第32話 秀吉の狂気

 幸田広之は来たるべき織田信孝による天下統一と最適な体制を模索していた。羽柴秀吉についていろいろ考えたが、やはり成り上がり者の典型と言える。


 茶々と織田信長の娘(蒲生氏郷が保護していた)を側室にした件も品性疑うし、甥の秀次一族の皆殺しは戦国時代でもなかなか類見ないほど残虐だ。


 豊臣秀次が切腹するや一族は都の三条河原で公開処刑された。側室や幼子まで次々と殺されたが、中には菊亭晴季(今出川晴季)の娘一の台も居る。菊亭晴季といえば秀吉の関白就任における功労者だ。それでも容赦なく殺された。


 三条河原は阿鼻叫喚の地獄絵だったという。次々と刺殺される秀次の子息。血まみれの子供を抱きしめる側室。9歳の娘などは刺されたあと川に投げ捨てられた。


 最上義光よしあきの娘於伊万おいま(駒姫)は秀次が奥羽遠征した際に見初められ、上洛したばかり。秀次に会う間もなく三条河原へ引き出された。しかも義光必死の助命嘆願により処刑を見送る早馬が駆けつけたが一歩間に合わなかったという。


 処刑後、39人(38人ともいう)の遺体はひとつの穴に放り込まれ埋めた上に秀次の首を納めた石櫃が置かれた。さらに秀次悪逆と記した石塔まで築かれたという。


 この石塔は河川の氾濫で流されてしまう。その後、角倉了以すみのくらりょういが治水工事中に偶然発見。菩提寺として瑞泉寺を建立する。


 ほかにも三木の干殺しでは7500人立て籠もった三木城を兵糧攻め。城主の別所長治は城兵の命と引き換えに自刃したが、残った者は皆殺されたという。


 上月城攻めでは捕らえた女子供約200人を播磨、美作、備前の国境に連れて行き見せしめのため串刺しや磔とした。


 天下人になる前から織田家中でも群を抜いて残虐非道だったと言える。人たらしとか、ひょうきんなイメージとは全く違う。


 戦国大名など、みな残虐だという声もあるが、秀吉は常軌を逸している。さらに農民出身でありながら関白や豊臣などというのも身の程を超えすぎた。


 豊臣は早晩滅ぶ運命にあったのかも知れない。そんなこと考えつつ広之は堀江新三郎正成を呼んだ。これまで浅井三姉妹に付いて何度も来訪しており、知らない仲でない。


「さっそくだが新三郎殿、浅井家で行った撰銭令について、聞かせてほしい」


「はっ、江州は水運に恵まれ、山城、伊賀、伊勢、美濃、越前、若狭などと隣接し商いが盛んな土地にてござりまする。故に増える一方の鐚銭は困りかねてました。そのため我があるじ備前守様(浅井長政)は撰銭令を出すことにしたのです」


「その内容は……」


「破銭と打平うちひらめ(文字や模様のない銭)を使用禁止にしました」


「つまりは破銭や打平でなければ京銭でも使えるわけじゃな」


「ご推察の通り。京銭ばかり集まり、困り申した」


「浅井領内で京銭が大量に使われたら物は売れすぎて無くなるはずじゃな。当然、物の値は上がる」


「然様。そのため値を釣り上げることも禁じましたが、あれは失敗でしたな」


 信長の撰銭令では米を貨幣代わりに使うことを禁じているが、そもそも通過供給量少ない以上、当然の成り行き。


 しかし信長は貨幣経済を追い求めた。方向性は間違ってなかったがどうしても通貨は足りない。残念ながら信長存命時には解決できなかった。最終的に貫高制は崩壊し、石高制になっていく。


「ところで新三郎殿、天下統一も近い。そこでいずれは銀貨と金貨を鋳造し、銅銭との交換比率を定める。やがて新たな銅銭を作りたいと思ってのう。日本全体で誤差が出ないようにして、明国、朝鮮国、南蛮諸国との交換でも損が出ないようにする。しかし簡単には行かぬ。長い年月がかかるじゃろ」


「壮大な話ですな」


「お主も失敗して得たものは沢山あるはず。撰銭について儂の下で腕を振るってみぬか。無論、於茶々様たちの側に付き、その合間でよい」


「かたじけないお言葉。是非お受けしたいと思いまする」


 この時代でも東国は永楽銭を使った貫高制が堅持されていた。西日本と経済力が違う結果であろう。


 通貨が足りないので堺銭など勝手に作られる。しかし東国はそこまで需要がない。


「今度、大坂の商人たちと撰銭について会合するので、その時は同席致せ」


「承知仕りました。それとですな、申し上げにくいのですが於茶々様に甘酒あったら持って来るように言われておりまして……」


「いま無いが、直ぐ作れる。お初に作らせて持って行かせるゆえ安心せえ。いや待ってくれ。直接、3人で来るように伝えてくれ。甘酒よりいいものあるとな……」


 最近、奥の院で甘酒が流行ってるらしい(広之がときおり差し入れている)。甘酒自体は昔からある。しかし一般に普及するのは江戸時代からだ。


 しばらくして浅井三姉妹がやってきた。


「左衛門殿、甘酒よりいいものとは何でしょうや。そのようなものがあるなら是非……」


「これは於茶々様、甘酒を作る途中で砂糖を入れず汁にしたものをお召し上がりくださいませ」


 用意されたのは粕汁、茶飯、牛蒡の味噌漬け。粕汁には牛蒡、かぶ、ひら茸、えのき茸、豆腐、里芋。茶飯には豆各種と干し栗。


 三姉妹は何も言わず粕汁を飲む。


「どうですかなお味は」


「この汁は得も言われぬ味ですこと。御台様なら一升くらい飲んでしまいそう」


 初が軽く毒を吐いてる間、茶々と江は茶飯を食っている。


「これは何と言うものですか」


「於江様、茶飯と申します」


「茶の香りと豆や栗がなんとも絶妙」


 茶々も気に入ってくれたようだ。


「しかし左衛門殿、普段でもかような美味を召し上がってるのでしょうや」


 茶々が意地悪そうに聞いてくるので普段は湯漬けだと答えても信じてくれない。湯漬けというかお茶漬けだけど…。


 3人が帰る時、甘酒も持って帰らせた。


 それから程なくして竹子と五徳が凄い勢いで乗り込んで来た。一升は無理だけどお替りするほど気に入ったようだ。


「五徳殿のお父上なら、家臣が毎日かようなもの食していたら、命がいくつあっても足りませぬぞ」


 竹子はあいかわらず絶好調である。



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