第309話 近衛前久の孫娘太郎姫①
大坂城大手門の詰め番から幸田家に客人が来ているとの報せが届いたのは昼食の少し前あたりであった。左大臣近衛信尹の娘だという。つまり、近衛前久の孫娘という事になる。
以前より次期将軍である織田信之(元三法師)の正室候補の筆頭に目されている人物だ。そもそも近衛家は武士と懇意な家柄であり、前久は現役の関白でありながら各地を流浪したという特異な人物である。
一時は上杉謙信を見込み、関東平定のため、働いた。ある時は逃げようとする古河公方を叱咤。北条の大軍相手に古河城で奮闘するなど、武士さながらの活躍をした。
「たのもう、たのもう、おたのみも〜す」
幸田家の門前で女児の声が鳴り響く。
「母上、近衛家の姫君が……」
「於登久、慌てるでない。聞こえおります」
そういうと五徳は太郎姫を出迎えた。見た目は男児のようであり、動きも女児とは思えない。五摂家筆頭であり、藤原北家嫡流として代々藤氏長者を輩出している近衛家の姫君にしては、野性味が溢れている。
祖父の近衛前久は現在、流浪癖を拗らせ、欧州に居ると、五徳は聞いていた。そして、父である近衛信尹は大陸入りを熱望しているという。
風変わりな家系なのかと疑いの眼差しを向ける五徳であった。五徳は太郎姫を食事するための部屋へ案内する。
「姫様、近衛殿とご一緒ではないのですか」
「昨日、おもうさ様と興福寺へ行き、泊まったのですが、太郎(一人称)の事忘れてひとりで都へ帰ってしまわれました。それならと前からおもうさ様や御祖父様より聞いていた幸田大納言殿のお屋敷へ訪ねた次第」
ひとりで馬に乗り大坂まで来た太郎姫であった。
「まあ、何と……」
「おもうさまの場合、よくある事でして……。御台様、ご心配には及びませぬ。寺へは大坂の幸田右大臣家に向かうと伝えてきました」
太郎姫は照れくさそうにいう。ちなみに興福寺は近衛家の氏寺である。他にも春日社と大原野社は氏社だ。近衛家は氏寺・氏社の管轄権と裁判権を有していた。ともあれ、五徳は家臣に、京の都と興福寺へ早馬を送るよう命じる。そこへ福(春日局)が現れた。
「大きな声がするから誰かと思えば……」
「これは福殿、お久しゅうございます」
「ご健勝で何より」
そして、茶々、初、江、末、お菊、登久、久麻、仙丸、仙千代なども揃い、昼食となった。今日は温寿司である。
ようは蒸した寿司だ。鯛、鱧、鮑、あおり烏賊、いくら、栗、松茸、薩摩芋、錦糸卵などが盛られている。これに、えのき茸となめこ茸の赤出汁や漬物が付く。
「さあ、姫様お召し上がりくださいませ」
「それでは、お言葉に甘え、頂きますもうす」
丹念に煮た鮑を食べて太郎姫は驚く。いくらも醤油出汁に付けてあり、下処理も万全なため、生臭さは無く、食感と旨味を堪能出来る。松茸も良い香りだ。
皆、初めて見る太郎姫に興味津々だ。何しろ次期将軍の正室になる可能性がもっとも高い人物だから無理もない。
「御台様、失礼ですがかような昼餉をいつも召し上がっておられるのですか」
「これは良い方ですなぁ。手間が掛かりますゆえ。他には焼き魚、煮魚、お造り、うどん、蕎麦などでございます」
「夕餉は……」
「もう少し、手の込んだものが出ます」
「申の刻茶もこのお屋敷が発祥と聞きました」
「然様ですなぁ。茶と毎日異なる菓子も……」
「是非、それがしを養子に……。福殿だけでは養子も足りますまい」
皆、笑い出す。食後、福は書庫へ案内し、2人で読書に耽るのであった。
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