第214話 女直の文字

 日増しに湿気が強くなる大坂は相変わらずの活気で賑わっている。幸田家はといえば春先に側室お菊が広之の第四子(現代を含めれば第五子)となる陽姫を産んだ。さらに、今度は末が身籠っていた。


 五徳はあと2人男児が必要だと考えている。次に末から生まれる子が男児でない場合、早急に3人目の側室を用意するつもりのようだ。広之自身はいささか不満あるが五徳には逆らえない。


 一方、ウラ国(イェヘ国も兼任)の公使を務めるナムダリは沿海府による蒙古侵攻の報へ対応すべく苦慮していた。それはウラ国の公用文字と化している蒙古文字の存在である。つまり、女直には独自の文字がないのだ。


 かつて金国の時代にあったが、蒙古支配を受け、消え失せた。今や蒙古文字を使っており、僅かながら漢字が通用するという有様だ。そもそも大抵の者は文盲である。盛況な国を作るにあたって、文字の普及は不可欠だ。


 そのため、蒙古文字への翻訳を行ってきた。しかし、織田幕府が徹底的に蒙古勢力を駆逐する方針である事は、もはや明白。これを機会として独自の文字を創出するか、蒙古語、漢語、日本語の準用など、意見が割れている。


 ナムダリとアブタイにすれば、これまで女直独自の文字が普及し、定着させられなかった事を民族の恥とさえ思っていた。そうはいっても、どうするのかさえ結論が出ないのでは話にもならない。


 北河国の公使を務めるイルハも同様の問題に直面している。ある日、3人は夕刻にそれぞれの公使館(隣接している)を出ると、清洲町(宗右衛門町)にある“餃子の王昇”を訪れていた。


「兄上、それにしても何か良い考えてはありませぬか……」


「妙案があれば苦労はせぬ。我らでさえ日本の言葉はある程度、話せるようになったが、読み書きは寺の小坊主へ及ぶべくもない。そのような難解なものを広める事なぞ出来ようか。蒙古の文字ですら解さない者が大半じゃ」


「されど、遼東や沿海州に日本人が増えて行けば蒙古の文字では孤立するのは必定。この期に及んで女直独自の文字を作りだすくらいならば日本の文字を借りた方が早いと思います」


「それは分かっておる。ところでイルハ殿、北河国は如何いたす」


「北河国といっても弱小族長の集まりでしかありませぬ。日本あってこそ。ウラ国よりさらに文盲は多く、文字を広める以前の話。あくまで、私の考えでございますが、先ずは平仮名と片仮名を広め、そこから漢字も少しづつなら何とかなりましょう。北河国向けの活版印刷は平仮名と片仮名を多くし、漢字は簡単な物だけ。それも振仮名を付けます。我らに存在せぬ言葉はそのまま日本語を借りれば良い事。よく使う言葉も日本語で良いか、と」


「なるほど、かような手もあるのじゃな。例えばじゃが、取り入れる日本語はどのようなものにいたす」


「馬、牛、豚、羊、鶏、肉、魚、米、麦、豆、醤油、味噌、塩、砂糖、茶、酒、仏、神、川、水、山、田、畑、家、男、女、税、年貢、戦、法度、船、土、雨、日、朝、昼、夕、夜とか。あとは数字も全部」


「流石はイルハ殿。兄上、我らもこれで行きましょう」


「それで良いと思うが父上や叔父上次第じゃな。まずは手本となる物を作って、検討するとしよう」


 3人が話をしていると、料理が続々と出来上がり、並べられた。焼餃子、焼売、鶏唐揚げ、酢豚、トマトと卵の炒め物、韮卵などだ。さらにボトルキープしてた焼酎も置いてある。


「餃子は“よく焼き(両面焼)”に限るな。芳ばしく食べ応えがある」


「兄上、ウラ国でも焼餃子は食べれるのでしょうか」


「豚や鶏でなく、羊を使ったものならあるかも知れるな」


「やはり、そうなってしまうのでしょうね」


「北河城では栄河城にて育てた豚を食べているそうです」


「あんな寒いところで豚が育つものなのか」


「煉瓦の小屋を作り、石炭で温めているようでして……」


「どのようにでもなるのじゃな」


 イルハは鶏の唐揚げを口に入れたが肉汁が溢れ出て熱い。ブライン液に漬け込んでから揚げてあるので柔らかくジューシーだ。ある程度食べてから焼酎で流し込む。アブタイはトマトと卵の炒め物を食べている。


 こうして、3人は幾度か焼餃子をお替りしつつ、飲み続けるのであった。


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