、新三郎を左右両面の左に座らせた(下面は下座ではなく上座扱い)。


 江戸時代なら客を多数招き、席次で揉めた場合、担当の家臣は下手すれば切腹してもおかしくない。そうこうしているうちに、お初と他の女中が盆を運んできた。

 

 いい真鯛が入ったので今日は鯛尽くしにした。鯛の茶碗蒸し、鯛のかぶら蒸し、鯛のかぶと煮、鯛真薯の豆腐白扇揚げ、鯛の潮汁。少量づつなので食える量のはず。  


 鯛真薯の豆腐白扇揚げは結構自信作である。真薯には自然薯を沢山入れた。それを薄く切った豆腐で挟み小麦粉と卵白で揚げている。


 鯛の潮汁は鯛の腹骨に塩振って数分置き、熱湯掛け、昆布と鰹節で取った出汁へ加える。少し酒を加え塩で味を整えた。腹骨以外に鯛のつみれも入っている。


「これは聞きしに勝りますな。どれも美味、いやいや参りました」


 了以は満足してくれたようだ。


「これ程とは……。姫様たちが殿中の食事に文句を言うのも納得しました」


 この後も炉端で様々なものが焼かれ、最後は鯛めしからの鯛茶漬けという流れだ。


「いやいや寿命が伸びましたな」


「喜んで頂ければ何より。次回も楽しみにしてください」


 こうして一行は満足のうちに帰った。



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