第308話 江戸城奥御殿の女帝嶋子
昨日、大坂城で将軍織田信孝へ挨拶した後、幸田広之の屋敷で竹子や五徳と激しいバトルを展開しつつ当初の思惑に近い展開へ持ち込めた嶋子は上機嫌だった。
嶋子は大坂城・三の丸内にある来賓用宿舎に滞在しており、朝から機嫌は良い。朝食後、宿舎を出ると至近の船着き場から御堂筋沿いにある高級な茶荘へ向かう。梶(英勝院)、松姫、菊姫、貞姫、小督姫、香具姫も一緒だ。
話には聞いていたが大坂の発展度合いは凄い。嶋子が去ったのは天正15年(西暦1587年)であり、およそ8年前となる。
中心部の街路は同じだが御堂筋などの大きな通り沿いは銀杏並木となっており、鮮やかな黄金色に染まっていた。さらに、主要な街路と橋は煉瓦造りである。それが彩った銀杏並木と合わさり何ともいえない光景だ。
知識として、当然ながら幕府が唐へ攻め入ったり、南洋や東の果てにある新亜を開拓している事は分かっていた。だが、一般の民には欧州遠征やヌエバ・エスパーニャ遠征は知らされていても詳細は伏せられている。
建州女直首領ヌルハチの征伐、遼東半島の平定、明国の都北京の占拠、条約による租借地獲得、台湾やバンコクの発展は知らされていた。
しかし、龍門(サンフランシスコ)が黄金で賑わっていることや豪州も裸に近い人々が田植えや稲作もせずに暮らしてる事以外、鉱山の存在は伏せられたままだ。
これは、ポルトガル人やイスパニア人に情報が漏れる事を避けるためであり、制海権や防衛体制が整えば順次公開する予定だ。それでも各大名や直参たちへ領地石高の3割に相当(米の金銭換算)する金が分配されると発表されており、噂になっている。
海外出征から帰国した者にも幕府から賞与と称する金・銀・銅の銭が与えられ、これも話題だ。しかし、出所や具体的な支出については幕府や織田家から外部へ開示されてない。
江戸城も例外ではなく、現代でいえば地方自治体にしか過ぎないため、中央の政策や内情が伝わり難いのだ。江戸城代は織田家家老斎藤利堯(濃姫の弟)が務めている。この利堯と一部の江戸城在番の織田家直参家臣から外部へ流出しない情報が多い。
そのため、昨日幸田邸に居た北元皇帝の皇女や女直の王子・王女など、存在を知らなかった。大坂と東京のどちらが栄えているのかはあくまで上辺の話。
肝心なのは箱の中身である。人や情報、文化や知識などは中身にあたり、大坂と東京では比べようもない。何れ東京に幕府が移る事は決まっている。そこまで五分に持ち込みたいと考える嶋子であった。
無論、足利や鎌倉公方などというものが過去の遺物であり、もはや大した意味を持たぬ事は重々承知している。それでも、多くの武士は下克上の中でこんにちの地位を築いており、格式は低い。
織田家は斯波家に仕え、越前時代からの重臣。分裂した織田家の一方である清洲織田家(大和守家)の三奉行だった弾正忠家が織田将軍家本来の格式だ。
北条得宗家並みに怪しく、源頼朝公や足利尊氏公とは比べ物にならない。織田将軍家でさえその有り様。臣下にしても、幸田、小島、岡本、中川、高山、森、蒲生、池田など大した家柄どころか、家系図さえ疑わしい。
地位と家格が見合ってない事は当人たちも言葉には出さないにせよ、少なからず後ろめたいはずだ。未だに公方や御所様気取りの鎌倉公方足利家などと愚か者の誹りを受け、笑われようが気に留める必要はない。
家格、格式、権威など使えるものは全て使う。足利の名を残し、織田将軍家最大の外戚へ押し上げたい。しかし、鎌倉公方足利家と分家にあたる小弓公方家双方送り込める者が居ないため、先ずは武田家に恩を売る。
少しでも有利な状況を作り出し、影響力を高めていく。そう思う嶋子だが、あまりに誤算だらけであった。先ず、信之の正室が近衛家の姫で決まってるなどとは話に聞いてなかった。
今回貞姫を正室で推せなければ、側室に持ち込むのは初めから予定通りだ。ひとり用心しなければならないのは幸田家の福である。信之と同い年らしいではないか。三条西家よりの養子だという。
調べたところ、本来の父は明智光秀の家老斎藤利三。母が稲葉家で、母方の祖母が三条西家。叔父は室町幕府政所代を世襲した名門蜷川氏の当主蜷川親長。
謀反人明智光秀の存在さえなければ血筋や家格ともに中々の逸材だ。嶋子は、恐らく信之側室の有力候補だと推測している。それどころか、本来ならば正室を射止めても不思議ではない。
今後、最も警戒しなければならない人物であろう。何れにしろ、幕府最大の権力者ともいえる幸田広之へ近づけたのは大きい。
舟が道頓堀と御堂筋が交差するあたりに着くとそこで降りた。舟と並走してきた護衛の騎馬が居並ぶ。嶋子、梶(英勝院)、松姫、菊姫、貞姫、小督姫、香具姫たち7人全て類まれに見る美貌とあって、護衛の武士も目のやり場に困る。
東京でも有名な御堂筋の茶荘へ入り、本場の抹茶ラテや焙じ茶ラテを堪能する7人であった。そして、幸田家が営む「鶏どころ・鶏えもん」に入る。お任せで適当に注文し、黒糖梅酒を飲む。
「紀州は梅の名産地でのぉ、大坂に居る時は梅酒をよく飲んだものじゃなぁ。黒糖、蜂蜜、赤紫蘇など色々あって妾は黒糖が好みであった」
「御前様、私は蜂蜜を頂いておりますが、これもなかなか」
「松殿、此度は如何じゃ」
「御台様(竹子)や五徳殿はともかく、上様や幸田殿は取り入る事も出来ようか、と」
「あの2人は物事にあまり拘らぬ。おなごにも寛容じゃ。大名にも殺生を禁じ、死罪も行わず、せいぜい島送り。物事の道理をわきまえる分別もある。御台様とて、立場が強いわけではない。神戸などという関の分家筋で、吹けば飛ぶような家柄。運だけは強く、富くじを当てたようなもの。子を産まねば尼にでもされてたであろう」
「越えられない壁ですなぁ」
「これからは松殿、菊殿、梶殿に色々と動いて貰います」
そこへ料理が運ばれてきた。博多風水炊き、鶏の炭火焼き、鶏の唐揚げ、鶏茶碗蒸しや多数の小鉢が並ぶ。先ずは仲居が水炊き出汁だけを差し出す。濃くと風味がありながら、淡白にも感じる。そして肉が入り頃合いを見て、取り分けられた。
「口の中で消えて無くなりました」
「これはもはや飲めるほどの柔らかさ」
「この出汁で炊くと絶妙な味加減」
貞姫、小督姫、香具姫が次々に感想を述べる。そして、皆で茶碗蒸しに手を伸ばす。松茸、落ち鱧、銀杏、餅、蒲鉾などが入っている。
「御前様、これは言葉になりませぬ」
「松殿、妾がかつて大坂を去った時も秋の終わり。その時、食べた松茸と鱧の茶碗蒸しはとても美味でしたな」
その後、7人は野菜や葛切りの入った水炊きを食べ、鶏の炭火焼きや鶏の唐揚げを堪能するのであった。水炊きの世話をしていた仲居が消えると昨日の話となり、酒も自然に進む。
こうして士気を高めるであった。
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