第31話 秀吉と長秀

 安土城で謹慎とは名ばかり。蟄居に近い状態の秀吉は切腹も覚悟したが思い留まった。ときおり丹羽長秀が手紙で励ましてくれたからだ。

 

 前田利家や佐々成政などもそうだが本来なら織田信孝によって磔だったところ、長秀命懸けの嘆願で、という話を秀吉は信じていた。長秀の送ってくれる鮭を強飯こわい(蒸した硬い米)の湯漬けで食べるのが唯一の楽しみである。


 それから細川藤孝(幽斎)より書物の差し入れがあった。秀吉の心境的に読みたいのは平家物語だが、何と古今和歌集。


 これには秀吉も落胆しつつ心底を計りかねた。励ましてるようにも思えるが、教養のない身を嘲笑ってるのかも知れない。


 もう少し勇壮な話を、と思ってた時、藤孝より2度目の差し入れがきた。勇躍題名を見たら源氏物語。これだ、これ。


 頼朝公や義経公の活躍はいかに、と興奮しつつ読んだら吐き気するような話で流石にわざとだろうと確信した。


 少し腹立ったが公家のなり損ないみたいな連中の考えることは理解し難い。真剣に考えるだけ無駄だ。家柄だけが取りえの連中と自分は違う。そう強く思った。


 元は百姓の身、失う者など何もない。生きているだけで丸儲け。大幅に領地が減ったにせよ但馬一国と出羽庄内切取次第。長秀の手紙ではほんの少し寒いにせよ米が沢山取れるうえ、国人も驚くほど弱く従順だという。

 

 秀吉好みの出羽美人も多く、上方から来た武人はことのほか好かれるというくだりも秀吉は見逃さなかった。肌が透き通るように白く情が深いとか。春になれば必ずや一族郎党引き連れ出羽に向かい長秀へ恩を返す、と誓う秀吉であった。


 その頃、大坂では城の改修と町の開発が急ピッチで進められていた。幸田孝之が播磨・姫路へ大幅な加増転封した後も、大坂の町奉行は兼務している。


 そうは言っても雑多な仕事は町奉行担当の家臣が行っており、孝之は指示を出すだけだ。町奉行は時代劇のせいで犯罪捜査と裁判のイメージが強い。


 実際は現代で例えるなら東京都知事+警視総監+裁判官を兼ねているようなものだ。凄まじい激務である。


 訴えすべて取り上げていたら死んでしまう。なので民事は基本的には示談となる。大家、名主、五人組など立ち会いで、大抵は解決。


 ただ武士、僧侶、苗字帯刀商人などが絡むと、いわゆるお白洲の席を決めることさえ簡単でなかったらしい。


 現在、大坂は各地から流れ着いた浪人や人足が多いため、治安に問題がある。仕事はいくらでもあるにせよ、喧嘩、借金、賃金不払い、賭博など実に多い。嫌がらせで放火なども普通にある。


 江戸の開発をすればさらなる混乱は目に見えており、いろいろ改善しつつ能動的な対処が求められた。また以前から広之が取り組んでいる地図の作成も厳しい。この時代で普及しているのは行基地図だ。久米田寺を開基した人物だが、その足跡はあまりに巨大。


 幸い伊能忠敬の地図作成方法は割合シンプルで道線法や交会法を駆使しており、距離測定の基本は歩測。車輪付きの測定器より歩測のほうが正確だった。


 現在、茶屋四郎次郎から紹介してもらった京の都きっての豪商角倉了以や中国伝来の九章算術に通じた禅僧などと談合を重ねつつ実験の最中である。


 角倉了以は元々室町幕府お抱え医師の家系。史実では朱印船貿易で巨万の富を築き、河川の開削なども行った。つまり航海、土木、数学などに通じた人物だ。


 地図の話をしたら即決だった。商人にとって正確な地図は宝物。費用も全額出してくれるという。ただ条件がひとつあって、天下一と言われる庖丁師ほうちょうし(広之のこと)の料理を季節ごとに味わいたいというものだ。無論、快諾した。


 恐らく京洛に張り巡らした凄まじい人脈も同席させ商売に繋げるつもりだろう。そのへんは抜け目ないはず。銅銭の問題も地図に負けないくらい時間が必要。室町時代から戦国時代、畿内では一揆が頻繁に発生。これらは政治的要求と言われるが撰銭による不満もあろう。


 農民や商人から集めた鐚銭をまた戻されるのは誰でも嫌なはず。勝手な推測だが鐚銭で支払い受けるときは換金率悪くし、逆に支払うときは換金率高くするくらい支配者ならやりかねない。革新的と言われる織田信長、その後継者たる豊臣秀吉でさえ撰銭に対しては無力だった。


 なのに南蛮吹や大規模な銅山開発前の時代、一介の大名が転生人のアイデアで解決可能なレベルと思えない(批判や否定しているわけでなく個人の感想です。でも本能寺の変以前に一介の大名が撰銭や信用価値高い貨幣鋳造に成功したら完全なチートだと思いますが…)。


 この問題に頭を悩ます広之が、茶々と話していた時のこと。小谷城脱出のとき浅井長政が付けてくれた武士である堀江新三郎正成(架空キャラです)は撰銭に詳しいのだとか。


 商業が発達した近江の浅井家でも撰銭には悩んだそうだ。そのため信長の上洛以前、茶々が生まれる前に撰銭令を出して失敗とのこと。


 以前より大坂で何か買う際、鐚銭が多く難儀しているため、新三郎が昔話をよくするのだとか。新三郎は浅井家が撰銭令を出したときの奉行だという。


 どんな失敗でも糧になる。経験というのは大事だ、と思う広之だった。



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