第271話 徳川家康と遼東漬け(キムチ)
西暦1594年11月。遼東では遼東漬けの時期となっていた。この時期に白菜の最盛期を迎えるため、本格的な寒さが到来する前、冬を過ごせる分だけの遼東漬けが作られるのだ。
この遼東漬けはキムチに他ならない。幸田広之は白菜を作り出すため、アブラナ属の品種改良に取り組んできた。そのため、白菜に近い物が既にある。本来の歴史では本場といえる明でも半結球だ。
これが現在のように完全な結球は17世紀である。日本に伝わったのは記録上、19世紀後半であり、日本人が白菜の漬物を食べ始めたのは明治以降。比較的新しい食べ物といえよう。
遼東では幕府統治以前から半結球白菜を乳酸発酵させた酸菜が食べられている。これも、今では幕府が持ち込んだ結球白菜にとって代わられていた。さらに、幸田広之のレシピによりキムチが作られ、遼東漬け(漢人は遼東菜と呼んでいる)と呼ばれ、大人気だ。
「彦左衛門よ、今年も美味そうな白菜が出回りはじめておる。遼東漬けと酸菜は滞りなく進めておろうな」
「殿(徳川家康)、この彦左衛門にお任せよ。上物の白菜を沢山買い集めておりますゆえ、何卒ご安心下され」
「書物によれば、唐辛子は血の巡りを良くし、体を温めるそうじゃ。酸っぱい物も体によいという」
「美味くて、体に良いとなれば、もってこいですな」
「白菜、大根、にんにく、生姜、塩辛(アミや牡蠣)、干し烏賊、唐辛子、塩などほぼ揃いつつございます」
「塩といえば、蒙古より入ってくる塩は如何ばかりか」
「はっ、途方もない数でございます。あれを日本に運び幕府御用品として流せばさぞかし儲かるでしょうな」
「幕府は砂糖、煙草、石炭で十分な益を出しておる。そこに塩も加わるという事じゃ。いまや各大名は米の収穫後に年度予算案を幕府へ出さねばならぬ。交付金というものあるしのぉ。兎にも角にも、銭を使い、知行地が潤う。そして民の数を増やすのが大名に課せられた責じゃ。貧しいところでは幕府の交付金により、隧道や寺院などが建てられる。銭を民に行き渡らせるために」
「それもこれも、幕府が抑えている金・銀・銅や様々な産物の賜物ですな」
「然様。我らが遠き地に赴くのも安全保障と経済圏の拡大(幕府では近代の和製造語を既に導入)、または銭をばら撒き商人や民を豊かにする……」
家康は彦左衛門の話を聞きながら、山査子(バラ科の果実)の
遼東漬けは白と赤がある。白は青唐辛子、赤は赤唐辛子で作られが、白の場合だと粉ではなく丸のままだ。山椒も入っている。余談だが、辛い食べ物の需要が高まる遼東では、唐辛子を使い辣醤も盛んに作られていた。他にコチュジャンも作られている(遼東椒醤)。
「殿、今宵の夕餉は遼東漬けの浅い物(韓国のコチョリ)でございます」
「ほぉ、お主も気が利く事よの。とてもではないが食べ頃まで待てぬ」
既に家康は漢人医師の娘や女直首長の娘を側室としていた。女直の側室は既に身籠っている。家康は漢人と女直の側室を横に侍らせながら運ばれてきた料理を眺めた。
浅い遼東漬け、今でいうスンドゥブチゲ、ナムル、葱のチヂミ、などが並んでいる。漢人側室は医師の娘だけあって家康も舌を巻く程の博学だ。女直の側室は背も高く乗馬に優れており、何れも家康は気に入ってた。いちゃつき方も度を越しており家臣や女中は目のやり場に困る。
「浅い遼東漬けも良き味わいじゃ。酸味が薄く食べやすい。魚介の味も舌の上で踊りよる。ついつい箸が出てしまう。あっ、これこれ女直の姫は身重ゆえ、あまり辛い物はよろしく無い。控えめになぁ」
こうして本来の韓国料理は順調に遼東料理や女直料理となっていくのであった……。
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