第34話 若狭の塩引き鮭

 幸田広之は先日、角倉了以と話した石鹸について思い起こしていた。石鹸を流すのも問題あるけど、これから揚げ物が流行した場合、古くなった油をどうするか。


 再利用することで何とか処分したい。大きく分けて2つ考えられる。肥料と飼料だ。基本的な部分は同じだろ。油に米糠、米のふすま、乾燥おからが基本で、これに藁や土など混ぜて数ヶ月経てば肥料といったところか……。


 とりあえずは野菜や鶏卵をよく仕入れる天王寺西側にある今宮村あたりで実験してみたい。上下水道の実験もそろそろ行うとしよう。大坂は江戸時代でも淀川(大川)から汲んできた水を買っていた。大坂の町は元々大半が海で、地下水は塩分を多く含んでいる。


 そのため井戸水のほとんどは洗い物で使っていた。飲水などは水屋と言われる業者から買うのが普通。水屋が売り歩いており、ほしい場合は軒先に“水入用”の木札を下げていたそうだ。


 そのくらい大都市にとって飲み水の確保は大事なのである。今、大坂城の排水は最終的に大川(淀川河口)へ流れ込む。 


 無論、飲み水は排水される地点の上流になる。大川含めて淀川は大きいので大坂城の住人が使う程度の石鹸ならダメージ少ないはず。


 しかし、これ以上となれば史実における太閤下水路を超えるくらいの排水網を構築してからの話だ。何事も時間が掛かる。


 現状でも岸和田、淡路島、明石等、遠方から大坂へ魚は運ばれて来るのだが、江戸時代並の魚船(船内にいけすがある活魚輸送船)や牡蠣船を2年以内に実現させたい。


 そこまで生の魚を食べるのは控える。なので1日も早く実現したい。なにしろ江戸へ移転するにしても当分は2元政治化するだろう。そのくらい同じ国でありながら東西の差が大きい。


 銅銭の鋳造、綿、油、醤油、酒、米、麦については関東に生産や取引の体制を築くのは何十年掛かる。


 史実において、江戸城へ出仕する者は2千人居たとか。しかも毎日昼食を提供しており、使う魚は膨大。祝い事ともなれば鯛が必要になる。めでたい鯛の頭を落とすはずもなく1人1尾ならとんでない数だ。


 大和屋助五郎なる商人は大量の鯛を用意するため、駿河と伊豆で計18浦でいけすを設置。1浦につき約2千尾の鯛を畜養し、いけすを備えた活船で江戸まで輸送したという。


 最終的に瀬戸内まで契約漁村のネットワークを拡大したとか。もはや魚問屋というレベルを超えて水産物商社だ。


 織田幕府における大坂城でも当然昼食や宿直番なら全食提供したい。そうなれば魚への対策も早いうちに手付けよう。


 それは置いておき政治的に問題が発生している。安国寺恵瓊が毛利家の重臣を何人か連れて大坂へ来た。目的は羽柴秀吉の件で、毛利への3ヵ国譲渡は破棄の上、本能寺の変時と同じ線引に戻して欲しいとの申し出だ。


 しかし毛利家では、いまさら怖くなったらしい。室町幕府も完全に終焉し、現状織田家による暫定的な政権体制だ。あまり欲張ると幕府へ移行した際、何されるかわからないので備中東部は不要と伝えてきた。


 これには裏があって宇喜多は織田から取潰しされることを危惧しており、備中東部返還へ積極的なのだとか。少しでも恩を売り、万一の保険にしたい意図が透けて見える。


 その結果、毛利も万一に備え返還を見送りたいという、見栄えのよろしくない話だ。信孝はそれなら好意(という形で済ました)は受け取り、備中高松城へ堀秀政を城代として送ると伝えた。


 大坂の寺を何軒か散策して広之が屋敷へ戻る。台所へ行くと塩引き鮭があるではないか。哲普を呼び鮭の切り方を教える。


「この鮭は随分と紅い」


「紅鮭という。銀鮭は白い」


「もしや金鮭もありましょうや」


「金鮭や銅鮭もあるぞ」


「ご冗談を。それがしも白い鮭は食したことがござります」


「ほう、何処いずこで」


「大和の国でござります」


「それは鮭でなくますであろう。まずは焼くとしよう。そちは、鮭でけんちん汁を作ってみなさい」


 広之は、お初も呼び米を炊かせた。自身は厚めに切った塩引き鮭を特製の竹串に刺して囲炉裏で焼きはじめる。こうして塩引き鮭に大根おろしも添え、けんちん汁の膳が出来た。


「これは驚きました。鰯も好きですが、この鮭は紅くとも味は天下一品の金鮭」


「そちも結構言うようになったな」


「殿様、私もこんなに頬が落ちそうな焼魚初めてでございます。けんちん汁も鮭が入ってるだけで別物」 


「いや、本当に美味じゃのう。少し残しておくようにな。お初、すまぬが茶を淹れてくれ。緑茶に抹茶を少し入れて」

 

 しばらくして鮭茶漬けが出来た。


 もはや2人とも付き合いで喋ることさえ忘れ桃源郷を彷徨っているはず。


 さて今晩は竹子たちを驚かせよう。

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